「選択的夫婦別姓制度の是非」神戸大学法学部法律後期2016年

「選択的夫婦別姓制度の是非」神戸大学法学部法律後期2016年

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学び

(1)問題



問題文 日本の民法は,現在,夫婦同氏の原則と氏の選択における男女平等の原則を定めている。これについて,婚姻時に夫婦の氏について同氏・別氏の選択を認める選択的夫婦別姓(別氏)制度を導入すべきであるという主張がある。以下の資料【1】~【6】を読み,これらの資料のすべてに基づいて,選択的夫婦別姓制度の導入に積極的な立場と消極的な立場それぞれについてその論拠を整理して,1000字以内でまとめなさい。その際,どの資料によったかを資料の番号を示して明らかにしなさい。資料の番号は【】を含めて1マスで示せばよいものとする。資料に付記してあった見出しや表,参考資料などは一部省略し,必要と思われる箇所には注の付記,表記の変更等を行った。資料【1】~【6】にある下線部は,注を付記した箇所を表す。


① 【1】 夫婦の氏に関する基本規定は「夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称する」と定める民法750条である。この規定は,夫婦同氏の原則,氏の選択における男女平等の原則の二つを含んでいる。一見すると,この規定には特に問題はみいだせない。同氏(同姓)とすることにより夫婦の一体感を増すことができるという考え方はありうるもっともな考え方であるし,また,氏の選択についても,明治民法に存在した不平等は除去され,少なくとも形式的には完全な男女平等が実現されている。




② しかし,経験的にもよく知られているように,この平等はみせかけの平等にすぎない。実際には大多数の場合には,夫の氏が選択されるからである。統計的にみると,妻の氏を選択したケースは4%に満たない。そして,そこに「家」意識の残滓があるという指摘がしばしばなされる。実際のところ,妻の氏を名乗る婚姻については,人々は「夫の方が婿養子に入った」と感じることが多いようである。


③ 「家」意識の問題も重大だが,氏が変わることにはより実際的な不便もある。たとえば,婚姻前に旧姓で社会的な活動をした人が,ある時に婚姻により氏を改めると,その人の同一性につき混乱が生ずることがありうる。


④ 氏が変わることは,社会的な活動を行う者にとってはかなり不便なことである。とくに,事実上,氏の変更を強いられている女性についてみると,この点は無視できない問題である。かつては結婚すると仕事を辞めてしまうことが多かったために,それほど問題は顕在化しなかったが,女子就業人口の増加に伴って,この不自由さは際だったものになってきた。そこに男女平等の波が加わって,別姓論議が沸騰ふっとうすることとなったわけである。さらに,最近では,男女平等の実現というよりも個人のアイデンティティの確保の方に力点が置かれるようになっている。確かに,実際上の不便さもさることながら,氏が変わることによって「自分が自分でなくなる」と感じる人が増えてきているようである。


(中略)


⑤ 1996年に法制審議会がとりまとめた民法改正要綱は,夫婦の氏については,「夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫若しくは妻の氏を称し,又は各自の婚姻前の氏を称するものとする」としている。同氏・別氏の選択を認める制度といっても,選択の手続の定め方にはいろいろな可能性があるが,要綱は,同氏・別氏のいずれかを原則とするのではなく,全く対等な選択肢として位置づける考え方をとったわけである。


(中略)


⑥ 1996年の要綱は立法に至っていない。では,夫婦別氏は社会的な支持を受けていないのだろうか。この点については,世論一般の反応と法律家の反応とに分けて考える必要がある。


⑦ まず世論についてであるが,やや古いが1990年の世論調査によると,選択制導入に賛成は30%,反対が50%という数字が出ている。これに対しては,賛成の割合が増えているとか,若年層・都心部では賛成が多いといわれることがあるしそれは事実であるが,全体としては反対が多いのもまた事実である。設問の立て方で答えはかなり異なりうるのでこの結果を絶対視することはできないが,反対が多いという事実は踏まえておく必要がある。次に,法律家ではどうかをみると,選択制導入論が圧倒的に優位を占めている。一般の人々と法律家の意識の間にはギャップがあるのである。

⑧ ここに,家族法改革に関する方法論的な問題が潜んでいる。それは,「法律は国民の意

識を反映したものであるべきか」(反映論),それともむしろ「法律は国民の意識を導くものであるべきか」(先導論)という対立である。前者をとると立法は保守的になり停滞するが,さりとて後者をとると一部の社会層の独走が懸念される。現実には,どちらか一方だけに従って立法するということは考えられないが,法律に対する考え方が二つあるということ,法律の中にはどちらかの要素が強いものが存在すること,などは注意しておいてもよいことがらであろう。たとえば,戦後日本の家族法改革は,先導的なものであったということができる。


⑨ しかし,今日のような先行きの不透明な時代においては,国民意識よりも先に進むとして,どちらの方向に進むかは難しいところである。その場合,一般論のレベルでは,さまざまな考え方を抑圧しない多元的な立法を行うという姿勢を導入すべきだと思う。仮に,この考え方が国民の意識になじんでいないとしても,少なくともこの点においては立法が先導すべきであるように思われる。価値観の多様化した現代における立法のあり方としては,これがおそらく唯一の方向ではなかろうか。夫婦別姓論に関していうと,さまざまな考え方があることを認め,選択の幅を広げるということが基本に据えられるべきだろう。


⑩ 住居の共同は,夫婦の共同生活を物理的に表象するのに対して,共通の呼称すなわち同一の氏は,夫婦の共同生活を心理的に表象する。夫婦間においてのみならず外部に対しても,このようにいうことができるだろう。現行法が夫婦は「夫又は妻の氏」すなわち同一の氏を称すべきこととしているのは,この点に配慮したものとして理解することができる。


⑪ しかしながら,今日では,すでに述べたように,氏の変更に伴う職業生活上の不便の増大を背景に,氏の存在に「家」の名残なごりをみいだす見解,自己の氏に「個」としてのアイデンティティをみいだす見解が勢いを得ている。その結果が,1996年の民法改正要綱であったわけである。これらの見解は,夫婦別氏の導入によって,「氏」を個人の呼称に純化する方向へ向かおうとしているのである。


⑫ 便宜の問題ならばともかく,「家」や「個」にかかわる問題となると,そう簡単には決着はつかない。この問題は,ある意味では小さな問題だが,日本の家族の今後を占うものとして争われざるをえない。この問題の象徴的意義の大きさを,改正賛成派も反対派も了解しているのである。


⑬ それでも,氏は第一次的には個人の呼称であるという認識は,おそらくは徐々に浸透していくことだろう。その意味で,どのような形であるかは別にして,夫婦別氏が承認されるのは時間の問題ではないかと思われる。




(出典:大村敦志『家族法〔第3版〕」(有斐閣,2010年))


[脚注〕明治民法:1898(明治31)年に施行された民法。家族法部分は,第二次世界大戦後に全面改正された。

残滓:残りかす。


【2】


⑭ 夫婦別氏(姓)の論議が続いている。1996(平成8)年に法制審議会が「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申し,選択的夫婦別氏(姓)制が法制化されるかと思われたが,この導入に慎重な意見があり,世論調査ではその支持を拡大しているものの,法制化は現在に至るまで実現されていない。


(中略)


⑮ たしかに結婚による氏の変更を通じて,氏を変更することが多い女性が様々な不利益や負担を抱えるようになるのは容易に理解されうる。しかし,この問題がいかなる論理の下で選択的夫婦別氏制の採用に結びついたのか。なぜ選択的夫婦別氏制でなければならないのか)が別に議論されなければならない。


(中略)


⑯ 1995(平成7)年の「婚姻制度等の見直し審議に関する中間報告」とその「説明」のなかでは夫婦別氏制に関して三つの案について議論している。ただ,夫婦別氏の早期の導入をめざすためなのか,妥協の産物としての選択的夫婦別氏が考案されたという印象は否めないし,結果的には改革の理念を不明確にしているように思う。と同時に,夫婦別氏の家族法全体の体系のなかでの位置づけも明確になっていない。とりあえず夫婦別氏をという一点突破的な制度改革を目標としているのであろうか。制度改革の意図や理念が明確ではない。


⑰ 以下では,家族と氏(姓・苗字)の問題に関して,日本の近代家族の形成を念頭におきながら,大枠の流れを素描してみたい。


⑱ 話の本筋に入る前に,いくつかの問題について確認をしておきたい。まず,私たちが日常的に使っている氏・苗字(名字)・姓ということばは同意義に用いられているが,厳密には歴史的起源を異にするものである。


⑲ 明治維新の折,朝廷は真っ先に幕府から松平姓を与えた諸侯に対して原姓に復するように求めた。もともと,姓は天皇が与えるべきものであり,姓を持つことは天皇の臣民であることを意味した。したがって,幕府が勝手に臣下に姓を与えることは,朝廷には越権行為と映っていたのであろう。大雑把に言えば,姓が天皇から与えられた称号であるのに対して,氏は一族の名称であり,苗字は一族が分かれた家の名称である。もちろん,幕藩体制の下では,苗字の名乗りを許されたのは士族階層であり,苗字もまた身分制支配と密接な繋がりを持っていたことに変わりはない。


⑳ 庶民階層の多くの人々が古くから苗字を持っていたことは周知のことであるが,全ての臣民に氏(苗字・姓)の呼称を公的に認めるのは1870(明治3)年のことである。何をもって法律上の氏にするかについては規定がなく,姓・氏・苗字(名字)のいずれを「氏」に定めてもよかった。したがって,姓・氏・苗字(名字)の区別は現実性を持たなくなり,法的には家の名としての「氏」の概念が確立していくことになる。しかし,この段階では「氏」が必ずしもfamily nameを示すものではなかった。


21 ところで,1876(明治9)年に夫婦別氏の指令が出されたが,この時期には夫婦別氏の指令以外にも重要な布告や指令が出されている。1872(明治5)年に一人一名主義の原則と改姓・改名の禁止の布告が出されるが,伝統社会における襲名の慣行が否定されたこともあり,改姓・改名は「古来の慣習」であるとして,改氏・改名の禁止の撤回を求める異論が相次いだ。この間の事情を詳細に論ずることはできないが,改姓・改名の自由を容認しようとする動きが太政官の中であったものの,それは実現せず次のような原則ができあがることになる。


22 まず,改名に関しては原則として禁止政策を維持しながら,営業の都合や由緒によりやむをえない場合には改名を許すという緩和策を採用し,改姓に関しては復姓(由緒ある本姓に復すること)以外には,原則として認めない方針をとった。さらに,分家に際して新しく姓を立てることは明治政府,太政官は一貫して認めなかった。つまり,従来の氏と苗字は一体のものと見なされ,本分家集団(同族集団)は同一の氏(苗字)であるべきとされた。また,1876(明治9)年には全ての家=家族に対して氏(姓)を持つことが強制され,その家族から分肢した新しい家族(分家)も同一の氏をもつことが強制された。しかも,その変更も原則として認めず,家の名称は同定されることになった。氏(姓・苗字)が家や親族集団の名称となる条件は整ってきたが,なお家族集団の構成員が統一した氏を持つわけではなかった。つまり,夫婦は別姓(氏)であるとされたのである。


23 明治政府はなぜ夫婦別氏であることにこだわったのであろうか。太政官は,妻が夫の苗字を称することを不可とする理由として,苗字は人の出自を表すものという認識を示している。つまり,養子縁組は出自の変更を伴うものであるが,結婚は出自を変更させるものではないと太政官は主張しているのである。


24 この問題を考えるためには,出嫁女の生家への帰属に関わる習俗に触れなければならない。つまり,結婚によって妻が夫の家にはいるというのは自明のことではなかった。




25 妻の生家への帰属と関連して,結婚後出嫁女(妻)あるいはその夫の労働力を妻の生家で維持・確保しようとする習俗である。この習俗は,①結婚後も妻の労働力を生家に提供するもの,②夫の労働力を生家に提供する習俗に分類することができる。つまり,夫の労働力の妻家への提供は,妻の対価としてあるいは妻の労働力の代替という性格をもつからである。


26 さらに,出嫁女の生家への帰属をそのまま維持する習俗も報告されている。①出嫁女が生家の檀那寺を継承する習俗,②出嫁女の死後その遺体や遺骨が生家に帰される習俗。帰葬の習俗である。夫婦別氏の指令は準士族の慣行をモデルにしたものであろうが,妻が婚姻後も生家に対する成長権を持ち続けるような習俗が北陸・東北地方に広範に残っていたことも注目すべきであろう。


27 明治民法は,「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」(第788条第1項)と規定した。妻は明確に夫の家にはいることが規定され,夫婦同氏の原則が確立した。明治民法は夫婦を単位とした家族を前提としていない。氏は「家の氏」であり,家族全員がこの家の氏を称するようになった。家族全員がこの家の氏を称するようになるのは明治民法によって制度化されたものであり(明治民法第746条「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」),この段階ではじめて氏・苗字がfamily nameとしての性格をもつようになった。また,夫婦同氏の制度化が前近代の伝統に根ざしたものでないことにも注意を向ける必要がある。むしろ,夫婦別氏の慣行が前近代の伝統に根ざしたものであり,古い家制度に根ざした習俗であった。その意味では,夫婦同氏の制度化は親密圏としての家族の一体性を維持しようとする新しい装置として作りあげてきたものであったと考えるべきであろう。


28 1948(昭和23)年に施行された現行民法は「夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称する」(第750条)と規定した。現行民法の下では,夫婦と子どもを単位とした家族集団を前提として,その家族集団に対して同一の氏を称することを求めている。明治民法における夫婦同氏が家族の世代的な連続性(家)を前提にしているのに対し,現行民法は核家族を前提して夫婦同氏を規定している。もっとも,この制度上の違いは現実にはそれほど重要性を持たなかった。というのは,現行民法の下でも祭祀条項は温存され,また家族の連続性を維持する養子制度も温存され,高度成長のもとでも家的伝統は維持されてきたからである。この意味では,夫婦同氏制は,近代に形成された新しい「家」の枠組みと家族的親密性を重要視する近代家族の二つの枠組みが結びつきながら展開してきたものである。つまり,夫婦同氏は明治以降に制度化されたものであり,近代家族の形成とともに定着をしてきたものであると考えることができるだろう。


29 もっとも,近年においてはその事情は若干異なるようになってきた。つまり,家的伝統をもった日本型近代家族の維持が困難になってきたことである。少子化の中で家族の世代的な連続性を維持することが困難になり,家族名が消える家が出てくるようになった。このような状況の下で,家族名の連続性を維持するためにも夫婦別氏を要求する人も現れてくる。もちろん,夫婦別氏制は,ジェンダー論の立場から女性の権利擁護のために展開されたものであり,家族の集団性よりも家族を構成する個々の人間の権利擁護に力点をおくものである。むしろ,近年においてこのような「家族の個人化」を制度的にも容認すべきであるとする傾向も強い。その意味では,日本型近代家族の黄昏たそがれ時にこのような要求が出てくることは,二重の意味で理解されうることである。


30 それにもかかわらず,「選択的夫婦別氏の議論は尽くされたか?」と問わなければならないのは,制度のもつ意味や法の体系性を考えたとき多くの疑問が生まれてくるからである。


31 一つは,選択的夫婦別氏制は女性の権利を擁護しようとする人々からも家制度の維持を図ろうとする人々からも幅広く支持される傾向にある。また,選択的夫婦別氏制が「同氏」も「別氏」も認める選択度=自由度の高い制度であるとする議論もある。しかし,夫婦同氏(姓)に期待し,夫の姓でもなく妻の姓でもなく,第三の姓をつけたいと考えたとしても,選択的夫婦別氏制の下ではこれを実現することができない。「選択的」と言いながらも,選択肢は限定されているのである。


32 また,すでに述べたように,「氏(姓)」や「名前」は歴史的に多様な意味を持ちながら展開してきた。国家は,現在「氏」や「名」にどのような意味を持たせようとしているのであろうか。「氏」と「名」が,人を特定する記号に過ぎないのであれば,国家がなぜ夫婦同氏とか夫婦別氏について議論する必要があるのかという問題である。また,「夫婦別姓」「夫婦同姓」のどちらでもよいというのであれば,「名付け」「改姓」「改名」をめぐってもなぜ国家がこれを規制する必要があるのかが問われる。「氏名〔名前)」をめぐる問題は根本的に考え直す時期にきているように思われる。今回の選択的夫婦別氏ではこの種の議論は展開されていない。


33 さらに,問題なのは,選択的夫婦別氏制が家族を構成する個々人の権利を擁護するという立場に立ちながら,同じ法の体系の中に家的伝統を引き継いでいる祭祀条項が残ることである。「系譜,祭具及び墳墓の所有権は,……慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が承継する」(民法897条)が残され,祭祀承継をした者が配偶者の死亡や離婚によって復氏した場合,承継した祭祀をどうするかについて民法は規定している(751条・769条)。これらの規定相互の整合性をどのように理解するのであろうか? 選択的夫婦別氏制は異なった価値観を持つ人々にも支持される構造を持っていることはすでに述べたが,選択的夫婦別氏(姓)制と祭祀条項の民法(家族法)の中での併存は法の体系性の大きな矛盾として認識されるのではないだろうか。

(出典:森謙二「夫婦別姓」清水浩昭・森謙二・岩上真珠・山田昌弘編『家族革命』(弘文堂,2001年))




〔脚注〕


祭祀条項:祖先祭祀を規定した民法の条項。


ジェンダー:社会的・文化的に形成される男女の差異。


【3】


34 別姓夫婦なんて,大昔から日本にも世界各地にもいた。なぜ今ごろ夫婦別姓を問題にしなければならないのか,その方が不思議である。日本ではいつから夫婦別姓でなくなったのか,そう問題を裏返してみる方が正しい問いの立て方だろう。


(中略)


35 妻の姓は,妻の出自集団とのつながりの証である。日本はオセアニア圏の社会と多くの共通点を持っているが,その一つポリネシアでは,女は夫の集団に婚入したあとも終生,兄弟との関係をつうじて自分の出身氏族との関係を保つ。この社会では婚資に莫大な財産がかかり,それを払い終わるまでは,子供が生まれてもそれを夫の集団に引き渡さないことさえある。妻が死んだらその葬儀の中心になるのは妻方親族であり,妻の遺体は引きとられて自分の出身集団の墓地に葬られる。夫と妻はちがう氏族に属するから。墓が同じになることはない。婚姻契約は,妻の死で終わる,夫の親族集団と妻の親族集団との間の長期にわたる契約関係であり,妻の氏族は婚出した姉妹に対する権利₌義務を生涯失わない。


36 一般に,妻が実家=出身集団とつよい絆きずなを保ちつづけるところでは,妻の婚家=婚入集団での地位が高い。ここでは妻の地位は,実家と婚家との力関係で決まる。妻はしばしば,夫と兄弟との力関係をうまく操作してその両方から利益を得ようとすることさえある。こういうところでは,妻はいやなことがあるとしばしば実家に逃げ帰る。


37 となれば,夫婦同姓への移行の謎はかんたんに解ける。妻が実家との絆をたち切ること一これが夫婦同姓の核心にある。


38 そのための条件は二つ。

(1)結婚が生涯でただ一回で,かつ不可逆的な地位の移行だと考えられていること。

(2)妻の実家の影響力が及ばないように,妻を夫の親族集団より地位の低い親族集団から選ぶこと。


39 「嫁はカマドの灰の中から選べ」という古い諺ことわざにあるような階層間上昇婚(ハイパーガミイ)――つまりシンデレラ・ストーリーがこうして完成する。シンデレラ・コンプレックスは,女が,(1)自分の出自集団を完全に離脱すること,(2)夫の親族集団に完全に同化すること,の二つを含んでいる。いまでも女のなかには,自分の親族集団からテイクオフするためのスプリング・ボードとして結婚をといえる考え方があるが,それは上昇婚的な態度の反映である。


40 この結婚観の中で,夫の妻に対する完全な支配=家父長制は完成する。夫にとっては妻の親族からの干渉はよほどうっとうしいものだったようだ。家父長制六十年の歴史は,いかにして母系親族からの影響力行使をたち切るかという努力にあげて捧げられているように見える。嫁ぐ日の前夜に,娘は両親から,いったん嫁いだ以上どんなことがあっても戻ってくるなと因果を含められる。花嫁が帯に挿す懐剣は,万が一戻るようなことがあったらそれで喉を突いて自害せよ,という意味だと言われている。つまりいったん嫁いだ以上,死体になって戻る以外には実家に帰るな,という意味である。


41 婚姻をめぐるディスクールは,あげて女に,この移行が,一回きりの,取りかえしのつかない変化であると脅しをかける。男に対してはそんな脅迫のディスクールはないのだから,この関係は明らかに非対称的である。


42 こうして夫は,婚入してきた妻に思うままに力を行使することができるようになる。家風の強制はもとより,妻に対しては「何をしてもよい」関係が形成される。夫婦同姓が,身分制社会とその中での家父長制の完成に分かちがたく結びついていることを知れば,夫と同じ姓をいそいそ名のりたがる娘たちの心理は「不可解」と言うしかないものだろう。


43 だが「姓を変えたい」娘たちの方にも,彼女たちの言い分がある。第一に結婚はしばしば,いまいましい自分の出身家庭からの「逃走」を意味するシンデレラ・コンプレックスによってこの離脱の願望は強化される。上昇婚のルールのもとでは,女の婚入する集団は出身集団より社会・経済地位が上だから,多くの娘たちにとって結婚はみじめな境遇から脱け出す千載一遇のチャンスなのである。


44 一家の中で娘は「父の権力」のもとで最も弱い立場に置かれるが,それから逃れた先が「夫の横暴」だということに気がつかないうちは,離脱の夢に誘われて女たちは実家との絆をかんたんにたち切る。事実,自分からすすんで姓を変えることを選んだ自覚的な女たちの多くが「自分の生まれた家族がキライだったから,自分の姓を変えたかったのよ」と言うのを私は何度も聞いた。男たちは結婚を「自分の生まれた家族を捨てる」機会とはとらえていないのだから,この結婚観はもっぱら女にだけ特徴的なものである。


45 日本でもヨーロッパでも,家父長制下の上昇婚の成立にともなって夫婦同姓が成立しているが,自分の実家にプライドを持つ貴族の女たちは,しばしば嫁いでも結婚前の姓をミドル・ネームにとどめる。メアリ・ウルストン・クラフトのように。子供たちもまた,母のミドル・ネームを受け継いで,自分が父と母,双方のどういう出自を持っているかをその姓で示す。その結果,名門の子孫ほどハリエット・ビーチャム・ストゥ・ウィンストン・チャーチルのような長ったらしい名前を持つようになる。




(中略)


46 こう見ていけば,「女がすすんで自分の姓を捨てる」状況が,何によって作り出されたかというからくりは十分すぎるほどよくわかると思うが,今日,夫婦別姓を要求する女たちが現われたのは,何も彼女たちが実家との絆をとり戻したいからではない。「夫婦同姓」にあらわれた家父長制的な結婚観に反発するからで,出身氏族のヒモつきの「別姓夫婦」の古代に戻りたいわけではない。


(中略)


47 夫婦別姓の主張は,法律婚の擁護なのだろうか。


48 法律婚は夫婦の間に権利₌義務を発生させる。だが親子については,仮に両親が法律上夫婦でなくても,権利₌義務は発生するのだから,子供の権利を守るためだとしたら,法律婚はべつに意味をなさない。女が法律婚を主張するのは,それが女の権利を守る,つまり女がトクをする場合である。現在の法律では,妻に経済能力がない場合,つまり妻が被扶養者である場合は,法律婚は妻にトクになるしくみになっている。


49 ところが,もし妻に収入があって被扶養者からはずされたら,法律婚はまったく何のトクにもならない。諸外国の法律では,成人した男女について,学生などを除いて,扶養控除を認めないところが多い。日本の法律は,無業の妻の「座権」を守ることで,逆に女に無業でいることを奨励しているのである。もし配偶者控除がまったくなくなったら,日本の専業主婦率はどう変るだろうか。収入や財産をめぐる権利₌義務関係で何のトクにもならないとなれば,法律婚の最後の利点は,ただ社会的に公認された夫婦・親子であるということを示すことにある。だが一体なぜ,家族関係を「登録」したり「公認」してもらったりしなければならないのだろうか?


(中略)


50 公認され,登録された「家族制度」を社会の根幹と考え,それを揺るがせたくない人々は,結婚の中の姓と結婚の外の姓を区別し,嫡出子と非嫡出子との間の差別を維持しつづけることだろう。「夫婦別姓」の要求が闘うべき相手は,この家父長制的な家族制度というしぶとい敵なのである。


(出典:上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』(岩波書店,1994年)


〔脚注〕


スプリング・ボード:きっかけとなるもの,契機。

ディスクール:言説。

控除:ここでは,被扶養者や配偶者の収入が定められた金額を上回る場合に,一定額を課税対象から除外する制度を指す。


【4】


51 日本は明治時代の「家」制度のもとで,また1950年代後半以降の高度経済成長の過程で,性別役割分業を基礎として発展してきた。経済効率を優先し,長時間・過密労働に耐えうる男性を基幹労働力として取りこみ,出産や家事を負担する女性を,単純補助労働力として,結婚や出産するまで利用してきた。女性は家庭に入り,家事・育児・老親介護などに従事したが,経済的には夫に依存してきた。圧倒的多くの女性が,自分の氏ではなく,夫の氏を夫婦の氏にしてきたのは,「家」制度の伝続的意識だけではなく,経済的な依存関係のためでもあった。つまり,夫婦の氏に,日本社会の性別役割分業構造が反映していたのである。


52しかし,1980年代以降の,女性たちの高い水準での進学率・就労率の向上は,パートナーヘの経済的依存関係を軽減ないし縮小させている。そして女性が男性にたいして,対等なパートナーシップを求める場合,個人のアイデンティティを示すものとして,お互いの氏名を尊重したいと思う。氏に人格が反映するがゆえに,これまでの自分の生きかたを大切にしたいと思い,自分の氏を名乗りたいと願う。そうした女性の願いを,自然なことだと受け止める男性がいる。これまでの夫役割,妻役割ではなく,個人としての生きかたを尊重し,お互いに対等なパートナーシップを築きたいと考える。これが夫婦別姓の主張なのである。


53別姓の主張は,働く女性にかぎらない。専業主婦層においても,夫婦の氏に象徴される人間関係,夫の「家」の嫁としての役割を強制されることから,夫婦別姓を望む人は多い。役割を強制されず,もっと一人ひとりの生きかたを大事にする夫婦関係を求めている。


54 けれども,現状で別姓を実践しようと思うと。通称使用でも,事実婚でも,家族や周囲の人びとの理解をえるために,なおそうとうな努力を払わねばならない。誰でも,気軽に実行できるわけではない。夫婦別姓選択制度の法制化は,法が別姓を認めることによって,いわば「御墨付」を与えることになり,このような夫婦のありかたを法のレベルで後押しするものとなるだろう。


55 また別姓を選択する人びとが増えてくれば,夫婦,親子,兄弟姉妹で氏が違うことは当たり前になり,これまでのように,氏が違うからなにか家族に事情があるのではないかと特別にみる意識を減少させるだろう。それは,多様な家族形態にたいする偏見を弱めることにつながる。夫婦別姓選択制度は,少数の選択を保障することから,ライフスタイルの選択幅をひろげることになるだろう。家族は氏や戸籍の同一によって支えられるのではなく,一人ひとりの愛情と信頼によって成りたつものとなる。形式よりも中身を大切にする社会へのワン・ステップになりそうな予感がする。


56 これまで男性は,性別役割分業のうえに乗って生きてきた。自分の氏を妻に名乗らせて生きてきた。しかし,そこに問題はないのだろうか。


57 夫にとっては,妻の「婚姻改姓」は,妻が夫の「家」に帰属する意味をもち,婚姻を機会に自分の「家」を強く意識し,改姓を「家」の長としての男の体面にかかわるものととらえる傾向が強い。婚姻前にはさほど「家」を意識していなかった若い男性が,婚姻を機会に,「家」志向への意識的な変身を余儀なくされ,家長としての役割を果たすことが愛情表現だと思い,仕事に精を出して家族を養おうとし,妻にたいして,嫁・妻役割を期待し,それが果たされたときに,愛情を感じるような意識が形成されるのだ。


58 男性自身が妻の「婚姻改姓」で,みずからを「家」意識や役割意識のなかに閉じこめて

しまっていたとすれば,別姓の選択は,男性自身を解放することにつながるのだから,男性にとっても,たいへんメリットの大きいものだといえよう。


(中略)


59 こういうと,女性のほうも自己が問われる。生活の保障を求めて結婚し,夫に依存する生きかたではなく,自分自身の足で立ち,自分自身の目でみることが求められる,との反論がでるだろう。しかし,女性はもう充分そのように変わってきている。ただ,男社会と学歴社会があまりにも強固であるため,妥協する女性もいるにすぎないのである。しかし,本音の部分での変化こそ,家族と社会を変える力を秘めている。だから,既存の同姓夫婦においても,別姓を議論することは,同姓をつづけるにしても,別姓にするにしても,自分たちの夫婦生活を省みるよすがとなる。もちろん,別姓夫婦がすべて対等な関係であり,同姓夫婦はそうではない,ということではない。同姓夫婦でも,対等で豊かな人間関係を築いている場合はある。ただ,姓の問題は,お互いの生きかたや相手の人生を考えてみるきっかけになるといいたいのだ。そうした話し合いを通じて,性別役割分業を克服し,豊かなパートナーシップをつくる道が開けるように思う。


(中略)


60 個人の独立・平等・自由が家庭のなかに実現されると,いままでよりはるかに自由で風通しのよい家族をつくりだすだろう。家族のために個人が犠牲になるのではなく,お互いの愛情と信頼で援助し合う関係になるだろう。男性は一家の責任者であり,全力をあげて家族を守ることを生きがいとしている,という人もいる。しかし,女性や子どもは守られる対象ではない。一人ひとり独立した人格をもち,自分の生きかたを追求する権利をもっている。それは他人のそうした権利も大切にすることであり,お互いの利害がぶつかるときには,相手の立場になって話し合う寛容さをもつことを義務づける。それが個人の尊重という意味なのである。―家の責任者を自負する男性は,家族を守るといいつつ,家庭のことは妻まかせ,そしていざとなると,自分の価値観と違う生きかたや選択を否定したり,固定的な役割を押しつけたりしていないだろうか。それへの反発が結局,家族をバラバラにしているのではないだろうか。別姓を選択するかどうか。つきつけられることによって,男の生きかた,家族のありかたが問われる。


61 繰り返し述べてきたことは,個人の尊重を基本理念に家族を見直すことだった。しかし,現在なお,この理念に反するものがある。その最たるものが墓である。寺院,霊園の多くの墓は,「〇〇家」の墓であり,父母,長男,長男の妻が,順序よく埋葬されている。二男は別に墓をつくり,女子は嫁ぎ先の墓に入るものとされている。兄弟姉妹間の序列,男女の別扱い。これほど,個人の尊重と男女の平年に反するものはない。だから,いま,夫の「家」の墓には入りたくない,できれば夫婦の墓をつくりたいと考える女性が増えているのである。わたしたちには墓の形態を選ぶ自由はないのだろうか。元来,「〇〇家」の墓は,明治時代に「家」制度ができてから,庶民に普及したものにすぎない。江戸時代にキリシタンを禁圧するために,檀家制度ができあがり,寺の墓地に墓石を建てるようになったが,多くは個人墓や夫婦墓だった。土葬も行なわれていたから,当然であろう。それが明治時代になって変わる。「家」制度は「家」の存続を重視するのだから,祖先とのつながりを明確にし,^家の意識を育成しなければならない。墓がそれを具体化した。すなわち,墓には,その「家」に属する家族が埋葬され,その「家」の戸主が家督相続として相先の祭祀を行なった。通常は戸主の長男が墓を使用する権利を承継した。


62 しかし,第二次大戦後,「家」制度は廃止されたはずである。それにもかかわらず,墓の実態はちっとも変わっていない。それはなぜなのだろうか。じつは,戦後の民法改正時に,「家」制度の廃止という目的を達成するために,「家」制度温存派を説得する材料として,祖先の祭祀について,妥協的な規定を残してしまったのである。


63 まず,墓や位牌など(法律では系譜・祭具・墳墓という)を相続財産から除外し,被相続人(死亡した人)が,生前に承継者を指定していないかぎり,慣習にしたがって祖先の祭祀を主宰すべき者が承継するものとした(民法897条)。


64 つぎにこの祭祀用則産を承継した者が,離婚や離縁によって婚姻前あるいは縁組前の氏にもどった場合,たとえば,一人娘と結婚した夫が,妻の氏を称し,あるいは妻の両親と養子縁組を結び,夫だからというので,妻の祖先の祭祀主宰者に指定され,祭祀用財産を承継したところ,その後で離婚したり,離縁して,婚姻前あるいは縁組前の氏にもどった場合には,当事者その他利害関係人の協議によって,承継者を定めなければならないとした(民法769条・817条,その他751条では,生存配偶者が復氏あるいは姻族関係終了の意思表示をした場合にも,同じ扱いをする)。つまり,祭祀用財産を承継する者は,同じ氏の親族でなければならないというしくみになっている。これらの規定が現在の「〇〇家」の墓を存続させているのである。


(中略)


65 しかし,先にあげた条文をよく読んでみると,墓などの承継について,第一に,被相続人の指定を優先し,指定がないときには慣習にしたがい,慣習が明らかでないときは,家庭裁判所が定めることを規定するだけで,埋葬や承継を「親族」のみに限定したり,長男子優先を慣習として規定したり,墓碑の表記を―家名に限定したりする規定はなにもない。民法以外に「幕地,埋葬等に関する法律」という法令があるが,それは,埋葬または焼号の理蔵は墓地以外の区域で行なってはならないという規制だけである。すなわち,誰と墓をつくり,一緒に埋葬してもらうか,誰に承継してもらうかは,個人の自由にまかされているのである。お墓にたいして,旧来のように先祖を祀るものととらえたり,「家」の墓だと考える人もいれば,故人を敬愛する記念碑として位置づける人もいるだろう。それぞれの人が墓にたいしてもつ多様な意識を,人の埋葬に関する意思の自由と考えるならば,憲法13条の個人の尊重原則は,こうした自由をも保障しているとみることができる。この基本的な自由を一片の条例で規制することは許されない。また長男を優先する扱いは,憲法14条の法の下の平等の原則に違反する。地方自治体が憲法に違反する取扱いをすることは,許されない。


(中略)


66 これまで述べてきたように夫婦別姓選択制度は,婚姻に際しての氏の選択の問題を超えて,日本社会が多様なライフスタイルを受け入れることにつながる可能性をもっている。それは,基本的に社会を構成するのは個人であること,その個人としての人間を尊重する社会こそほんとうの豊かな社会であることを認識させる可能性をもっている。だから,別姓問題は,女性だけの問題ではなく,男性もふくめたすべての人の問題なのである。


(出典:二宮周平「夫婦別姓が問いかけるもの」高橋菊江・折井美耶子・二宮周平『夫婦別姓への招待〔新版〕』(有斐閣,1995年))


〔脚注〕


よすが:手がかり。


戸主:明治民法において,戸主権を持ち,家族を統率扶養する義務を持った一家の家長。


【5】

67 家族に関する基本法は,親子・夫婦の身分関係や家族間の権利義務を定める民法,とりわけ財産法に対置して家族法とよばれる第4編親族法と第5編相続法である。戸籍法は家族法ではなく,民法によって決定された身分関係を記録する身分登録簿に関する法にすぎない。しかし戸籍制度は,次に述べるように明治民法と一体となって「家」制度を形作り,家族秩序・家族法を体現するものとして,国民意識に強い影響をもった。戦後民法改正によって「家」制度が廃止され,戸籍編製の基準も夫婦単位となったにもかかわらず,「家破れて氏あり」といわれたように今日でも氏を契機として「家」意識が残り,家族法として戸籍法を意識する傾向も残っている。明治政府は,国民を把握するために,氏の秩序を形成するとともに,戸籍制度を整備した。明治初年には人口の6%ほどしか氏の公称を許されていなかったが,四民平等の見地から1870(明治3)年には平民苗字許容令が布告され,さらにその5年後には平民苗字必称令の公布にいたる。明治政府は,氏名の制度改革を徹底して行い,それまで幅広く行われていた襲名や改名の慣習が,これらの政策によって瞬く間に失われていった。また同時に,住居ごとに同居者を登録する戸籍制度の整備が進められた。明治当初の戸籍は屋敷番号による「家屋」ごとの住民登録であって,今日の住民基本台帳に近いものであった。しかし住民の移動を追いきれなかったため,戸籍と相互に連絡記載されている寄留簿(これがやがて住民基本台帳に発展する)等の整備によって,戸籍は現住所と一応切り離された身分登録簿に成長していき,屋敷番号,番地に変化して,明治民法立法前には,現行戸籍制度の基礎が完成していた。


68 この戸籍と氏が合体したのが,明治民法の「家」制度であった。明治民法は,立法前までに成立していた戸籍制度を利用して,「家」という家族集団を定めた。すなわち一つの戸籍は一つの「家」であり,戸籍に記載された者は戸主が統括する「家」という家族集団に属するとされたのである。同時にその「家」に所属する家族は,同じ氏を称するものとされ,「氏」=「家名」とされた。明治民法成立までの戸籍実務では,東洋法の氏の伝統に従って夫婦別氏とされていたが,明治民法によって,夫婦は同じ「家」に所属する者として同氏となった。


(中略)


69 家族法は,本来は,家族間の権利義務関係を定めた法規として,その権利や義務の実効的な履行を確保することによって家族を維持し,とりわけ法がなければ守られない家族内の弱者を保護するという機能をもつ。この保護機能を量る際には,家族関係が良好でなくなったとき,とりわけ離婚時に,どれだけ権利義務を実効化させて弱者を保護できるかが重要な判断材料である。日本民法の母法であるドイツ法もフランス法も,すべての離婚を裁判所が関与する裁判離婚とすることで保護性能を確保していたが,明治民法はこのような制度を採用しなかった。明治民法は,第一草案にあった多くの条文を元老院が削除したため実効力を削がれていた旧民法の条文をもとにして,従来の戸籍実務と整合的になるように立法された。すなわち婚姻や協議離婚や養子縁組や協議離縁などは当事者が自由に私的に行い,それを戸籍に届け出て登録するというシステムを採用した。この結果,日本民法は家族法がもつべき保護法としての機能を大幅に失い,相続という効果を除けば,戸籍の登録基準を定める法として主に機能するものになってしまった。この保護法としての民法の無力さは,戦後の改正によっても基本的に変わっていない。


70 日本民法は継受法であり,日本民法の母法であるドイツ法やフランス法は,戸籍制度とは異なる身分証書制度という身分登録簿を前提としていた。身分証書は,もともとは教会で作成される証拠書類であった出生証書・婚姻証書・死亡証書が発展した制度で,住民登録をもとにした戸籍制度とはその出自において根本的に異なっている。明治民法立法者は,従来の戸籍実務と整合するように慎重に立法したが,それでも日本民法と戸籍制度との間にはいくつかの細かい矛盾が除ききれず,それらは現行法まで引き継がれている。


(中略)


71 日本国憲法のもとで行われた戦後の民法改正により「家」は解体された。民法の条文から「家」に関する規定は失われ,家督相続制度が廃止されて,両性の平等と均分相続が実現した。明治民法においては,「家」の異同によって,すなわち氏の異同によって,親権や扶養請求権や相続権などの重要な法的権利義務が異なっていたが,現行民法では,氏の異同による法的効果としては,祭祀財産の承継がわずかに残存するのみである。戸籍法も大規模な改正を受け,「家」を体現する戸籍は解体され,夫婦と氏を同じくする子ごとに戸籍が編製されることとなった。現行戸籍は,「家」の単位であった戦前の戸籍に比べると同籍者の範囲がきわめて狭く,一般に意識されている戸籍イメージより団体性を失っており,かなり個人ごとの戸籍に近づいた存在となっている。


(中略)


72 戦後改正はイデォロギー的にはたしかに大きな転換ではあったけれども,それにもかかわらず「家」意識が根強く残ったことには,氏が大きな機能を果たした。たとえ民法上の法的効果と結びつかなくても,個人の表象である氏名は本人にとって人格権的な意味をもつ非常に重要なものであるにもかかわらず,本人の意思に反しても婚姻に伴って氏を変更させる制度を維持し続けたことは,婚姻とは「家」の変更であり「家」という家族集団が存在するという人々の意識を醸成しまた保持してきたであろう。


73 1996(平成8)年に法制審議会が提案した選択的夫婦別氏制の立法は,反対が多く成立しなかった。戦後「家」意識を温存してきた氏の機能を傷つけるこの立法が難航することは,ある意味で必然であったのかもしれない。その際の議論においては本来互いに独立して考えられるはずの夫婦同氏と婚姻制度と戸籍制度が分かち難く結びついて論じられていた。このような議論の錯綜は,戸籍制度や婚姻制度などが合体して漠然と「家族制度」を形成しているという認識が広く存在していることと,本来の家族法としての機能以上に特定のイデオロギーを宣明するという機能を果たしてきた日本民法の歴史が,冷静に議論して法制度を構築する態度よりもむしろ制度の背景にあるイデオロギーを巡って不毛に対立する態度を生み出すこととによるのであろう。


74 婚姻制度が漠然とした「家族制度」の構成要素としてイメージされると,婚姻とは女性の隷属やシャドウワークの強制を意味すると受け取られてしまいがちである。しかし家族法が本来の保護法機能を十分にもつものであれば,婚姻制度は夫が妻や子に責任をもつ制度であるという側面が前面に出てくるだろう。民法の婚姻制度を改正して,子を育むために必要な安定した夫婦関係を法が最大限保障できるようにするとともに,夫婦別氏選択制を立法して,氏名権を犠牲にせずとも婚姻制度を利用できるようにすべきであろう。


(出典:水野紀子「戸籍と民法」内田貴。大村敦志編『民法の争点』(有斐閣,2007年)


〔脚注〕


身分:人の法律上の地位。夫や妻など。


寄留:一時的に他の土地または他人の家に住むこと。


元老院:1875(明治8)年に設置された機関。


旧民法:1890(明治23)年に公布されたが,施行されなかった民法。


継受法:他国の法制度に基づいて自国で制定した法。


シャドウワーク:対価が支払われない労働。



【6】


75 夫婦別姓をめぐる東京地方裁判所の判決が,大きく報道された。訴訟の原告となったのは,届出をしていない事実上の夫婦,それに結婚をして姓が変わった女性らである。原告らは,婚姻に際して夫婦の一方に姓の変更を強いる現在の民法は憲法に保障された権利を侵害するものであり,その改正が必要であったにもかかわらずそれを怠ってきたとして,国に対して国家賠償法に基づく損害賠償を求めた。これに対して,東京地裁は,氏名が人格権の一部を構成することは認めつつも,別姓を名乗る権利が個人の尊重を定める憲法13条が保障する権利等に含まれることは明らかではないとして,訴えを退けたのである。


76 今回の訴訟の背景にあるのは,夫婦の姓(氏)をめぐる現在の法制度が適切なのかという問題である。そこでは個人や家族が国や社会とどのように関わっていくのか,自らの生き方と他者の生き方はどのように関わっていくのかという,社会の基本的なあり方が問われているのである。


(中略)


77 結婚に際して姓をどのように扱うのかに関する制度設計としては,さまざまなものがあ\る。そこでは,大きく二つの視点がある。


78 第一は,同姓とするか等の視点である。結婚によって一方の姓のみを夫婦両方の姓とす\るのが「夫婦同姓(夫婦同氏)」であるこ,日本の民法は,「夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称する」と定めており,この夫婦同姓を採用している。しかし,結婚してもそのまま従前の姓を使い続ける「夫婦別姓」という制度もある。さらには,従前の姓と相手方の姓を並べる「複合姓」もある。


79 第二の視点は,第一の視点で述べた「夫婦同姓」や「夫婦別姓」等について,選択を認めるか否かという視点である。選択を認める場合,ある夫婦は夫婦同姓を選択するが,別の夫婦は夫婦別姓を選ぶことが可能となる。現在の民法はこのような選択を認めていないが,わが国においても,1996年の法制審議会総会で決定された改正要綱は,選択的夫婦別姓を民法に採用することを提案している。それは,婚姻の際に同姓か別姓かを選択し,夫婦別姓を選択した夫婦に生まれた子については婚姻の際に夫または妻の氏を子が称する氏として定めるというしくみである。


80 選択的夫婦別姓を考える前提として,1つのことを確認しておきたい。

81 第一は,夫婦別姓に対する大きなニーズが現に存在しているということである。氏を含む名前は各自のアイデンティティの一部を構成しているだけではなく,実際上も,氏の変更は無視できない不利益や障害をもたらす。結婚までの年月には長短があるとしても,その間に,人はそれぞれの社会的なつながりの中で,さまざまな経験を積み,一定の評価や信用を得ていく。〇〇さんという名前で努力して得てきた社会的評価や信用は□□さんという名前に変わることによって,時には失われてしまう。もちろん,一定の狭い社会的範囲の中では,氏が変ゎったということも,その人の情報として共有され,〇〇さん=□□さんとして,従前の評価等が維持されるかもしれない。しかし,社会は,そうした狭い範囲だけに限定されるわけではない。説明すればよいと言っても,そうした説明の機会自体,確保されているわけではない。


82 このような氏の変更に伴う不利益は,ある時期までは,大きくは顕在化しなかった。しかし,それは制度的な問題として顕在化しなかったわけではない。単に,結婚後も男性が従前通り仕事をして,女性は結婚すれば家庭に入り,従前の社会とのつながりが切断されることが多かった当時の社会状況によって表面化しなかったにすぎない。他方,女性が結婚しても仕事を続けることが当たり前の社会においては,氏の変更による問題は,具体的な問題として当然に顕在化してくるのである。そして,そのような社会が,現代のわが国において,あるべき姿として求められているということも確認しておく必要があるだろう。


83 第二に確認しておきたいのは,ここで考えられているのが選択賊のひとつとしての夫婦別姓にすぎないということである。社会が変化したから,すべての人に別姓を要求するわけではない。自分たちの生き方として,別姓を選択するということを可能とするのか否かが問題となっているにすぎないのである。このことは,ここでの問題が自らの生き方自体の問題というより,自分とは異なり他者の生き方を許容できるのかという問題であるということを意味している。


(中略)


84 私自身は,夫婦同姓を強いることによって生ずる不利益をふまえれば,すでに現時点でも,選択的夫婦別姓があるべき制度設計なのではないかと考えている。


85 まず,選択的夫婦別姓に反対する論者からは,現在では広く通称の利用が認められており,夫婦別姓のニーズは大きくないという反論がある。一見したところもっともな主張のようである。しかし,これは逆の理由づけにもなる。つまり,社会との関係で通称としての旧姓利用が認められているのであれば,言い換えれば,社会との関係では夫婦であるということが示されない状況がすでに是認されているのであれば,そこでなお戸籍上の別姓は認めないということにこだわることが家族の絆にどのように関わるのかが問われなくてはならない。


86 もうひとつが,現在の日本において氏(姓)が有している意味である。戦前の制度において,氏は「家(イエ)」の名称であり,「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」とされていた。そこでは,「婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入」った妻が,外で仕事をし,イエの名称とは別の通称を使ったとしても,その女性についてのみイエの名称を変更することはできないという説明はあり得た。しかし,現在の民法はこうしたイエという概念自体をもはや捨てている。氏はその所属集団としてのイエの名称ではなく,個人の名前の一部にすぎないのである。このような個人の名称の一部,個人のアイデンティティを構成する部分について,なぜ婚姻によってそれを変更することが強制されるのかを説明することは,やはり困難であるように思われる。


87 さらに,この問題を考えるうえで気になっている事がある。それは,夫婦同姓の堅持が,事実上の婚姻障害として機能しているのではないかという点である。現在,夫婦同姓を避けるために法律婚に踏み出せないという場合が少なくない。社会的必要性や自らのアイデンティティの維持のために,夫婦同姓を受け容れることができないという場合に,ただその一点のみから婚姻という制度を選択できないという状況は,果たして妥当なのだろうか。夫婦同姓が例外なく適用され,その結果,婚姻という法制度によってカバーされない状況が拡張するとすれば,それは,逆に婚姻制度の崩壊をもたらすのではないだろうか。婚姻という法制度を重視するからこそ,社会的に許容可能な範囲で,それを制度設計するという考え方もあり得るように思う。


88 私自身は,自分が特に革新的な立場にある研究者や先端的な自由主義者だとは思っていない。むしろ,婚姻制度に一定の価値を認めているという点では,かなり保守的な発想が強いのかもしれない。にもかかわらずというより,むしろ,それだからこそ,あるべき社会の姿を考える際に,夫婦同姓にこだわること,夫婦別姓という他者の選択を許容しない立場に固執することに疑問を覚えるのである。


89 前述の東京地裁の判断は,法律家の視点から見れば,十分にあり得る結論であろう。しかし,国に対する損害賠償を認めなかったことによって,この問題に真摯に向き合うことまでが否定されたわけではない。人の生き方,他者との関わり,家族と国や社会との関わりを問う基本的な問題であるからこそ,そこでは真摯な議論,理を尽くした議論がなされるべきなのではないだろうか。


(出典:窪田充見「夫婦の姓を考える」『世界』846号(2013年))



夫婦別姓.png



(2)解答例



 私は選択的夫婦別姓に賛成である。根拠としては以下の3点である。

 第一に氏が変わることにより女性に不便や不利益を強要することである。女性が婚姻により氏を改めるに際し、預金口座や保険の名義変更に関わる不便は看過できないものである。

 第二に女性が婚姻により姓を改めることでアイデンティティの喪失につながる。生まれてきてから長く親しんできた姓を捨てることは、憲法13条の個人尊重の原則に反する。

 第三に女性が姓を男性に合わせることは家父長制的女性支配につながり、ジェンダー論の立場から女性の権利擁護のためには認められない。現在の日本の税や社会保障の制度は、女性が結婚して男性の扶養家族になることで、年金や健康保険上のさまざまな恩恵がある。こうした制度によって長らく女性は正規雇用として社会で活躍する機会を奪われてきた。扶養家族という家庭内格差の下に女性に家事育児を過重に負担させる性別役割分業を正当化させることにもつながる。こうした問題点は家父長制が意識の上だけでなく、制度的にも残存していることを示している。

 これに対して選択的夫婦別姓賛成論の論拠について述べると次の2点に集約される。同姓とすることにより夫婦の一体感を増すことができること、1990年の世論調査では反対が賛成を上回ること。前者については、夫婦別姓はあくまでも選択制であるので、夫婦の一体感を期待する夫婦は同姓も選択できる。後者については、若年層は選択的夫婦別姓を支持する者が多く、将来的には賛成が反対を逆転する機会が到来すると予測される。このようなタイミングで選択的夫婦別姓に向けた法改正を進めることで、国民的な合意を取り付けることができる。

 拡大家族から核家族へ。そして、近年では子どもを持たないDINKSや同性婚など家族観やこれに基づく家族は社会や人々の意識の変化とともに変わるものである。法律もこれに合わせて柔軟に変化してゆくことが求められる。選択的夫婦別姓が海外では一般的になっている潮流のなかで、日本ひとりがかたくなに夫婦同姓を守っている。婚姻制度は女性の人権と深くかかわるものであり、旧態依然の制度では、日本は人権後進国の汚名を負いかねない。日本国憲法の基本的人権の尊重に恥じないためにも、選択的夫婦別姓の議論は国を挙げて進めるときが来ている。(993字)


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