SNSの熱狂の先にある、古くて新しい搾取の構造
ある日、SNSのタイムラインに流れてきたニュースに、思わず手が止まった。セクシー女優がアパレルブランドを立ち上げた、という話題だ。その数は、年々増加傾向にあるという。また、大阪で開催されたガールズコレクションでは、キャバクラで働く女性たちが、まだ慣れないウォーキングでランウェイを歩いたのも記憶に新しい。聞けばキャバクラ嬢は、もはや憧れの仕事なのだとか。ハァ〜?ため息が出た。
最初に断っておく。職業に貴賤はない。これは本当にそう思っている。しかし、私がここで問いたいのは、職業の優劣ではない。ファッション業界という「夢の殿堂」が、今何を取り込もうとしているのか、ということだ。
話題になれば「何でもいい」の先にあるもの...
コレクション、ブランド、インフルエンサー。ファッション業界は常に「新鮮さ」を渇望する。かつてはデザイナーの才能や職人の技術がそのエネルギー源だった。それがSNS時代に入って以降、求められるのは「拡散力」に変わりつつある。
話題になるコンテンツ、バズ画像、フォロワーの数。そのKPIが、業界の審美眼を少しずつ、しかし確実に書き換えてきた。
夜の世界で働く女性がランウェイに立つことは、今やニュースになる。フロワーもそれなりにいる、それ自体がコンテンツだからだ。「多様性」「境界を超える」という言葉で包まれながら、実態は注目を集めるための演出として機能している側面がある。
なぜ、彼女たちはそこに向かうのか
心理学の観点から見ると、夜職に就く女性の動機は複雑に絡み合っている。しかしここで最初に言っておきたいのは、これは決して「特別な人たちの話」ではないということだ。
まず「承認欲求」の問題がある。マズローの欲求階層説では、人間の根本的な動機のひとつに「承認・尊重への欲求」が挙げられる。これが厄介だ。若い女性にとって、容姿を称賛される環境、お金を使ってもらえる体験は、自己価値の確認手段になりやすい。それ自体は、人間として自然な感情だ。次に「回避動機」がある。夢や目標があっても、そこへの道筋が見えない時、人は不安や無力感から逃れるために、手っ取り早く「今ここで認められる場所」に引き寄せられる。これは弱さではなく、むしろ自己防衛の本能的な反応だ。
そして、SNSが強化した「比較の罠」。タイムラインに溢れる華やかな生活、ブランドのバッグ、高級レストランの写真などなど。それが「普通の生活」として映る環境では、現実とのギャップが自己肯定感を静かに削り取っていく。その焦りが、判断を歪めることになる。
問題はその先だ。承認の快感は、依存のメカニズムを持っている。
「今夜も指名された」「必要とされた」という体験は、脳内のドーパミン回路を刺激する。ギャンブルや薬物と同じ間欠強化のパターンだ。毎回ではなく、時々強く報酬が来るからこそ、やめられない。しかしドーパミンは「満足」の物質ではなく、「渇望」の物質だ。得るたびに次を求め、心は満たされるどころか、渇く一方になる。
さらに深刻なのは、欲望の対象でいることは、常に「選ばれる側」でいることを意味するという点だ。見られているのは、演じている自分、商品としての自分。承認されているようで、本質的な孤独は深まっていく。心理学者フレデリックソンらの客体化理論が示すように、自分の身体を「他者の視線から評価されるもの」として捉え続けると、自分の内側の感覚より外から見た自分を監視する状態=自己客体化が慢性化する。その果てにあるのは、羞恥心でも不安でもなく、感情の麻痺だ。つらさを感じる回路そのものが、閉じてしまう。
ここで立ち止まって考えてほしい。この構造は、SNSのいいね依存と本質的に同じではないか!
フォロワー数、いいねの数、バズった投稿。承認を求めるほど、本当の自分から遠ざかっていく。夜職の女性だけでなく、スマートフォンを手にする私たち全員が、程度の差こそあれ、同じ回路の上に立っている。
彼女たちを責めることは、できない。責めるべきは、その心理を熟知した上で、仕組みを設計し、利益を得ている側だ。
形を変えた「女工哀史」....
日本の近代化を支えた紡績工場には、「女工」と呼ばれた若い女性たちがいた。農村から集められ、「都会で働けば豊かになれる」という夢を持って工場に向かった彼女たちが実際に直面したのは、苛酷な労働環境と、搾取の構造だった。
以前、取材でその資料館を訪れたことがある。展示によると、10代後半から20代前半の女性たちは、工場から支給される金券?で化粧品を買い、年季が明ける日には立派な婚礼ダンスを贈られたのだという。それを唯一の楽しみに、頑張って働いた—という文脈で紹介されていた。やけに明るい照明の館内で、私はなんだか寒々しい気持ちになった。夢を持たせること、小さな報酬で繋ぎ止めること、「頑張った証」として形のあるものを与えること。それは、搾取を搾取と気づかせないための、精巧な設計だったのではないかと思ったから。
後から読んだ細井和喜蔵が1925年に著した『女工哀史』は、その実態を克明に記録した。夢を抱いて上京した女性が、知らぬ間にシステムの歯車として組み込まれていく。その構造は、100年後の今も、形を変えて繰り返されているのではないかと思うことがある。
「ファッションブランドを立ち上げたい」「コレクションに出てみたい」「SNSで有名になりたい」。夢の言語は時代に合わせて更新される。しかし夢に群がる利権の構造は、驚くほど変わっていない。
金券が「いいね」に、婚礼ダンスが「フォロワー数」に置き換わっただけで、本質は同じかもしれない。夢を「商品」にする人間は、常にいる。そして夢を持つ人間は、それに気づきにくい。
ファッションが守るべきもの
誤解のないように言っておくと、私はファッションの可能性を信じている。服は、人の人生を変える力を持っている。自分を表現する手段として、アイデンティティを確立する媒体として、ファッションは本質的に豊かなものだ。だからこそ、今の状況が歯がゆい。
「話題性」「拡散力」「バズ」を優先するあまり、業界が自分たちの美意識を手放しつつあるように見える。ランウェイに誰を歩かせるか、どんなブランドとコラボするか。その判断が、かつては美的な哲学に基づいていた。今は、エンゲージメントレートに基づくことが一般的になった。もちろん、ビジネスだから、数字を無視することはできない。それはわかる。しかし、数字のためならば何でも取り込む姿勢は、長期的にブランドの本質的な価値を毀損する。そして何より、無邪気に「夢」を信じた女性たちが、消耗品として使われる構造を温存することになる。
「選ぶ目」を持つということ
私がブランドエディターとして長年見てきたのは、流行の表面ではなく、流行の裏側にある意図だ。何がトレンドになるかではなく、誰がそのトレンドを作り、誰が利益を得て、誰がコストを払っているか...。
SNS全盛の時代、情報は増えたが、読解力が問われる時代でもある。バズっているから良いもの、話題になっているから本物、そういう「認知の近道(ヒューリスティック)」に乗っかるだけでは、大切なものを見落とす。ファッションを消費する私たちも、業界に携わる人間も、「選ぶ目」を磨き続けることが、誰かを守ることに繋がると、私は信じている。
夢は持ってほしい。でも、その夢の華やかさの裏側にあるものも、どうか感じ取ってほしい。
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