(1)問題
問題 「コミュニケーション能力とは何か」と題する次の文章を読んで,設問に答えなさい。
ふつうはしないことを,あえてする
① 就活している学生が「これからは最も重視されるのはコミュニケーション能力だそうです」と言うので,「うん,そうだね」と頷うなずきながらも,この子は「コミュニケーション能力」ということの意味をどう考えているのかなと,ちょっと不安になってきました。きっとこの学生は,「自分の意見をはっきり言う」とか「目をきらきらさせて人の話を聞く」とか,そういう事態をぼんやり想像しているのだろうと思います。もちろん,それで間違っているわけではありません。でも,どうしたら「そういうこと」が可能になるかについては,いささか込み入った話になります。
② 例えば,どれほど「はっきり」発語しても,まったく言葉が人に伝わらないときがあります。個人的な話をします。
③ 何年か前にフランスの地方都市に仕事でしばらく滞在したときの話です。スーパーに行ってマグカップを買おうと,レジに行ったらレジの女性店員に何か訊ねられました。なんとなく聞き覚えのある単語なのですが,意味がわからない。
④ 「え? 何です?」と聞き返してみたが,それでもわからない。二度三度と「え?」を繰り返しているうちに店員は諦めたらしく,肩をそびやかしてマグカップを包み始めました。どうも気持ちが片づかないので,カップを手渡されたあとに,レジの上に身を乗り出して,ひとことひとことゆっくり噛みしめるように,「先ほど,僕に何を訊いたのですか?」と問いかけました。すると店員もゆっくり噛みしめるように,「郵便番号を訊いたのだ」と答えた。「なぜ,郵便番号を?」と重ねて訊くと,「どの地域の人がどんな商品を買っているのか,データを取っているのだ」と教えてくれた。
⑤ 郵便番号(code postal)というのは基本的な生活単語です。もちろん僕も知っていました。でも,それがスーパーのレジでマグカップを買うときに訊かれると,聞き取ることができない。ふつうレジで訊かれるはずの質問リストの中に,その単語が存在しないからです。
⑥ これはコミュニケーション不調の典型的な一例です。一方において意味が熟知されたこと,当然相手も理解してよいはずのことを口跡明瞭に発語しても,相手が聞き取ってくれないことがある。文脈が見えないからです。「スーパーのレジでは買い物に際して顧客情報を取ることがある」という商習慣を知っていれば,文脈がわかる。知らなければ,わからない。
⑦ このときに肩をすくめた女性店員に向かって,僕がレジに身を乗り出して,ひとことひとこと区切って発語したことで,意味のわからない単語の意味が明かされました。これが「コミュニケーション能力」です。そういうことを顧客はふつう,レジのカウンターではしないからです。
⑧ 店員は僕がフランスの商習慣になじみのない外国人であることを察知して,なぜマグカップを買うのに郵便番号を訊くのか,その理由を教えてくれました。そういうことはふつうレジのカウンターで店員はしてくれません(うるさそうに肩をすくめて「バカか,こいつ」という顔をしておしまい)。僕は,彼女が僕のためにこの説明の労を取ってくれたことを多とします。これは彼女の側の「コミュニケーション能力」です。
⑨ つまり,コミュニケーション能力とは,コミュニケーションを円滑に進める力ではなく,コミュニケーションが不調に陥ったときに,そこから抜け出すための能力だということです。
⑩ 今の例でおわかり頂けるように,それは「ふつうはしないことを,あえてする」というかたちで発動します。買い物客はふつうレジに身を乗り出して,店員の発言を確認しません。レジの女性店員たちはふつう,フランスのローカルな商習慣を外国人に説明しません。僕たちは二人ともそれぞれが「ふつうはしないこと」をした。それによって一度途絶したコミュニケーションの回路は回復しました。こういうのがコミュニケーション能力の一つの発現形態だと,僕は思います。
⑪ 「ふつうはしないこと」は,「ふつうはしないこと」という定義から明らかなように,マニュアル化することができません。それは臨機応変に,即興で,その場の特殊事情を勘案して,自己責任で,適宜コードを破ることだからです。コードを破る仕方はコード化できない。当たり前です。
⑫ 同じような例をもう一つ。これもスーパーで買い物をしたときの話(今度は日本で)。スーパーのレジというのは,どうもコミュニケーション不調の多発地点のようです。
⑬ 夕食の材料を買い込んでお金を払おうとすると,若い男の店員に「ホレーザ,ゴリヨスカ」と言われました。意味がわからないので,「え?」と聞き返しました。店員は同じ言葉を同じ口調で繰り返しました。三度目に問いたとき,それが「保冷剤,ご利用ですか?」だということがわかりました。
⑭ 同じような「聞き取りそこね」は,日々多発していると思います。でも,考えてみれば,このコミュニケーション不調は,客に聞き返されたときに,例えば「傷みやすい食材を冷やすために,保冷剤をお入れしますか?」と言い換えれば済むことです。「冷やす」という語が先に来れば,彼の滑舌の悪い「ホレーザ」が「保冷剤」であることは,おおかたの日本人にはわかります。その手間を惜しんだところに,彼のコミュニケーション能力の低さが露呈しています。
⑮ でも,これは彼の個人的な資質問題には帰すことができません。というのは,そのような「言い換え」を必要に応じて店員が自己責任で行うことを,日本の企業は好まないからです。管理部門は,フロントラインの人間が自己裁量で「マニュアルにあること以外の言葉」を目にすることを嫌います。そんなことをされたら,現場の秩序が乱れ,指揮系統が混乱すると思っているのです。こういう店の接客マニュアルを起案する管理職の人たちは,顧客と店員の間で取り交わされる対話はすべて予見可能でなければならず,店員はそこに指示された以外の言葉を口にしてはならないと信じています。
⑯ これは,現代社会に取り憑いた「コミュニケーション失調」の典型的な病態です。どうコミュニケーションすべきかについて事細かなルールや教訓があるのに,一度不調に陥ったコミュニケーションをどうやって再開させるかについての経験知はひと言も語られない。
⑰ それは,コミュニケーション能力というのが,「適宜ルールを破る」ことだからです。「ふつうはしないことをする」ことだからです。管理者たちはそれを恐れるあまり,「ルールが破られるくらいなら,コミュニケーションなんか成立しなくてもいい」という判断に与してしまう。ほんとうにそうなのです。
マニュアル化が生き抜く力を奪う
⑱ 大学を辞めたのでもうしなくてよくなって,ほっとしていますが,センター入試の試験監督という仕事が大学教員にはあります。1センチほどの厚さのマニュアルを渡されて,それを熟読し,そこに書かれている通りに入試業務を進行するという,悪夢のような仕事です。僕は退職前には入試部長という。仕事をしていましたが,試験前に読むことを求められた「責任者用マニュアル」は全6冊,片手では持てない厚さと重さでした。
⑲ その中で,年々頁数が増してゆくのが「トラブル対応集」でした。「試験中奇声を発する受験生」や「『必勝』はちまきをしている受験生」や「強烈な香水をつけている受験生」をどう処遇すべきかが,そこには書いてありました。前年から増えた増補分は,おそらく「前年にどこかの会場であった実例」でしょう。でも,このペースで毎年改定を続けてゆくと,やがで「トラブル対応集」だけで数百頁の読み物となってしまうことに気づいた人たちがいて,「センター入試はもうやめよう」ということになった。制度廃絶の一因は,監督マニュアルの無限増殖にあったのだろうと,僕は推察しております。
⑳ 「ありうるすべての事態を網羅的に列挙し,それについての個別の対応を精密にマニュアル化すべきだ」というのは,現代社会に取り憑いた病です。それもたいへん重篤な病です。まことに愚かなことだと僕は思います。
21 マニュアル信奉者は,マニュアルは精緻化するほどに浩瀚こうかん(注1)な書物となり,あるレベルを超えるともはや「取り扱い説明書」の用をなさなくなるという,当たり前のことに気づいていません。
22 でも,もっと重大なのは,マニュアルを精緻化することで,僕たちの社会は「どうしてよいかわからないときに,適切にふるまう」という,人間が生き延びるために最も必要な力を傷つけ続けているということです。そのことの危険性に誰も気づいていない。
23 もう一度繰り返しますが,コミュニケーション能力とは,この「どうしてよいかわからないときに,どうしたらよいかがわかる能力」の一種です。最も適切なやり方で,「コードにないことをする」「コードを破る」能力です。
24 僕たちが生きている間に遭遇する決定的局面は,すべて「どうしていいかわからない」状況です。結婚相手を決めるときも,就職先を決めるときも,乗った飛行機がハイジャックされたときも,神戸にゴジラが上陸したときも,僕たちは「こうすれば正解」ということをあらかじめ知らされていません。どうしていいかわからないけれど,決断は下さなければならない。人生の岐路というのは,だいたい「そういうもの」です。
25 わが国のエリート層を形成する受験秀才たちは,あらかじめ問いと答えがセットになっているものを丸暗記して,それを出力する仕事には長けていますが,正解が示されていない問いの前で「臨機応変に,自己責任で判断する」訓練は受けていません。むしろ誤答を病的に恐れるあまり,「想定外の事態」に遭遇すると,「何もしないでフリーズする」ほうを選ぶ。彼らにとって「回答保留」は,「誤答」よりましなのです。でも,ライオンが襲ってきたときに「どちらに逃げてよいか,正解が予示されていないから」という理由でその場に立ち尽くすシマウマは,たいてい最初に捕食されます。ですから,秀才たちに制度設計を委ねると,その社会が危機を生き延びる可能性は必然的に逓減ていげん(注2)することになります。
26 コミュニケーションがうまくゆかないという人たちは,ほとんど例外なく,「ルールを破る」ことができない人です。立場が異なる者同士が互いにわかり合えずにいるのは,それぞれがおのれの「立場」から踏み出さないからです。自分の「立場」が規定する語り口やロジック(注3)に絡め取られているからです。
27 武道では,「立場にしがみついていること」を「居着き」と言います。そして武道の修業はその過半を,「居着きを去る」ための心身の訓練に割きます。居着く人は,危機的状況に際会したときにも「どうしていいかわからない自分」に居着いてしまう。「恐怖している自分」「混乱している自分」に居着いてしまう。そして,それを死守しようとする。「居着くと死ぬ」というのは武道における基礎的な知見ですけれど,現代社会ではこの知見は集団的には共有されておりません。
28 むしろ,さまざまな制度は,僕たちに向かって「居着け」と命令している。「お前の立場から逸脱するな」「ジョブ・デスクリプションに書いてある以外のことをするな」「決められた台詞以外は口にするな」。それは短期的には効率的に見えるのかもしれません。でも,長期的に見ると,それが引き起こしているコミュニケーション失調のせいで,僕たちの社会制度はあちこちで綻ほころび始めています。
29 その「綻び」をどうやってつくろったらいいのか。制度の外に仮説的に立場を移してみないと制度の瑕疵かし(注4)は見えてこないし,制度が破綻したところを修理補正するためにはどうしたらいいのかということは,制度内言語で書かれたマニュアルには書かれていません。
相手の体温を感じるところまで近づくこと
30 コミュニケーション失調からの回復のいちばん基本的な方法は,いったん口をつぐむこと,いったん自分の立場を「かっこにいれる」ことです。「あなたは何が言いたいのか,私にはわかりません。そこで,しばらく私のほうは黙って耳を傾けることにしますから,私にもわかるように説明してください」。そうやって相手に発言の優先権を譲るのが対話というマナーです。
31 でも,この対話というマナーは,今の日本社会ではもうほとんど採択されていません。今の日本でのコミュニケーションの基本的なマナーは,「自分の言いたいことだけを大声でがなり立て,相手を黙らせること」だからです。
32 相手に「私を説得するチャンス」を与える人間より,相手に何も言わせない人間のほうが社会的に高い評価を得ている。そんな社会でコミュニケーション能力が育つはずがありませんじ「相手に私を説得するチャンスを与える」というのは,コミュニケーションが成り立つかどうかを決する死活的な条件です。それは「あなたの言い分が正しいのか,私の言い分が正しいのか,しばらく判断をペンディング(注5)する」ということを意味するからです。
33 それはボクンングの世界タイトルマッチで,試合の前にチャンピオンベルトを返還して,それをどちらにも属さない中立的なところに保管するのに似ています。真理がいずれにあるのか,それについては対話が終わるまで未決にしておく。いずれに理があるのかを。しばらく宙づりにする。これが対話です。論争とはそこが違います。論争というのはチャンピオンベルトを巻いたもの同士が殴り合って,相手のベルトを剥ぎ取ろうとすることだからです。
34 対話において,真理は仮説的にではあれ,未決状態に置かれねばなりません。そうしないと説得という手続きには入れない。説得というのは,相手の知性を信頼することです。両者がともに認める前提から出発し,両者がともに認める論理に沿って話を進めれば,いずれ私たちは同じ結論にたどりつくはずだ,そう思わなければ人は「説得」することはできません。説得するためには,対面している相手の知性に対する敬意を,どんなことがあっても手放してはならない。そして,先ほどから述べている「コードを破る」というふるまいは,相手の知性に対して敬意を持つものによってしか担われないのです。
35 コミュニケーションの失調を回復するためには,自分の立場を離れて,身を乗り出す他にありません。僕はスーパーのレジで,文字通りつま先立ちになって,カウンターの上に身を乗り出して話しかけました。立場を離れるというのはそういうことです。相手に近づく。相手の息がかかり,体温が感じられるところまで近づく。相手の懐に飛び込む。「信」と言ってもよいし,「誠」と言ってもよい。それが相手の知性に対する敬意の表現であることが伝わるなら,行き詰まっていたコミュニケーションは,そこで息を吹き返す可能性があります。
36 コミュニケーション能力の発現の例を,最後に二つ挙げておきます。
37 凡庸な攘夷論者であった坂本龍馬は,開国論者である幕臣勝海を斬り殺すために,勝の家を訪れたことがありました。そのとき,勝は龍馬を座敷に上げて,「お前さんたちのようなのが毎日来るよ。まあ,話を聴くがいいぜ」と,世界情勢について長広舌ながこうぜつ(注6)をふるいました。龍馬は話を聴いているうちにたちまち開国論に転じ,その場で勝に弟子入りしてしまいました。龍馬を「説得」したのは,勝の議論のコンテンツの正しさではありません(龍馬には勝が語っていることの真偽を判定できるだけの知識がありませんでした)。そうではなく,自分を殺しに来た青年の懐にまっすぐ飛び込み,その知性を信じた勝の「誠」です。
38 幕末の逸話をもう一つ。
39 山岡鐵てっ舟しゅうが,江戸開城の交渉のために,駿府に西郷隆盛を訪ねて東海道を下ったときの話。薩人益満休之ますみつ きゅうの助すけひとりを伴った鐵舟は,六郷川を渡ったところで篠原国くに幹もと率いる官軍の鉄砲隊に遭遇しました。鐵舟はそのままずかずかと本陣(注7)に入り,「朝敵徳川慶喜家来山岡銭太郎総督府へ通る」と大音あげて名乗りました。篠原は鐵舟のこの言葉を受け容れて,道を空けて,鐵舟を通しました。
40 鐵舟と篠原では立場が違っていました。用いるロジックが違い,使うコードが違っていた。コミュニケーションが成立するはずのない間柄でした。けれども,鐵舟はそこに奇跡的に架橋してみせました。
41 このとき鐵舟は,篠原に次のようなメッセージを送ったのだと思います。
42 あなたがたから見たら私は殺すべき相手である。私はそれを理解している。あなたの立場であれば,それは当然だろう。だが,その判断を私に機械的に適用することを,今いっときだけ停止してはもらえまいか。判断を留保して,「目の前にいるこの男の言い分にも,あるいは一理あるのかもしれない」という仮説的な未決状態を採用してはもらえまいか。現に私は幕臣であれば決して口にすることのない「朝敵家来」という名乗りをなしているではないか。私は私のコードを破った。あなたはあなたのコードを破ってはくれまいか。
43 篠原に向かって鐵舟はそう言って「身を乗り出して」みせました。コミュニケーションを架橋したのは鐵舟の「赤誠」でした。僕はこのような力をこそ,コミュニケーション能力と呼びたいと思うのです。
【出典】内田樹「街場の共同体論』(潮出版社。2014年,*原文の縦書きを横書きに直し,漢数字の一部を算用数字に改めました。
【用語説明】
(注1),浩瀚:書物の巻数やベージ数が多いこと。
(注2)逓減:次第に減ること。
(注3)ロジック:論理。
(注4)瑕疵:欠点。
(注5)ペンディング:保留すること。
(注6)長広舌:長々としゃべり続けること。
(注7)本陣:陣地で大将がいる場所。
設問1 著者は,マニュアルの精緻化を現代社会に取り憑いた病と表現しています。それはなぜでしょうか。著者の考えに基づき300字以内で説明しなさい。
設問2 この文章で述べられている著者の主張に500字以内で反論しなさい。
(2)解答例
設問1
現場の人間が自己裁量でマニュアルにあること以外の言葉を口にすると現場の秩序が乱れ指揮系統が混乱する、顧客と店員の間で取り交わされる対話はすべて予見可能でなければならず,店員は指示された以外の言葉を口にしてはならない。このように管理職の人たちは信じ、一度不調に陥ったコミュニケーションをどうやって再開させるかについての経験知はマニュアルにはひと言も語られない。コミュニケーション能力とは最も適切なやり方で,「コードにないことをする」「コードを破る」能力であるのに私たちの社会は「どうしてよいかわからないときに,適切にふるまう」という,人間が生き延びるために最も必要な力を傷つけ続けているから。(295字)
設問2
筆者はコードつまり文脈を破る能力をコミュニケーション能力と定義している。しかし、前提として、文脈自体を理解できなければ、文脈を破ることはできない。コミュニケーション能力とは、「文脈を理解すること」という通常の理解で捉えて定義してよいだろう。
文脈は時間・場所・場面によって発生する。その場に応じた口調や話の内容を臨機応変に使い分けることでコミュニケーションは円滑に進む。家族や友人相手の会話と会社で上司や取引先相手との会話が異なるのは言うまでもない。これがきちんとできることが社会人としての常識である。筆者の批判する「マニュアル化」がこの常識にあたるものであり、もちろん常識のなかには理不尽なものもあれば時間とともに変化するものもあるが、T P Oへの適切な対応でわたしたちの日常は安定的に維持されていることは間違いない。
一方、筆者の主張する「コードを破る」能力は非日常的な場面や例外状況で必要な能力である。これはコミュニケーション能力というよりも、危機管理能力と呼んだほうが妥当である。危機管理においても、マニュアルは必須であることは言うまでもないことから、筆者の主張は極論もしくは暴論である。(498字)
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