「国家から都市へ」横浜国立大学都市科学部都市社会共生学科2019年

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(1)問題


問題 次の元広島市長で数学者の秋葉忠利による文章を読んで,後の問いに答えなさい。

① 世界観が大きく変わることをパラダイム転換と言います。世界観もパラダイムも難しい言葉ですが,人類は何度かその転換を経験しています。たとえばガリレオ(ア)の時代に人類は天動説から地動説(イ)へ世界観を変えました。天動説も地動説も一つのパラダイムですが,このようなパラダイムの転換を人類は経験してきたのです。

② 大事なのは,世界観を変える秒読みが間違っていると正しい結果に到達できないことです。もし人類が未だに天動説を信じていたとしたら,月には行けなかったでしょう。地動説になったからこそ,それが可能となったのです。それと同じようなことが今,世界や社会を考える上で起こっているのではないかと思います。それをこれから説明しますが,今の時点でパラダイムが変わりつつあることを認識した上で,それを加速するために努力したり次の時代のデザインをすることが大切だと思います。

③ では現在進行中のパラダイム転換は何なのでしょうか。

④ それを説明するために五木寛之(ハ)さんの力を借りたいと思います。五木さんの書かれた『下山の思想』という好著があります。その中で,五木さんが提案している考え方は大体次のように要約できます。まず,これまでは右肩上がりの時代でしたが,今は右肩下がりの時代になっています。このことは,近年の経済を見ればお分(わ)かりだと思います。ここで「右肩下がり」という理由は,一枚の紙,それは二次元の存在ですが,それに経済成長のグラフを描くと確かに右肩下がりになっているからです。五木さんは,あえてそれを三次元の世界で考えよう,つまり山を下(お)りるというイメージで考えようと提案しています。その上で,今は下山の時代ではないかと思っているのです。

⑤ 五木さんは作家ですし,仏教に詳しい方ですので説得力があるのですが,『下山の思想』の説得力に数学が関係していたことをとても嬉しく思いました。グラフだけを見ていると,右肩上がりの時代から右肩下がりの時代になったことは,プラスからマイナスへの変化,勝ち組みから負け組への転落というように,物事が悪い方向に変わっているというイメージが中心になっています。極端に言えば,悪い面しか見えなくなってしまう表現の仕方です。

⑥ それを登山と下山というイメージに捉え直すことで,山を登るときの苦しさや汗も感じることができ,下山の際の眺望や余裕を持ってゆっくりゆく快適さ,緩やかな風の心地良さを伴う経験としても解釈できるようになるからです。これは高齢化している現代の社会に生きている私たちの世代が,最近感じ取っている人生観に通じるところもあるのです。

⑦ そのような素晴らしい五木さんの数学的比喩を,さらに膨(ふく)らませることはできないかと考えてみました。一つ気付いたのは,永遠に山を下り続けることはできないということです。普通は,山を下りると平地に行き着きます。五木さんの『下山の思想』の中では触れられていませんが,この平地になるという部分がとても大事なのではないかと思ったので

⑧ この比喩になぞらえて表現すると,「維新」は登り始めです。明治維新派日本が世界という山に登山を始めたことなのだ,と言うと分かり易いと思います。(中略)でも山というイメージで捉えると,上昇していても,それは永遠には続かないのです。五木さんはその点も伝えたかっのだと思います。

⑨ 山を下りる比喩をさらに発展させましょう。下山して平地に着いてからのことです。世界の四大文明は全て平地で興りました。デルタ地帯という特徴を持つ平地に文明が開化しているのです。平地にたくさんの人が集まってきた結果,文明が興ったのです。都市を人が集まる場所と考えると,これからは平らな土地に人が集まり都市になり,その都市を中心にして未来を考える時代になっているのだと,五木さんの考えを敷衍(ふえん)してみたいと思います。

⑩ この比喩を借りて説明すると,現在進行中の「パラダイム転換」は,世界を山と考え,人間の活動を勝ち負けや登る下りるという上下の活動として捉えるのではなく,世界を平地と考え,平地の中で人間がどのように活動するのかを考えることへの移行です。平地の中で隣の国,そして他の国々とどうしたら仲良くできるのか,ということも上下関係としてではなく水平の関係として考えるという提案です。それは,支配・被支配の関係から離れ,お互い同士をパートナーとして考える枠組みを採用することです。別の言い方をすると,世界が国家という単位で成りたっていると考える時代から都市の集まりだと考える時代になってきている,と言えるのではないかと思います。

⑪ これは,広島市長として12年間に私が感じたことと同じです。「山」から「平地」への移行。あるいは「支配・被支配」の世界から「パートナーシップ」の世界への移行には多くの側面があります。それを五つに分けて掲げておきます。

⑫ これらの側面は,私が半世紀以上関わり観察し続けてきた原水爆禁止運動や核廃絶運動がどのように変わってきたのかを整理することで,浮かび上がってきたものです。その変化を平和市長会議の活動と重ね合わせたり,世界的な規模での市民的な運動や女性学の進化,そしてインターネットの普及と共に変わりつつあるマスコミの動き等,現在進行中の世界の動きも取り入れながら,大きな束として表現したものです。

⑬ まず,報復から和解の時代へと変わってきています。たとえば,リンカーン(エ)の和解や被爆者の和解があります。リンカーンの和解はすいぶん前の時代のものなのですが,今の時代でも輝き続けていますのであえてここに加えておきました。和解とは,やられたらやり返せ,やられる前にやっつけろ,ではなく「敵ではありません,友人です」であり,「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」ということなのです。あえて「パートナーシップ」という言葉を使わせて貰うと,敵と味方とのパートナーシップです。

⑭ 国家単位の世界から都市単位への世界へと思考の枠組みを変えるのが二番目の変化です。これについては,後ほど詳しく説明します。

⑮ 三番目は,専門家優位・依存から市民が主体として責任を持つ時代への変化です。原発についての問題提起をし始めたのは,専門家ではなく市民です。その傾向がさらに強くなってきています。「専門家が安全と言っているから私たちは従っていれば良い」という考えから,「いや,待て。自分の命や生活,子どもたちのことが関わっているのだから自分で調べて理解し,その上で態度を決めたい」という風潮になってきています。専門家と市民との間のパートナーシップの誕生です。

⑯ 四つ目は,イデオロギー主導から人間中心への変化です。原水爆禁止運動の中で一時期(オ),「ソ連の核実験で出た死の灰ならかぶります。でも,私は原爆に反対です」と言う人たちが大きな勢力を持っていた時代もありましたが,今はそんなことを言う人はいなくなりました。放射線は誰がつくっても放射線であり,強力な国権が押し付けても清潔な放射能をつくることはできないことも浸透して,事実に基づいて考えることができるようになりました。このような判断ができてきたのは,専門家と市民との間の健全なパートナーシップが機能し始めているからです。それと軌(き)を一(いつ)にして,被爆者の人間的なメッセージが世界的に重んじられるようになってきているのです。

⑰ 五つ目には,「少数派」が実は自分たちが多数派であることに気付き,多数派としての自覚の下に行動し始めていることも大切です。原発や核兵器等の問題について詳しいことを言っても,新聞に載らない。官邸前のデモも,マスコミの判断基準の中で,意味のないことだと考えられると,10万人の人が集まっても一人のデモと同じ扱いしかされない。しかし,マスコミが無視しても,インターネットでつながることによってたくさんの人が同じ考えを持っているのだということが分かってしまうのです。その典型がアラブの春(カ)で,独裁的な政権についての批判が,市民のツイッターやフェイスブック,そしてブログで多数派であることが分かり,行動が起きてしまう。マスコミの報道を待って大きな流れを知りそれに参加するパターンから,市民一人一人が独立しながらお互いパートナーとして結び付き共に行動するという新たな枠組みができたのです。

⑱ 以上のことをまとめると,支配・被支配の枠組みで考えるのではなくパートナーとして考え,さらにイメージ的には,山を登り下りするのではなく平地の上で行動すると考えるということなのです。

⑲ 「国家」から「都市」へという思考の枠組みの変化を理解する上で,分かっている積(つ)もりになっても,実はあまり客観的に考えることの少ないであろう「都市」について,簡単にまとめ,整理しておきましょう。

⑳ 「都市」とはいったいどんな存在なのか。そしてその特徴は何なのかをまず考えたいのですが,一番大事なことは「多様性」です。たくさんの人が少しずつ違ったことを考え,行動する中から,創造,文化,エネルギーが生まれます。多様性を生かすためには,「寛容さ」も大切です。経済的に元気な都市は寛容な都市です。これは,トロント大学のリチャード・フロリダ(キ)教授の研究の成果です(後略)。それと矛盾するようですが,たくさんの人が集まって地理的に近い場所に住み生活し,同じようなことを考えたり,同じような行動パターンになることからも力が生まれます。「多数派」の力です。矛盾するようですが,この両者を併せ持つことで都市は力を持っているのです。

21 また,都市はイデオロギーを超えた存在です。議員と首長の違いを考えてみて下さい。基本的には,議員は自分の支持者の代弁をする存在です。当然イデオロギーにも深く関わります。そして意見の異なる複数の議員がいることで多様性も担保されています。対して,首長は全市の代表として,全ての市民の立場を考慮して仕事をします。自分に投票してくれなかった市民たちの代理も努めます。矛盾を乗り越えて,最後には一つの結論を出さなくてはならないのですが,それも多くの市民の日常生活のレベルから関わった上での最終決定なのです。こうして,イデオロギーを超える立場に立たないと都市としての活力が生まれないのです。市長が,矛盾した市民の意見に考慮しつつ,合意を作りつつ,都市としての前途を図る姿こそ都市の特徴です。

(秋葉忠利『新版 報復ではなく和解を――ヒロシマから世界へ』)(岩波現代文庫,2015年,108~116頁より抜粋,108頁の最初の5行分と文中に明示した二箇所を省略,また小見出し部分も省略した。ルビには出題者が追加したものもある)

注は省略した。

問1 下線部にこの平地になるという部分がとても大事なのではないかとあります。筆者はなぜそう考えるのか200字程度で記しなさい。

問2 筆者の主張を踏まえながら,あなたが考える活力ある都市のあり方について600字程度で述べなさい。

横浜港.png




(2)解答例



問1 

平地に多くの人が集まった結果文明が興った。この平地が都市になり,その都市を中心にして未来を考える時代になっている。現在進行中の「パラダイム転換」は,世界を平地と考え平地の中で隣国や他の国々との国際関係を「支配・被支配」の上下関係としてではなく「パートナーシップ」としての水平の関係として考えるものである。つまり世界を国家単位ではなく都市の集まりだと考える時代になってきているから。(189字)

問2 

 都市の活力は多様性から生まれる。横浜市は1859年の開港以来、首都東京に近接する港湾都市として、海外との貿易により発展した。開港以来多くの外国人が住み、特に中華街は長崎と並ぶ観光の名所として国内外から多くの観光客を呼び込んだ。中国人だけでなく、他のアジア地域や欧米などの多くの在留外国人が住みその数は8万人を越え、市民の2.2%を占め、全国平均を上回る。

 こうした多様性は中華街に代表される食文化、横浜国立大学、市立大学などを中心とする産官学連携によるイノベーションを生み出す原動力なっている。多様性の一方で、異文化摩擦も懸念される。川崎市ではヘイトスピーチが起こり、外国人に対する差別や偏見が深刻な問題化した。筆者も言うように、多様性を生かすためには,寛容さも重要となる。外国人を日本のルールやマナーに一方的に従わせるのではなく、たとえばイスラム教徒のハラルや礼拝といった宗教やエスニシティ―に基づく外国人の生活習慣やルールに対する私たちの理解を深め、このような習慣に配慮する公共性を共に考える姿勢も私たちに求められる。これは横浜国際港都建設法に謳われた理念とも合致する。

 外国人との共生という課題は何も横浜市だけに限られるものではない。コンビニや飲食店員、宿泊業の従業員など多くの場所で外国人の姿を見かけるようになった。日本では、現在人口減少が進行している。不足する労働人口は外国人によって補っていかなければ、日本経済は回らない状況になっている。こうした状況は地方の都市で顕著である。筆者が指摘するように、都市は多くの人口によって支えられる。外国人も多数を形成する都市住民の重要な構成要員である。細部では外国人の暮らし方は日本人のそれとは異なるが、衣食住の日常生活や子どもを産んで育てるといった多くの部分は私たちと変わりない。外国人が日々の暮らしに支障がある場合、彼ら/彼女らに対する社会保障や日本語教育、子どもに対する支援も必要になる。在留外国人との良好なパートナーシップを構築することは、地方の都市にとって喫緊の課題である。

 私は大学での学びを通して異文化理解を深めたい。卒業後には、この学びを生かし包摂的な空間の形成に向けた仕事をすることが目標である。そして開港150年を経過した横浜の町をさらにグローバルな未来都市として発展させることに努力を惜しまない所存である。(1000字)



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