新しい仕事を依頼してくれた社長が、
初回のミーティングをドタキャンしてきた。
急な予定が入ったとか、次の予定もわからないとか、
申し訳なさそうな話しぶり。でも、
仕事を頼むのを迷っているんだろうなというのが
なんとなくわかってしまう。
それならそうと言ってくれればいいのに。
そんなことも言えないから、業績が上がらんのよ。
あれ?急に社長の見方が変わった。
さっきまで、業績を激変させる戦略を社長のために考えていたのに。
一瞬で「箱」に入った話。
先週の約束した通り
今日は「行動」と「心の持ち方」の話に戻ることになっていたので、
相手に何かを伝えるときには、
話し方や態度といった「行動」よりも、
伝える側がどういう気持ちかという
「心の持ち方」が相手に伝わるという話をします。
相手が誰であっても、上司も部下も関係なく、男性でも女性でも、
年上でも年下であってもです。
相手が人であればそれを感じることができるのが人だと思う。
例えば、自分のことを思って、
厳しい言葉で叱ってくれる人とやさしい言葉ではあるけれど、
実は自分を見放なしている人の違いを感じることができます。
それは、誰もが体験していることです。
お礼を言う、慰める、謝る、感謝するこれらすべて
「行動」が大切ではないといっているわけではなく、
伝わるのは何かということでは
「心の持ち方」は「行動」よりもさらに大切なのです。
つまり自分の「心の持ち方」は相手に与える影響があるわけです。
自分と相手の関係、つまり人間関係には家族も会社も含まれます。
なぜなら、家族も会社組織も人と人でできているからです。
【話を整理すると】
「行動」には、話し方や表情、身振り手振りといったものもすべて入ります。
この「行動」よりも更に奥深いところに、
二つの「心の持ち方」があります。
まず一つ目は、「思いやりの心」です。
これは、人を人として見ることです。
人を人として見ると、その人の希望、要求、不安や心配に対して思いやりが出
てきます。
よく言われる相手のことを考えて、
自分と同じように他人にも接するということです。
そして、もう一つは「抵抗心」です。
思いやりの心が人を人として見ていたのに対し、
今度は、人を物として見ることです。
しかし、人を物として見ることなど本当にあるのでしょうか?
【よくある疑問】
自分は他人を物として扱ったことがないので、
物として見るとはどういうことなのかわからないと言われることがあります。
それでは車を例にしてみましょう。
車を持っている人は思い立ったときにいつでも、
どこへでも行けるから、行動範囲が広がります。
家族や友達を乗せて出かけるにも、
荷物を積んで運ぶにも車はとても「便利な道具」です。
しかし、自宅の前に誰かの車が停まっていたとしたらどうでしょう。
車を避けて通行しなければなりませんから、
このとき車は単なる「邪魔な物」になっています。
そしてもうひとつ、
ただ駐車場に停まっているだけの車は何の役にも立っていませんし、
邪魔にもなっていません。
今度は存在が忘れられたように「無関心な物」になっているのです。
【本当はどうなんだ】
「無関心な物」にもなったのと同じように人を扱うことがないでしょうか?
例えば、部下を自分のやりたくない仕事をやらせる「便利な道具」使っていた
り、細かいところまでいちいち指示を出すうるさい部長を「邪魔な物」として扱ったり、面倒ばかりおこす仕事のできない同僚を「無関心な物」として扱ったことがないでしょうか?人を物として見ると、まず現状を見ようとしなくなります。そして、事実も見えなくなってしまいます。仮に見えたとしても物として扱っている相手は自分にとって価値も、意味もない、自分より劣ったものとしか見えなくなってしまうのです。相手を自分より下に見ると、その存在を否定してしまうのです。
【もしも、あなたが】
「自分に限ってそんな酷いことはしない」と考えたとしたなら、それは私に
する「抵抗心」なのかもしれません。自分の考えや、今までの経験を否定する「邪魔な物」に見えているのかもしれません。
でも、それが本当かどうかは、普段接している社内の上司や部下、同僚には知られていることです。なぜなら彼らに伝わっているのはあなたの「心の持ち方」だからです。