私はツインレイを“日常にしたい”と願いました。
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私がルール…「-1」
2022/08/12
https://coconala.com/blogs/2997019/214264
なので一般人を名乗りたいところですが、ツインレイとか話ができる一般人はいません。
巷ではツインレイと言うのは「魂の片割れ」とか「出会うことは難しい」とかあるのです。
私はその中で「ツインレイを日常にしたい」と語っているのです。
……それは一般人ではありませんね……。
そして「使命がある」と、そこかしこに書いてあります。
最初にその言葉を聞いた時、私は不満を覚えました。
だって、なんだか「私の人生じゃないこと」を「させられるようになる」ような気分だったのです。
だって、それをしていると掲げているブログをいくつも見て来ましたが、みんな楽しそうではないのです。
私がそこに憧れを抱くようなものではありませんでした。
憧れを抱いたブログは、更新を終えていました(あ、最近復活しました。何かきっかけがあったのでしょう。必要性と言うか)。
その時は、きっと、違う場所で活躍することになったのでしょう。
そしてこの私です。
何かをするにしたって、楽しくないと嫌です。
そして、それをしたいと思うのであれば、「面白そうだ」と思わない限りやらないはずです。
・・・
***
最初、もう一個のサブのブログで記事を探すのに手間取りました。
「今ではそれが普通ですらある。」
それで日常にしたい→普通にしたい。に変化したのかもしれません。
その当時何をもってして「普通」と言っていたのかはいろいろ考えられるんですけど。
まぁ。
たぶん。
「私にとってそれが普通」みたいな。
そう言う方向性に落ち着いたのだろうとは思います。
***
引用した記事で綴りましたが。
ツインレイを知ったその当初。
私は「私を捨てて、別の何かに成らないといけないのか」とそうも思ったのです。
何かの「役割」とか「こうある」みたいなそれを果たさないといけないのかと。
まぁ「試練がある」「お試し」みたいなものを殊更に強調するような話からそう言うことを考えていたんですけど。
そうではなく。
「日常にしたい」
「普通にしたい」
と。
***
たぶんですが、さっき書いた記事と。
「ツインレイの道を1人で進んで行けるようにしたい」と思ったのと。
繋がってきているような気がします。
***
ただただ夢中で。
手当たり次第とでも言うような。
ある意味で癇癪を起しているような時期もありました。
そんな風に何かをぶちまけたり。
壊れても構わないと言うように向こう見ずとでも言うような。
そう言うことは、もう。
しなくてもいいのかもしれません。