希望の牧場(1)

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こんにちは、司法書士・ペット相続士の金城です。

2011年3月11日に起こった東日本大震災では、津波に襲われた福島第一原発の事故により「避難区域」が設定され、区域内の住民が避難を余儀なくされました。

避難区域では多くの牛・豚・ニワトリなどの家畜が飼われていましたが、それらの家畜がペットとともに置き去りにされたことを覚えている方も多いと思います。

ペットである犬・猫は避難区域外へ連れ出すことが認められました。
しかし、牛・豚・ニワトリは汚染物を市場に流通させないとの名目で、避難区域外への移動を禁止されました。

震災の約1か月後の4月15日、福島県は動物救護本部を設置し、避難区域のペットの保護に乗り出します。
しかし、家畜については4月24日、衛生面などの問題から殺処分する方針を決定します。

置き去りにされた家畜やペットがどうなったのか、テレビニュースなどで表立って大々的に報じられることはありませんでした。
しかし、一部の週刊誌などで、置き去りにされた家畜やペットの惨状が報道されました。

世界的に有名なアルピニストの野口健さんも2011年7月に避難区域に入り、自身のホームページで家畜の惨状をリポートしています。

空腹のあまり排泄した糞尿を食べ、ついには共食いする犬・猫。
餌を与えられる時に首を固定され、そのままの状態で人が避難したため、身動きが取れないまま餓死していった牛たち。
また、餓死した豚の屍の山。
そして死体に群がるおびただしい数のウジ。

調査結果では、福島第一原発から半径 20km圏の警戒区域には、震災前には牛3,488頭、豚30,510頭、ニワトリ441,000羽が飼養されていました。
事故後2カ月で、ニワトリ全て、牛2,200頭、豚29,800頭が餓死しています。

避難する際、飼っている家畜を繋留状態から解放して避難した畜産家の人たちがいました。辛うじて生き残っていた牛や豚たちは、牛舎や豚舎を離れ、野生状態で生きていたものです。

しかし、家畜については殺処分する方針が決定されたことから、生き残りの牛や豚は捕獲され、殺処分される運命を辿ることになりました。

このような惨状の中、必死に生きようとしている家畜たちを守るために立ち上がった畜産家がいました。
【エム牧場浪江農場】の吉沢正己さんという方です。
現在では改称し【希望の牧場】と呼ばれています。

吉沢さんの命を張った活動については、次回のブログで紹介します。


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