「忘れられない」のに、「忘れたくない」のはなぜ?
忘れられなくて、苦しい。
でも、忘れたいかと聞かれたら、忘れたくはない。
様々な出来事、別れ、喪失。その中でこのような矛盾を、感じ、抱えたことはありませんか。
そんな時、生活の中で、こんなことは起きていませんか。
ペットがいなくなってから、ごはんの時間になると、無意識に手が止まる。
使っていたお皿やおもちゃを、片付けることも、そのままにしておくことも、どちらもできない。
散歩コースを避けて通っている。あるいは、気づいたら足が向いている。
仕事や家事が手につかず、生活のリズムが崩れてしまっている。
大切な人を亡くした方なら、
携帯の連絡先やLINEを、消せないまま、開いては閉じてしまう。
写真を見るのが辛いのに、見ずにもいられない。
日常に支障が出ているのに、「もう何か月も経つのに」と、自分を責めてしまう。
ひとつでも「あ、私のことだ」と思ったなら、このまま読み進めてみてください。
あの日のことが、何度も頭に浮かぶ。
ふとした匂いや、曲や、景色で、一瞬で引き戻される。
いつまで経っても、悲しみから離れられない自分がいる。
それなのに、「忘れていいよ」と言われたら、それはそれで、ひどく寂しい。
この矛盾は、おかしなことじゃありません。
むしろ、同じ場所から来ている、ひとつの気持ちなんじゃないかと、私は思っています。
なぜ、忘れられないのか
人の脳は、感情が大きく揺れた出来事ほど、強く記憶に刻みます。
「これは大事なことだ」と、優先的に残すんです。
大切な人やペットを失うことは、人生の中でも、特に感情が大きく動く出来事です。やはり、人間にとって「死」という出来事は、一番の脅威でもあるからです。
だから、その記憶は、普通の記憶よりも、ずっと濃く、鮮明に残るのが自然。
しかも、記憶は五感、つまりは感情や感覚と深く結びついています。
匂い。音。曲。夕焼けの色。
意識して思い出すのではなく、感覚のほうが先に、記憶を連れてきてしまう。
五感は感情のセンサー。アンテナ。
だから、何でもない日に、急に悲しみが戻ってくる。
離れようとしても、離れられないのは、気持ちが弱いからじゃなく、脳がそれだけ強く、刻んだからなんです。
なぜ、忘れたくないのか
では、「忘れたくない」のほうは、どこから来るのでしょう。
それは、その人と過ごした時間が、本当に大切だったから。
生きてきた中で、たくさんの感情を味わった体験として、思い出と深く関わっています。
笑った顔も、くだらない会話も、何気ない日常も、全部ひっくるめて、かけがえのないものだったから。それがあったから、今の自分があるという、母体みたいな感覚です。
忘れてしまったら、その時間そのものが、なかったことになってしまいそうで。
それが、何より怖い。
だから忘れたくないのです。
同じ場所にある、ということ
「グラスの水」の話を、紹介します。
悲しみは、薄れて消えるんじゃない。
一滴の色水の量は変わらないまま、受け止める容器のほうが、人生とともに少しずつ広がっていく。
悲しみの絵の具は一滴のまま、でも薄める水のかさが増していって、色が薄くなる・・・その原理です。
ただ、この例えが、しっくりこない方もいると思います。
そんな方のために、もうひとつ、別の角度からの例えを置いてみます。
悲しみの記憶と、愛した記憶は、別々の引き出しにしまわれているわけじゃない。
同じ引き出しの中に、一緒に入っているんです。
そしてどちらも欠けては意味がない、つまりはセットなんです。
だから、悲しみだけを取り出して、手放すことはできません。
悲しみに触れるたびに、愛した記憶にも、一緒に触れている。
どちらの例えも、言っていることは、同じなんだと思います。
悲しみは、消えるものじゃない。
それは、大切だった記憶と、切り離せない場所にあるから。
「忘れられない」と「忘れたくない」は、正反対の気持ちに見えて、実は、同じ場所から湧いている。
それだけ、深く、大切に記憶の中にしまっておいた。
そして、会いたい時には、いつでも取り出せる場所に、ちゃんとある。
離れなくて、いい
だとしたら、「悲しみから離れなければ」と、焦らなくていいのかもしれません。
忘れられないのは、苦しい。
でも、その苦しさの根っこにあるのは、愛した記憶が、今もちゃんと、あなたの中に生きているということ。
その出来事、そしてそこで味わった感情が、あなたが生きる上で、必要なエネルギーなんだと思うのです。
どんなに辛い出来事だったとしても、そこで得たものは何だったのか・・・
きっとそれが、これからを生きる上で、すごく大切なお守りになるんだと思うのです。
今すぐ見つけなくていい。いつか、そう思える日が来るかもしれません。
無理に切り離さなくていい。
悲しみも、愛した記憶も、一緒に持ったまま、生きていっていい。