父親と同化したかった?!

父親と同化したかった?!

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今『父という病・父親を愛せない人たち』という本を読んでいます。
その中に「父親と同化する」という言葉が出てきます。
最初その言葉を見たとき、正直「えっ!父親と同化したいの?」との疑問というか、抵抗のようなものを感じました。
でも、自分で書いた「父親との関係」を読み返していると、実はその「同化」が、自分の中にもずっとあったのかもしれない、と思うようになりました。

「父ちゃんのように」と自分で書いていた

父との関係を文章に書いていたとき、最後の方に、こんな一文を書いていました。
「父ちゃんのように、体が動くうちは、生涯現役で働くつもりだ」
これは、褒められたいとか、認めてもらいたいという話ではありません。
父ちゃんは、定年退職という考えを持たずに、体が動くうちは、ずっと働いていたので、その姿を思い出したとき、父ちゃんと同じように生涯現役で働きたい、との気持ちが自然に出てきて、書いた文章です。
僕の父ちゃんは、働き続けて、内臓を壊してしまいました。
その姿を、子供の頃は、ただ見ているだけでしたが、今の自分は、色々な仕事を振られても断ることなく、引き受けて、なんとかやり遂げようとしています。これも、父ちゃんの働き方を、自分の中に取り込んでいる結果なのかもしれません。

道順を覚えたかったのも同化だったのかもしれない

前回のブログで、遠足のバスの中で、誰とも話さず道順を覚えようとしていた記憶について書きました。あのとき僕は「褒められたいから」だと思っていました。でも、今回「同化」という視点で読み返してみると、少し違う見え方もしてきます。
父ちゃんは、一度通った道はすべて覚えていて、車を運転しながら、迷うことなく行きたい場所にたどり着ける人でした。車の運転も上手で、いつも自宅の壁際ギリギリ1cmまで車を寄せて止めるような、誰にも真似できない技を持っていました。子供の僕には、それがとても格好良く見えていたのだと思います。
もしかしたら、僕がバスの中で道順を覚えようとしていたのは、褒められたいという気持ちの前に「父ちゃんのように道を覚えたい」「父ちゃんのように迷わず行きたい場所に行ける人になりたい」という、もっと素朴な憧れ、つまり同化への欲求があったからなのかもしれません。褒められたい気持ちと、父ちゃんのようになりたい気持ちは、あのバスの中で、おそらく同時に存在していたのだろうと思います。

英語も同じだったのかもしれない

前回のブログでは、英語の勉強を続けてきたのは「父ちゃんに褒めてもらいたかったから」かもしれない、と書きました。でも、それだけではなかった気がしています。
父ちゃんは、窓際に両足を乗せて背中を丸めながら、何度も英語の音を繰り返し聞いていました。今思えば、あの姿は、父ちゃん自身が英語を身につけたかった姿だったのだと思います。
僕が英語の勉強をやめずに続けてきたのは、褒められたいという気持ちと同時に、父ちゃんが果たせなかったことを、自分が代わりに実現したい、父ちゃんの果たせなかった部分を自分の中で埋めたい、という気持ちもあったのかもしれません。これも、一種の同化だと思います。

「学ぶために生まれてきた」という感覚

父ちゃんとの関係を書き終えたとき、僕は最後にこんなことを書きました。
「父ちゃんの激しさや厳しさ、正義感、そして、バイタリティを学ぶためだったと思う」
これは、父ちゃんに似たくなかった部分も含めて、父ちゃんという人間の資質を、自分の中に取り込みたい、あるいは、すでに取り込んでいる、という感覚そのものだと思います。
『父という病』に出てくる「同化」という言葉に、最初は違和感を持ちました。でも、自分の行動や、自分で書いた文章を振り返ってみると、褒められたいという気持ちの、もう少し深いところに、「父ちゃんのようになりたい」「父ちゃんの一部を自分の中に持っていたい」という気持ちがあるように思います。
もしかしたら、あなたにも「気づいたら親と同じことをしていた」「親のようになりたいと、どこかで思っていた」ということがあるかもしれません。
褒められたかったのか、それとも、同化したかったのか。どちらか一方ではなく、両方が絡み合っていることも、きっとあると思います。
サービス内容で公開している18の質問には、こうした「自分の中に残る父親の影響」を見つめ直すための問いも含まれています。ご自身の記憶をたどってみると、思いがけない発見があるかもしれません。

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