(1)問題
①日本の医師法第一九条第一項は「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には,正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定めている。これを医師の「応召義務」という。
②通常,医師には、患者を救うために、どのような患者に対してもわけへだてなく医療を行うことが求められる。
③その点は、洋の東西を問わず、伝統的な医療倫理の基本的な考え方の一つとなってきた。その精神が日本の現行の医師法などにおける「応召義務」の規定につながった。
④医師法の規定に関しては二〇一九年に厚生労働省が,「医師が国に対して負担する公法上の義務であり,医師の患者に対する私法上の義務ではない」という通達を出した。
⑤応召義務があるとはいっても、従来の解釈と違って,診療時間外や勤務時間外の診療は断って構わないというのである。医師の過酷な労働条件の緩和が目的だろう。しかし、応召義務という原則がなくなったわけではない。
⑦医師は病み、傷ついた人の治療の求めに応じなければならない。
⑧しかし、そうした応召義務といった考え方からすれば例外として広く知られるようになってきたのが、「トリアージ」という手法だ。
⑨トリアージは、大震災や大規模災害の際に、多くの傷病者を外傷や疾病の重症度によって分類し、その分類をもとに,治療の優先順位や患者の搬送順位を決定することを指す。その決定にあたっては、外傷や疾病の重症度ではなく、救命可能性が基準とされる。そこでは、通常の診療では最大限の努力を払って救命処置が行われるような傷病者も,いっさい治療の対象とされないことが起こりうる。すべての患者を救うように全力を尽くすという医療の大原則に外れる事態を認めるのがトリアージだ。
⑩トリアージでは「トリアージ·オフィサー」と呼ばれる実施責任者を決め、その人の指示に現場にいる者全員が従うことになっている。
中略
⑪「トリアージ·オフィサー」が問題となる傷病者を,通常、次の四つのカテゴリーに分類する。Ⅰは最優先治療群で、生命の危険はあるものの、直ちに処置を行えば,救命可能な者。Ⅱはバイタルサインが安定していて、治療の開始が遅れても,生命に危険がない者。Ⅲ上の二つのカテゴリー以外の軽症者で、専門医による治療がほとんど必要のない者。Ⅳすでに死亡しているか、直ちに治療しても救命が不可能な者。治療や搬送の優先順位は,この分類によって行われることになる。
⑫分類はできるだけ短時間で行い、分類した患者の右手首にⅠ~Ⅳのそれぞれに対応した赤、黄,緑,黒のタッグをつけていく。この分類作業は、患者の容態が時々刻々変化するのに合わせて、繰り返し行うべきだとされている。
中略
⑬こうしたトリアージの考え方は元々、戦時下で出てきたものだ。最初に提唱したのはフランスのナポレオン時代のフランスで軍医として功績のあった外科医ドミニク·J·ラレーだとされる。その提案が第一次世界大戦中にフランス軍で負傷した兵士の戦場での治療方針を決定する方法として組織化された。「トリアージ」という「選別」を意味するフランス語に由来するのはそのためである。それがアメリカなど,他の国でも採用されるようになり、広く知られることとなった。
⑭戦時下では、疾病や負傷に倒れた兵士をいかにして効率よく回復させ、前線に復帰させられるのかが至上命令である。「トリアージ」という手法はそのために編み出された。そこでは戦争遂行という社会的効率が個人の治療への権利を凌駕する。医療資源は前線に早期に復帰できる者に優先的に回されることになる。
⑮大震災や大規模災害の際の救命活動でも多数の負傷者に対する人材や資材は絶対的に不足している。それがトリアージが必要とされる理由である。問題は極限状況の中でどれだけたくさんの命を救うのかという点にある。
⑯救う命の数が優先される。トリアージはあくまでも医療にとって平時とは異なる例外的な状況での救命のための手法である。それによって応召義務に示されるような医療者の通常の義務が否定されるわけではない。治療せずに放置して患者を死なせるということが許されるということではない。
⑰議論として、トリアージの方法についてさえ,万人に対する平等な医療という医師の義務に反するという批判は皆無ではない。しかし,トリアージが必要とされる前提条件を理解すれば、そうした批判に賛同する人は少ないだろう。医療が人材や資源の限られた状況の中で、できるだけ多くの人命を救おうとする努力をするのは当然である。そのために、特に医療者にとって、トリアージの実際について学んでおくことは不可欠である。ただ同時に、医療者はこの方法があくまでも人的資源も含めた医療資源の絶対的な不足と救命の緊急性が前提となっていることは肝に銘じておくべきだ。
(香川知晶著「命は誰のものか増補改訂版」ディスカバー携書)
問1 この文章に20字以内で題名をつけなさい。
問2 なぜ筆者は傍線部のように述べたのか。本文中に使われている言葉を用いて,80字以内で説明しなさい。
問3 COVID-19の世界的蔓延により,ワクチン,病床,人工呼吸器など,さまざまな医療資源が不足し,トリアージの是非も問題になった。COVID-19とトリアージについて、この文章全体を参考にして、あなたの考えを800字以内で述べなさい。
(2)解答例
問1
医療平等の原則とトリアージ
問2
トリアージはあくまでも医療にとって平時とは異なる例外的状況での救命手法であり医療資源の限られた状況下、できるだけ多くの人命を救おうとする努力するのは当然だから。(80字)
問3
COVID-19の感染拡大期におけるトリアージは、次の四つのカテゴリーに分類するべきであると考える。パルスオキシメーターで動脈血酸素飽和度を測定して血液中の酸素の割合が低い患者を最優先治療群Ⅰと認定して最優先で搬送して治療に当たる。この基準値は予め厚生労働省で決めておくことが前提である。Ⅰと認定された患者には人工呼吸器を装着し、集中治療室でECMO(体外式膜型人工肺)で重い呼吸不全の患者に肺や心臓の働きを一時的に代行させるなどの救命措置を図る。血液中の酸素の割合が比較的良好で、発熱などの症状が出ている患者はⅡのカテゴリーに分類する。医療施設がⅠの患者等で満床の場合、ホテルなどに搬送して療養生活を送り、経過を観察する。PCR検査で陽性反応が出ていても無症状の感染者はⅢに分類して5日間の自宅療養の措置をとる。すでに死亡しているか、直ちに治療しても救命が不可能な者はⅣに区分して、搬送や治療を行わない。
新型コロナウイルス感染症が感染症法のⅡ類に区分されていた時期には、上記の原則でトリアージを行うべきであると考える。実際には、重症化リスクや死亡リスクが高い高齢者を優先的に日本ではトリアージが行われていた。一方、イタリアなどでは、助かる見込みや併存症、年齢や残りの生存年数を考慮するという提案が専門学会から出された。これは結果として将来生きる時間の長い若者を優先するトリアージが行われていた。
このようなトリアージの基準は動脈血酸素飽和度をなどの医学的、科学的な根エビデンスに基づいて行われることを原則とするべきである。しかし、これに加えてその国の文化的・宗教的な死生観や国民感情、高齢化率などの人口動態といったデータなど、多角的な観点を取り入れることが求められる。トリアージの基準については平時に国民的なコンセンサスを得たうえで為されることが何より重要である。(785字)
日本の厚生労働省の診療指針では、SpO2(血液中の酸素の割合)が93パーセントを下回る場合
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