昨日、沖縄県知事選挙がありました。父ちゃんのことを思い出しました。実は、選挙があるたびに、父ちゃんのことを思い出してしまいます。
いつも朝いちばんに投票に行っていた
父ちゃんは、選挙があると必ず投票に行っていました。それも、朝いちばんに行っていました。その姿を、子供の頃からずっと見てきました。
今、僕は沖縄を離れて暮らしていますが、選挙があるときは、必ず投票に行きます。これは間違いなく、あの朝いちばんに投票に行く父ちゃんの姿を、見て育ったからだと思います。
商売のため保守系に入れていると思っていた
うちの実家は食堂を営んでいました。自営業で、しかも食堂という商売柄、色々な人が訪れます。中には、政治家の方もよく来ていました。
政治家にとっては、有権者と交流できる場所でもあり、うちの父ちゃんとつながりを持つことで、また別の人ともつながれる、そういう流れがあったのだと思います。僕が里帰りしたときに、食堂に政治家の方が来ていると、「誰々さんだよ」と紹介してもらうこともありました。名刺を見ると、大体が保守系の政治家でした。
僕の中で、自営業者と保守系の政治家は親密な関係にある、というイメージが出来上がっていました。自営業をしている人たちにとって都合の良い政策をしてもらうために、力のある保守系の政治家を応援するのは自然な流れだろう、と僕の中では理解していました。
だから、父ちゃんが選挙に行くのも、商売がスムーズにいくように、保守系の政治家に投票しているのだろうと、僕はずっと思い込んでいました。
父ちゃんの意外な行動
僕が退職する前後だったと思います。何がきっかけだったのか覚えていませんが、父ちゃんと政治の話になったとき、父ちゃんが、こう言ったのを覚えています。
「選挙では、ずっと革新系(当時のいわゆる野党)に入れていた」
戦後、一貫して変わらなかったそうです。その理由も話してくれました。
「戦争にブレーキをかけるのは野党だから」とのことでした。
沖縄は、第二次世界大戦で大きな被害を受けた場所です。父ちゃんも、自分の兄を戦争で亡くしています。兄を亡くしたことが、どれほど寂しかったか、父ちゃんが僕に話してくれたことがあります。戦争に対する悲しみや辛さが、父ちゃんの中にはずっとあったのだろうと思います。
商売のために保守系へ投票していただろう、という僕の予想は、見事にひっくり返されました。父ちゃんの話を聞きながら、よっぽど戦争のときに辛い体験をしたのだろうと、あらためて感じました。
分かっているようで、分かっていなかった
選挙があるたびに、僕はこのことを思い出します。そして、父親のことを、分かっているようで、実は分かっていなかった部分があったのだと、思い知らされます。
子供として父親を見ているとき、僕たちは、目に見える情報(付き合いのある人々や日々の行動)から、勝手に父親像を作り上げてしまうことがあります。でも、そのイメージは、本人の内側にある本当の考えとは、まったく違っていることもあるかもしれません。
誰にでも、この種の「実は違った」という経験があると思います。もしかしたら、今もまだ気づいていない「勘違い」があるかもしれません。
確かめることができるのなら
もし、父親に直接聞けるなら、政治や信念の話でなくても構いません。自分の解釈していることについて確かめてみるのも良いかもしれません。もう聞くことができないのであれば、当時を知る友人や親戚の一言から、本当の父親の姿が見えてくるかもしれません。
こうして文章に書き起こしておくと、後になって誰かの一言で、自分の父親に対する見方が、がらりと変わる可能性があります。それもまた、この作業の面白さのひとつだと思います。
サービス内容で公開している18の質問の中にも、こうした「知っているつもりで、知らなかった父親の一面」に気づくための問いが含まれています。ご自身の記憶をたどってみると、思いがけない発見があるかもしれません。