先日、ある数字を見て、正直、手が止まった。
日本で流通する洋服のうち、国産比率はわずか1.1%...実質、1%を切っているという現実だ。(日本繊維輸入組合「日本のアパレル市場と輸入品概況」)
かつて「服の2着に1着」は日本製だった時代がある。1990年頃、その比率はおよそ50%。現在とのこの差は、単なる数字の変化ではない。産業の骨格そのものが、この30年で丸ごと入れ替わったということだ。
私がオンワードにいた頃は、ほぼ100%が日本製だったと言っていい。工場に足を運び、職人気質の工場長と、1mm単位の詰め寸をめぐって交渉したこともある。あの頃の服作りは、真剣勝負だった。お互いに妥協をしない緊張感があり、その分クオリティも、今より高かったと思う。
「最近、Made in Japanのタグを見かけない」。
この感覚は、皆さんにも覚えがあるはずだ。ファッションだけではない。食も家具も電化製品も...私たちを取り巻く生活用品そのものにも言えるのではないか。それは気のせいではなく、構造の結果である。
ファストファッションの隆盛と、価格破壊の始まり
いつからこうなったのだろうか....。
振り返れば、2000年代後半から2010年代にかけての数年間に、大きな転換点があった。H&M、ZARAをはじめとする外資ファストファッションが日本に上陸し、爆発的なブームを生んだ。「低価格・トレンド・高回転」というビジネスモデルが、消費者の服選びの基準そのものを塗り替えていった。
同時に進んだのが、「洋服=消耗品」という意識の定着だ。安くて当たり前、シーズンごとに買い替えて当たり前...この前提が、いつの間にか標準になった。
その裏側で、発注側であるアパレル企業や商社は、過度なコスト削減と工賃の抑え込みを続けてきた。いわゆる「買いたたき構造」である。生産拠点も、中国からベトナム、バングラデシュへとさらに移っていった。安さを追い求める力は、常に国内の外側へ、外側へと向かっていったのだ。
なぜ縫製工場は「壊滅」と言われるのか
海外の低人件費と競わされ続けた結果、国内工場の工賃は、数十年単位でほとんど上がらない構造が固定化した。
工賃が低いままでは、当然、若手は入ってこない。結果として、業界の急速な高齢化と、後継者不足による「黒字廃業」が相次いでいる。技術も経営も健全なのに、次を担う人がいないから畳む。これほど惜しい話はない。
技能実習生に頼る構造にも、すでに限界が見えている。近年の円安と、送り出し国側の賃金上昇により、「日本で働く魅力」自体が相対的に下がってきているからだ。
そこに、資材高、光熱費の高騰、最低賃金の引き上げが追い打ちをかける。踏ん張ってきた工場が、次々と限界を迎えている。これが「壊滅」という言葉の、実際の内訳である。
私たちが服を選ぶということ
ここで立ち止まって考えたいのは、服の価格の裏には、必ず「誰かの労働」が存在しているという、当たり前だけれど忘れられがちな事実だ。
安さそのものを否定したいわけではない。ファストファッションにも役割はあるし、経済的な事情はそれぞれにある。ただ、選択肢のひとつとして、「長く大切に着る一着」として国産の服を選ぶという視点を、もう一度、手元に取り戻してもよいのではないかと思う。
心理学的に見ても、この視点の転換には意味がある。ものを「消耗品」として扱うか、「自分が選び、育てていく対象」として扱うかで、その後の扱い方や愛着の持ち方は大きく変わる。これは所有物への心理的投資、いわば、手をかけたものほど大切になるという感覚に近い。安く買って気軽に捨てるサイクルの中では、この心情が生まれる余地がない。逆に、背景にある職人の手間や物語を知った上で選んだ一着は、着るたびにその選択を思い出させてくれる。そこには、単なる所有以上の、静かな満足感が生まれる。
明日から服選びのすべてを変えてほしいということではない。ただ、次にタグを見るとき、一瞬だけ「これはどこで、誰の手を経てきたのか」と想像してみてほしい。その小さな視点の変化が、業界の構造を、少しずつ変えていく力になるはずだ。
数字は1.1%まで落ちた。けれど、それを「もう終わった産業」と切り捨ててしまうのか、「まだ1%が残っている」と捉えるのか...。その解釈もまた、私たち自身の選択にかかっている。