いつからか、ペットのことを「家族」と呼ぶようになりました。
「うちの子」「娘」「息子」。 そう話す人を見て、おかしいと思う人は、今はほとんどいないと思います。
でも少し前まで、そうではなかったですよね。
「番犬」から「家族」へ
かつてペットは、家の外で飼うもの。庭に犬小屋がある光景は当たり前。
小鳥もベランダにケージが吊るしてあったりもしましたよね。
犬は番犬。猫は鼠取り・・・
動物は「役割」を持った存在として、人間の生活を支える側にいました。
犬に例えて振り返ってみると、家の中で飼っている犬のことを「室内犬」なんて呼ばれていたのを覚えています。それも日本の犬ではない犬種で。
それがいつしか、室内へ。
一緒に眠り、一緒にソファに座り、誕生日を祝う存在になった。
そしてお別れの葬儀まで。庭に埋葬することも、戸建ての家ではない事情なども含めマストではない。ペット霊園まで普通に存在しています。
実際に私も、飼鳥が亡くなった時は、お骨にしてくれるサービスを必死で探しました。
この変化は、単なる飼い方のトレンドではありません。
人と動物の関係そのものが、根本から変わったのです。
「家族」になるとはどういうことか
家族とは、役割で結ばれた関係ではありません。
ただ一緒にいる。 同じ時間を、同じ空気の中で過ごす。 その積み重ねが、かけがえのない絆になる。
ペットとの関係が、まさにそれです。
言葉は通じなくても、気持ちは通じていた。 辛いとき、そばに来てくれた。 何も言わなくても、わかってくれた。
その記憶は、人間の家族との記憶と、何も変わらない重さを持っています。
だから、別れがこんなに苦しい
「家族」を失ったのだから、苦しくて当然です。
それなのに、社会はまだ追いついていない部分があります。
先日、ペット休暇がある企業が紹介されていましたが、ごく稀です。
忌引きは取れない。 職場で話せる雰囲気がない。 「ペットでしょ」と片付けられる。
絆の深さは「家族」なのに、悲しみの扱いはまだ「ペット」のまま。
そのギャップの中で、一人で抱えている人がたくさんいます。
その悲しみは、愛の証明です
ペットが「家族」になったということは、その別れが本物の喪失だということ。
後悔も、自責も、泣き続ける夜もすべて、それだけ深く愛していた証拠です。
おかしくない。大げさでもない。
あなたの悲しみは、正しい悲しみです。
その子がいた時間を、誰かに伝えたいとき
家族として過ごした日々を、映像というかたちで残すことができます。
一緒に過ごした時間の重さを、消えないものにするために。
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