💎仕事で困ったら!
(縁に従うとすべてが好転し始めます)
(順境もよし逆境もよし)
仕事には、順境もあれば逆境もあります。
どちらもさほど違いはありません。
単なる「変化」に過ぎないからです。
変化がもたらす境遇は、自分の力で無理に変えることはできません。
しかし、その境遇の中で自分を生かすことはできるはずです。
その経験したことが、やがて変化の波を起こして、順境へと転じて行くのです。ですから、逆境にあるからと言って落ち込むことはないという事です。
(難題と思えることに直面したら)
難題と思えることに直面すると、人の心というものは非常にざわつくものです。ざわつくと、頭の中で「どうしよう、どうしよう!」と堂々巡りするだけとなります。故に、何よりも心を落ち着けることが肝要となります。
「大丈夫何とかなる!」とつぶやいて見て下さい。
つまり、たいていの事は何とかなるものなのです。
それは、同じ人間の人が経験していることだからで、自分がまだ経験していないからです。心を落ち着かせて、受け入れて、対処しましょう!
💎仕事をより向上させるために!
(自分の仕事)
どんな仕事でも、それが世の中に必要なればこそ成り立つので
世の中の人々が求めているのでなければ
その仕事は成り立つものではありません。
人々が街で手軽に靴を磨きたいと思えばこそ、
靴磨きの商売も成り立つので、さもなければ靴磨きの仕事は生まれもしないはずです。これ、私が福岡市内で会社訪問していた折には、多くの靴磨き屋さんを見かけました。今はいないと思うのですが!
だから、自分の仕事というものは、自分がやっている自分の仕事だと思うのは、とんでもないことで、本当は、世の中にやらせてもらっている世の中の仕事なのです。つまり、ここに仕事の意義があるのです。
自分の仕事をああもしたい、こうもしたいと思うのは、その人に熱意があればこそです。
自分の仕事は、世の中の仕事であるということを忘れたら、
それはとらわれた野心となり小さな自己満足となるだけです。
やはり、仕事が伸びる伸びないかは、世の中が決めてくれるものです。
世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしていけばいいのです。
大切なことは、世の中にやらせてもらっているこの仕事を、
誠実に、謙虚に、そして熱心にやることなのです。
世の中の求めに精いっぱいに応えることです。
おたがいに自分の仕事の意義を忘れたくないものです。
(働き方の工夫)
額に汗して働く姿は尊い。
だがいつまでも額に汗して働くのは、知恵のない話なのです。
それは東海道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようにテクテク歩いている
姿に等しい。
東海道五十三次も徒歩から駕籠へ、駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと日を追って進んできています。
それは、日とともに、人の額の汗が少なくなる姿です。
そして、そこに、人間生活の進歩の跡がみられるはずです。
人より一時間、よけいに働くことは尊いものです。努力の賜物です。
勤勉という事です。
しかし、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも
また尊いものです。
そこに、人間の働き方の進歩があるのではないでしょうか?
それには、創意がなくてはできません。
工夫がなくてはできないはずです。
働くことは尊いものです。しかし、その働きに工夫がほしいということ、
創意が欲しいということです。
それが、今の時代にはこの創意工夫というものに対して、
インターネット&AIというものが対応できるように進展してきているという事ではないでしょうか?
怠けろという事ではなくて、これがさらなる人間の生活の進展という事では
ないでしょうか!
時代の流れがそういうフィーリングになっているのです。
ですから、逆らうのではなく、やはり、楽々と働いてなお素晴らしい成果が
上げられる働き方をと時代の変化がもたらしていると考える次第です。
それでこそ社会の繁栄も生まれてくるはずです。
徒歩から飛行機へとと同じフィーリングが働き方に及んでいるという事だと
思っています。
(旗を見る)
射撃場に行って、射撃の練習をすると、遠い標的の下に監視の人がいて、
発射のたびに旗を振ってくれます。
その旗の振り具合で、狙いが的を射たか、はずれたか、右に左にずれたかが
一目でわかり、次の狙いを修正する。
こんなことを繰り返して、しだいしだいに上達するわけで、もし、
この旗を見なかったら、たとえ百万発の射撃をしたところで、
それはいわば闇夜の盲射ちにも等しくて、狙いの効果もわからず
何の上達もしないという事です。
考えてみれば、お互いの毎日の働きについても
実はこんな旗がたくさん振られているのです。
その中には、たとえば数字という形で、目に見えてくるものもあります。
しかし、目に見えない旗の方がはるかに多いはずです。
その見えない旗を見極めて、毎日の成果を慎重に検討していくところに
仕事の真の成長があり、毎日の尊い累積があると思うのです。
お互いに忙しい日々ではあるけれど、
目に見える旗はもちろんの事、目に見えない旗をも、
よく見極めるだけの心がけを常にきびしく養っておきたいものです。
(つきまとう)
子どもが親につきまとう。
うるさいほどにつきまとう。
ときに閉口するほどのことがあっても、それでもつきまとわれれば
やっぱりかわいい、うれしいものです。
自分の作った製品、自分の売った商品、自分のやった仕事。
作りっぱなし、売りっぱなし、では心が残るものです。
世間にもまた仕事にも相すまないことです。
お互いに、つくることに真剣で、売ることに誠実で、
そして、仕事に真実熱心ならば、その製品、その商品、その仕事の行方を
しっかり見定めたいものです。
見定めるだけではなく、どこまでもいつまでもそれについてまわりたい。
台所にはいれば台所へ、座敷に上がれば座敷へ、外国へ行けば外国までも、どこまででもうるさいほどにつきまといたい。
使い具合はどうですか?
調子はどうでしょうか?
ご不便はございませんか?
故障はありませんか?
ときに閉口(へいこう)されるほどであっても、
仕事の成果を案ずる、その真剣さ誠意はうれしい、ありがたいものなのです。
こんな心がけで、おたがいに作りたい。売りたい。
そして、懸命に仕事がしたい。
(引き付ける)
磁石は鉄をひきつけます。
何も目には見えないけれども見えない力がひきつける。
自然に鉄を引き寄せる。
人が仕事をする。
その仕事をする心がけとして、大事なことはいろいろあるけれども
やっぱりいちばん大切なことは誠実あふれる熱意ではないでしょうか!
知識も大事、才能も大事。
しかし、それがなければほんとうに仕事ができないというものでもありません。たとえ、知識乏しく、才能が劣っていても
なんとかしてこの仕事をやり遂げよう、なんとかしてでもこの仕事をやり遂げたいという誠実な熱意にあふれていればそこから必ずよい仕事が生まれてくるものです。
その人の手によって直接にはできなくても、
その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、自然と周囲の人をひきつけるのです。
磁石が鉄をひきつけるように、思わぬ加勢をひきよせるのです。
そこから仕事ができてきます。人の助けでできてきます。
熱意なき人は、描ける餅の如し!
知識も才能も、熱意がなければ無に等しいのです。
おたがいに一生懸命に精魂込めて毎日の仕事に打ち込みたいものです。
(力をつくして)
どんな仕事でも、一生懸命に精魂かぎりに努力したときには、
何となく自分で自分をいたわりたいような気持が起こります。
自分で自分の頭をなでたいような気持にもなります。
きょう一日よく仕事をした。よく勤めた。
そう思う時には、疲れていながらも食事をおいしくいたただけるし
気分も和らぎます。
ホッとしたような、思い返しても何となく満足したような
そして最後には、「人事を尽くして天命を待つ!」というような
心のやすらぎすら覚えるものです。
力及ばずという面は多々あるにしても、
及ばずながら力を尽くしたということは、
おたがいにやはり慰めであり喜びであり、そしていたわりなのです。
この気持ちは、何ものにも代えられません。
おカネにも代えることはできません。
おカネに代えられると思う人は、本当の仕事の喜びというものが
わからない人なのです。
仕事の喜びを味わえない人、味わえない人というのは、不幸なのです。
事の成否も大事です。
しかし、その成否をこえて大事なことがあります。
それは、力を尽くすという自らの心のうちにあるのです。
(おろそかにしない)
人から何かを命ぜられる。
その命ぜられたことをその通りにキチンとやる。
そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと報告するか
どうか?
命ぜられたとおりにやって、その通りにうまくいったのだから
もうそれでよいと考える人。
いやたとえ命のままにやったとしても、その結果は一応キチンと
報告しなければならない。
そうしたら命じた人は安心するだろうと?しかし、その相手にもよりけり?
ナンチャッテ!!
その何でもない心がけ、ちょっとした心配りかたの違いから
両者の間に、信頼感に対する大きな開きが出てくるのが、人間として
自然なフィーリングなのです。
仕事には、知恵も大事、才能も大事、しかしもっと大事なことがあるのです。
それは、些細と思われること、平凡と思われることをおろそかにしない心がけです。これは、今も昔も変わらないことだと思っています。
つまり、むつかしいことはできても、平凡な事ができないというのは、
本当の仕事をする姿ではないと思っている次第です。
些細な事、平凡な事、それを積み重ねて、その上に自分の知恵と体験とを加えて行く。
それで初めて、危なげのない信頼感が得られると思っている次第です。
(アマチュアではない)
職業専門家とは、つまりその道において、一人前にメシが食えるという事です。ちょっと言い方が悪いですけど!
いかなる職業であれ、その道において他人様からおカネをいただくというのは
それだけで、すでにアマチュアではないということだと思います。
つまり、お客というのは、慈善の心では払わないと思うのです。
学校を出て会社や官庁に入る。
はいれば月給がもらえる。
月給をもらうという事は、言い換えればその道においては、
自立したという事なのです。
ただ単に自信過剰になるか?あるいは、自覚と自己磨きが必要と感じるか?
これが紙一重という事です。
感謝と謙虚さ!これが人間関係のベースです。
なぜなら、人間、関係性の上で生かされているからです。
(ファンがある)
ファンというものは本当にありがたいものです。
相手のどこかに自分の好むよさを見つけて、
そのよさにただ懸命に応援するのです。
逆に、ファンの期待に応えるべく、自分のよさを一層伸ばすために
日夜精進を重ねる。
考えてみれば、私たちにもファンがいます。
個人にも、お店にも、また会社にも、それぞれにそれぞれのファンというものが存在するのです。
そして、陰に陽に力強い声援が送られているのです。
おたがいに、この事実を改めて認識し直したいものです。
そして、このありがたい自分のファンを、もっと大事にして、
その好まれている自分のよさを、精いっぱい伸ばすように努めたいものです。
そこに個人、お店、会社の繁栄の鍵があるのです。
ファイト!!!
(職場というところ!)
数年前になりますが、パワハラ上司という人間が多く出現して猛威をふるっていた時がありました。
助けになるのは寺の住職の存在なのです。これ日本の文化なのです。
それが何と心療内科の先生がこの役目をするようになっていたのです。
先生の評判というのもニュースになったくらいですから。
この時も時代の移り変わりを示唆することだったのだと思っています。
今思うとなぜこういう人間が出現したのかを考えたところ
昭和の時代ですが、私は大学卒業して会社に入社をしました。
研修というものを受けて配属となりました。
店舗に入ると同じ感覚の人間はいないというのに気づいた次第です。
同じ年でもです。そして、時代が変わろうとしている時でもあったと今は思っています。
まして当時大卒というのは珍しい時でもありました。
おカネを得るためにみんな当然仕事に来ているわけですから。
初任給というものが存在しました。
会社側からすると会社のためになる仕事をしてくれるという期待値を込めて支払う給与です。
ところが若い私にしてみればそういうのは訳の分からない事でした。
しかし、今当時を振り返ると1980年代です。
地元の人たちがほとんどで、給料の額に敏感な時でした。
地元で先輩ばかりです。
仕事を教えなくてはいけないのに新人の方が給料が高いという根性を持つ人が
ほとんどだったという事です。つまり、仕事もできないのに自分たちよりも
給料が多いのに対してだったのです。
妬み、ひがみという根性表現があったのは間違いないことなのです。
ところが近年この根性丸出しというのがパワハラ上司なのです。
人間的に成長をもしているのが上司というもののはずです。
根っこの部分はまったく一緒なのです。
昭和の時はおカネ、近くではハイテク機器を使えないからとか
まさに、何が大切な事なのかを考えていないということになるはずです。
本来は、会社が期待している大卒の人間だから将来会社のあるいは自分たちの
ために大いに活躍してくれる人材という包容力を持った人間集団というのは
存在していなかったという事です。それなのに会社は面目のためにだけそういう行為をしているのです。本人にしてみれば仕事を覚えるのに一生懸命にならざる負えないのにです。
一人身近によくしてくれる人間がいてくれたらと思うのですが。
しかしこれ昭和の時代からあったことなのです。
インターネットの発展というのも大いに関係していると思っている次第です。
パワハラ上司というのはこの包容力というものを持たないいわば上司とは
いえない人間性の持ち主を上司にしているという事になるはずです。
ですから、会社のトップが情けないという事になるはずです。
しっかりと.....!ナンチャッテ!!!