日本大学芸術学部では、入試で作文が課される(文芸学科・放送学科)。
普段の私の小論文の授業では、授業後に答案の提出をしてもらう。
授業では、受講生と対話をして、書く内容や方向性を決める。
日藝の作文も同じやり方で授業を実施した。
後日、送られてきた答案は、あまり芳しい出来ではなかった。
これはひとえに私の責任である。
小説は優れてオリジナリティを発揮するものであり、書き手個人の能力に依存する。
それを他者が割り込んで、足して2で割ったものを書いても、いいものができるわけはない。
その生徒は高校時代、小説のコンクールで受賞したほど、書く能力に優れていた。
それが、私のいらぬお節介によって、その生徒の良さを殺し、伸びようとする芽を摘んでしまった。
イメージでいえば、二人羽織をしているようなものだった。
目が見えない状態で私が背後で手を動かして、生徒に蕎麦を食べさせるようなもの。
生徒の特性がわからない状態でむやみに指導しても、蕎麦は生徒の口には入らない。
これを教訓として、以後、小説(作文)の指導は、授業前にフリーハンドで書いてもらった答案を授業でアドバイスをして修正する、という方針に変えた
その甲斐があってか、その受講生は見事日本大学芸術学部文芸学科に合格した。
彼の小説は人間の悲哀を描いた、実に味があるもので、私は授業のたびに彼の答案(小説)を読むのを楽しみにしていた。
小説(作文)の指導にとって重要なのは、教師が小説家たらんとしてはいけない。
教師こそが、受講生の最初の読者であって、最も良き理解者(ファン)であらねばならない。
このことを私はその生徒から教えられた。
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