「手を洗わなくなった子供たち」の話をしよう

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とある町に2つの保育園がありました。
一つはホメール保育園、もう一つはミカエリ保育園と呼ばれています。

ちょうどお昼ご飯の時間です。

ご飯の時間だ、手を洗おう

ホメール保育園では、お昼ご飯の時間になると先生がこう呼びかけます。

「お昼ご飯を食べるので、手を洗いましょう〜!」

この呼びかけを聞いて、子供たちは手洗い場に向かいました。

蛇口を捻り、小さな手を擦り合わせて、汚れを落とします。
砂場で遊んでいた子たち、おままごとをしていた子たち。
みんな、手についた汚れを水で流します。

「みんな偉いね!手を洗えたから、ご飯を食べようね!」

先生に褒められて、子供たちは喜びました。
「ちゃんと手を洗えた、偉いでしょ!」と子供たちは得意げに言いました。

お手手はキレイになったかな

ミカエリ保育園では、お昼ご飯の時間になると先生がこう呼びかけます。

「お昼の時間だよ!みんなキレイなお手手で食べようね!」

この呼びかけを聞いて、子供たちは手洗い場に向かいました。

蛇口を捻り、石鹸を手に取り一生懸命、泡だてます。
砂場で遊んでいた子たち、おままごとをしていた子たち。
みんな、手についた汚れを水で流します。

「お手手はキレイになったかな?さぁ、ご飯を食べようね」

子供たちはキレイになった自分の手を見て、喜びました。
「先生、ボクの手キレイでしょ!」と子供たちは得意げに言いました。

そして、小学生になった

みんなお待ちかね、給食の時間です。
小学校の先生は、保育園の先生のように「手を洗う」話はしませんでした。

しかし、子供たちは給食の時間を前に、手洗い場に集まりました。
みんな、自発的に手を洗い始めたのです。

「小学生にもなれば、手を洗うくらい自発的にできるだろう」

教師の思った通りになりました。
しかし、教師は「みんなちゃんと手を洗えたかどうか」少し心配になりました。とはいえ、余計な干渉は良くないと考え、声をかけることをやめました。

手を洗わない子供たち
それからしばらくして、教師は気付きました。
およそ半数の子が、手を洗わなくなっていることに。

これはマズいと感じた教師は、手を洗うよう呼びかけ、手を洗った子を褒めました。

「みんな偉いね!ちゃんと手を洗えたね!」

およそ半数の子は不思議そうな顔をしましたが、何とかクラス全員が手を洗うようになりました。

それから卒業まで毎日、教師は同じ言葉を言い続けることとなりました。

あとがき

いかがだったでしょうか。

手を洗わなくなってしまったのはホメール保育園の子供たちです。
では、なぜ手を洗わなくなってしまったのでしょうか。

行動の見返りが「褒められること」になったから

本来、手を洗うのは自分のためです。
ホメール保育園の子供たちは先生から褒められて喜んでいました。

確かに他人から認められることは、人の承認欲求を満たします。
しかし、行動そのものから得られる見返りである「清潔な手になる」ということから成功報酬を得られなくなってしまったのです。

ミカエリ保育園では、「こうだったらいいよね」を呼びかけた
ミカエリ保育園の先生は「お手手はキレイになったかな?」と言っていました。

これには先生が日頃から「食事はキレイなお手手で食べたいよね」と呼びかけていたという暗黙的な文脈があります。
子供たちはこの呼びかけに共感し、行動したのです。

共感は時間が経っても継続し、やがてその子にとっての考え方になります。



これは大人にも同じことが言えますので、自分の中で活かせるポイントがないかぜひ模索してみてくださいね!
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