AI に短歌は作れるか

AI に短歌は作れるか

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慶應義塾大学文学部自己推薦入試の小論文過去問には次のような問題がある。



次の文章の中で、著者は、歌人への取材経験をもとにして、短歌AIによる短歌づくりの可能性を模索しています。AIを使った短歌の制作には、AIを使わない場合と比べ、どのような違いがあるか、あなたの考えを述べなさい。

(320字以上400字以内)



これまで行った歌人への取材では、AIと結べるかもしれない新たな「付き合い方」の可能性を、実作者の目線から考える機会を得ています。俵万智さんへの取材では、短歌AIが高速に大量の短歌を生成できるという点に驚かれ、一つの「付き合い方」を提示するような話題になりました。それは「壁打ち相手としてはいいかもしれない」という言葉です。

永田和宏さんへの取材でも、「例えば上の句で筆が止まっている時に、AIに提案してもらった言葉を発展させて下の句を付けるという使い方は、認めてもいいのかもしれない」と、俵さん同様、壁打ち相手としてのAIの可能性が指摘されました。

これはどういうことでしょうか。例えばあなたにはいま、どうしても完成しない書きかけの歌があって、悩んでいるとします。そんな時に、AIにその書きかけの歌を入力し、続く内容を大量に生成させます。AIですから、何度お願いしても、いつお願いしても、嫌な顔をせず淡々と生成することが可能でしょう。そこで得られる大量の歌をあなたは見ながら、ああでもないこうでもないと考えて、「ほんとうに詠いたかった言葉」を探せるのではないか、ということです。



[浦川通『AIは短歌をどう詠むか』(講談社、2024年)より。

原文に一部編集を加えたところがある。



ふ~ん。



最近のAIは短歌を詠むこともできるのか。



試しに「『夕立ちの去りし縁側』のあとに続く言葉を補って短歌を作ってください」とAI(Agenti)に聞いてみた。







すると、次のような答えが返ってきた。



夕立ちの

去りし縁側

まだ匂う

濡れた簾(すだれ)に

ひぐらしの声



う~む。

機械のくせに、なかなかやるじゃないか。

上の句と下の句の情景が調和していて、日本の夏の夕景がうまく表現されている。

人間の作ったものと遜色がない。

しかし。

あまりにもぴったりし過ぎていて、どこか面白味がない。



短歌や俳句、詩には突然、場面が転回するものが少なからずある。



その発想の転換が詩歌の魅力となる。



たとえば、次の石川啄木の歌。



「はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」。





最後の「ぢっと手を見る」は誰も思いつけない。



AIでも無理だろう。



「はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり」



までは啄木のつぶやき。



「ぢつと手を見る」は行為だけ切り取って、あえてその後の感情や言葉は書かない。



どんな気持ちで啄木は手を見ているかを読者に想像させる。。



つまり、行間を読ませている。



この歌はまるで映画のワンシーンのようだ。



文字だと前半が長く(5757)、後半が短い(7)が、映画であれば、「ぢつと手を見る」のシーンのほうを長回しをするだろう。



このようなバグっている時間感覚もこの歌の面白さだろう。



これが、この歌の余韻というものになる。



まとめると、AIはビッグデータから次に来る言語の確率予想をして、それらしい短歌を作るが、AIを使わない場合(人間が作る場合)には、意味の跳躍がある革新的な短歌をつくることができる。



ざっとこんなことを解答例で考えていた。



そこで、試しにAIに上の句と下の句で断絶がある短歌を作るようにプロンプトを出してみた。



すると、次のような歌が返ってきた。



改札を

出れば真昼の

風つよし

わたしは今日は

海を知らない



さすがに啄木の歌より見劣りをするけれど、これはこれで形になっている。



なんか若い女性の憂鬱が込められているようで、巧い。



言われなければ、これが人間が作ったものではなくてAIが作ったものとはわからないだろう。



AIスゲエ。



大丈夫か、人間。

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