-The Fourth Step- 致死量の創作エナジーと危険な毒 【文学フリマ東京40】

-The Fourth Step- 致死量の創作エナジーと危険な毒 【文学フリマ東京40】

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コラム

創作の過剰摂取、脳内メモリ暴走中

 今日は創作の栄養を過剰摂取をしすぎて、あわや致死量に達する勢いだった。デザイニャーとしても、作家としても目の保養が過ぎる。脳内に流れる情報量が多すぎて眩暈がしっぱなし。
 人の創作に影響を受けやすい人。常に「もし自分がこれをやるんだったら……」と変換して考える癖があり、脳のメモリもCPUもフル稼働。故にずっと終わりなき暴走状態がずっと続く。
 13時から徘徊し始めて、17時まで一度も休憩もなくずっと。自販機のコーヒーで糖分の補給をしたのみで、足早に会場に戻る。「たっのしー!」と今にも大声を出して走り回りたい、そんな気持ちを押し殺し、ポーカーフェイスを気取るのが大変だった。
 創作者として、こんなイベントは垂涎そのもの。戦利品をゲットする以上の「カタチなき持ち帰れるもの」が多すぎる。

3度目の参戦、その目的の変遷

・1年前の初回:まず「文学フリマの動向を探る」 その目的
 初回ということもあり、どんなイベントなのかそのリサーチがメイン。ブースの設営・魅せ方。仲間はブースに立ってくれているので、今後の参考になるべく共有できる情報を持ち帰ることが目的。

 デザインは、いわゆる「Kindle界隈」にいることが多いと「機能的」が優先されテンプレなものになりがち。そうならないために、自分らしいデザインをやっていたつもりだが、リサーチしてみて「やっぱり何かの型にハマってしまっている」と思い知らされた。
 自分のデザインは小さい。もっとやっちまってもいい。そう思ったきっかけにもなった。やっぱり「ここに来る表現者たち」は商業目的・副業目的ではなく、純粋に表現を楽しんでいる。その時点で全く別次元のギアで動いているんだなと、驚きと喜びがあった。勝てるわけがない。

 本が売れる売れないは全く関係なく、ただ「自分の好き」をやりたい。ただそれだけ。そんな人たちばかりの祭典。そして私も「やっぱりこっち側がいい」と再認識した。

・2回目の12月: 「新鮮な栄養を”目で”摂取する」 その目的
 初回で得た圧倒的な栄養。それからの半年間。自分もまた変わった、変えていこうと思った。でも、その情熱は時間と共に、日常と共に薄れていく。イベントの直後がピークなのは仕方ない、想いを持続するってそう易々とできるもんじゃない。
 だから、今回は「しっかり思い知らされよう」「打ちのめされよう」がメインの目的。デザイナーとしても作家としても「自分の好き」に向き合い続ける、その情熱が欲しいんだ。

 タイミング的に「誰でも簡単にAI画像生成が使える」その転換期であったと思う。そのまんまAI、しかも安い画像生成に頼りきったチープなものが目立っていたようにも思う。それはちょっとがっかりしたし、そんな時代になりつつあるんだなとも思った。
 でもそれは一部の話。どこを見回しても創作のエナジーがビリビリ伝わってくる。アンテナをフル稼働させて、会場を歩くだけでその情報量にやられる。仲間内では「少しはデザインができる人」と評価してもらえても、一歩ガチの表現の場に出れば、下層のカーストにいるただの素人なんだとわかる。
 本屋に行ってもその感覚にはならないが、ここに来ると「ちゃんと私の頭をぶん殴ってくれる」。やはりそのライブ感、熱狂の中、孤軍奮闘な気持ちで佇んでみないと得られない何かがある。

・3回目の今回: 「コミュニケーションによる栄養の摂取」 その目的
 一年前の初回の衝撃から自分の中で何が変わったのか、どんな成長をしたのかその自問自答はずっとある。デザイナーとして、日々たくさんのご依頼をこなし、自己研鑽も積んで「できること」は間違いなく増えた。そして、表現の幅も確実に広がった。
 でも、渇望する心。その何かが足りないか、ずっとわからずにいる。「自分らしさ」は裏返せば「手癖」みたいなもので、己の想像の範疇での創造になってはいないかと、常に「らしさ」と戦っているようにも思う。
 別に創作に苦しんでいるわけではなく、いつも自分の創作はワクワクしながらなだけに、アンビバレントな感情が浮き彫りになる瞬間もあるということ。

 身バレNGの業を背負っているだけに、派手な交流を避けていた。でも今回は解禁しようと思った。渇望する何かを埋めるために。過去2回は熱狂を俯瞰で見ることに徹したが、よりリアルな体験を、そのエナジーを生で感じたいと思った。

 そのため、すべてのブースを回るのに3時間かかり、時間が溶けた。体感1時間くらい。あまりにも時間が足りなかった。もっと立ち寄りたいブースはたくさんあり、泣く泣く断念という場面もあった。
 本来は3周くらいしかったけど、1周半でタイムリミット。

 あるブースでは「これってもしかしたら〇〇のオマージュ?」と尋ねたら「同志、発見!」とばかりに、そこから矢継ぎ早に語る語る。本を売るためのセールストークではない。「私の”好き”をただ知って!」という純粋すぎる情熱。
 この人が特殊なわけではく、ここにはこんな人ばかりだった。「このまま居酒屋行ってオールしようぜ」みたいな場面も多々あった。
 「オトナの電子文藝部」の内藤みかの姐御から、赤のリストバンド(出店者の印)を賜っていたのも大きく作用した。時にはデザイナー、時には作家として名乗り、同じ表現者として対話できたことはあまりにも大きかった。

芽生えた嫉妬と危険な毒

 さぁ、じゃあ次の東京開催、11月は……と考えるまでもなく、対話の中で 「ある嫉妬」が芽生える。
 「あぁ、売る側って楽しそうだな」ということ。

 私は「オトナの電子文藝部」と「きんどるの森 SHOW!学校」の2つに所属している。もちろんブースに立てるわけがなく、信頼する仲間に託している。
 「日向猫猫」は概念の集合体であるが故、実態を晒さない不文律、現実の足枷がある。ファンタジーの中だけで生きられるデジタルでフィクションな存在だから。

 実態としてブースに立つにはいくつかの障壁を乗り越える必要がある。その絶対的な覚悟が必要。
 でもそろそろ次のステップへ、生身を隠し続けるのも潮時だと少し思ってしまった。それが今日のイベントで摂取した致死量ギリギリの栄養。成長ホルモンであり、見方によっては危険すぎる毒でもある。

 このただの感情とは言い難い「毒された危険な情熱」は、イベント終了直後だけのものなのか、時間が経つにつれ増幅され、身体中を蝕んでいくものなのか。泡沫のように消えてしまうのか。それはまだわからない。
 11月は遠い先のように思えて、時空が歪み、あっという間に訪れる。逃避せず、無闇に解毒はせず、賢いふりして納得したふりをせずに、ちゃんと毒されていこうと思う。

 東京開催は年2回。半年に一度、初心に還るための時間。創作のエナジーを補給しつつ、その反面「身の程を知る時間」でもある。自分にはできない表現を目の当たりにすると、嫉妬と憧れの両方を充填できる。
 それが創作の何よりの原動力になる。特に自分はそういう人間だとわかっている。年2回くらいは致死量の栄養を過剰摂取しないとダメなんだ、きっと。

 兎にも角にも、同志のみんなお疲れ様です。
 出店者も来客者もお疲れ様です。

 世界に「表現をしたい人」「それを求める人」がどれだけいるかはわからないけど「たまたま今日、東京に集まれた人」それだけで、こんなにも表現に溢れた空間になる。

 それって本当にすごいことじゃないか?

おまけ:文フリ3回参戦のご褒美の嬉しい知らせ

 SNSで集ったKindle作家の同志。
 特に明確なサークル名はないものの、繋がっている仲間たち。

 文学フリマではまだAmazonの書籍出版サービス「Kindle」の認知度はそれほど多くはない印象があります。
 Kindle Direct Publishing(略してKDP)、いわゆるKindle出版を総括する運営さん。ブース出店をしており、我々の活動に興味を持ってくれたようです。

 我々は「ただのKindleを楽しんでいる非公認・非協賛」の名前すらない有志サークル……いや、サークルとも言えない集団。
 それを見つけてくれて、密かにバックアップしてくれたことは感謝しかありません。
 「文学フリマ東京40 注目タイトル Kindleストア」というページをKindleストアに設けてくれました。
 天下のAmazon公式さんのこのご厚意、これはきっと特例中の特例。愚直にただただ楽しんでいる姿、それを見てもらうのって大切だなと思います。
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