『お金のブロック解除』『引き寄せでお金を手にする』とあっても、「そんなのただの紙切れでしょ」とはならないのです。

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コラム
『お金を手に入れて、欲しい物や素晴らしい生活を手にして幸せ♡』みたいなところまでがセットなのです。

そうじゃくて、お金は「手段として存在する」んだ。みたいな。
己の物欲や何かの欲望を満たす前段階にアプローチはないのか? と、私は思うのです。

まぁ、私が習っていた作詞の先生は言いました。
「金なんか壮大な妄想だ。価値があるとみんなが信じているだけ。だって、ただの紙だよ」と。
私はその話があったので、こう言うことを考える訳です。


「お金が“お金”として存在する」、それは悪くない。

だって、それが「必要な物・事を手に入れる手段になる」のだろう。と。



***


私の伯母は、「昔は物々交換だった」と言いました。
余っている物を、それぞれに交換していた。と。
私が聞いたのはそこまでです。


じゃぁと考えました。
そうなると交渉が必要です。
何かが欲しい。と思ったら、それを所有している相手が、
「それなら交換してもいい」と言うものを提示しないと手に入らないのです。

でも、お金があれば、欲しいものと同等の物や労力を提示しなくていい訳です。
相手が満足するまで物を用意する必要もありません。

あ、販売時の金額設定はどうなんだと言う話は置いておきます。
あと、現実の高額商品とか、一見さんお断りのお店を非難している訳ではありません。
それは、セールスの手段です。
別件です。

私はそもそもの、「お金がなぜ存在するのか」と、そこに対して考えているのです。


***

例えば電車に乗るのに、
一駅カボチャ1つ。三駅でカボチャ3つ。で。そのためにカボチャもって窓口に行く。とか。
そうなるとちょっと違う訳ですよ(想像すると面白くはあります笑)。

それを切符=お金で買う訳です。
物々交換ではなくて、お金を使って手に入れる。

塩1kgに、対して、魚1匹で交換。
じゃぁ1匹なら秋刀魚でも鮪でもいいのか。となると、なんかちょっとねぇ。
そこで、茸なら10個となったら……。
労力で考えたらそれは釣り合うと言えるのか?
交換がスムーズとは言い難い気もします。

また、塩売りが欲しいのは実は鮭だったら、それがいつ手に入るのかわかりません。


そこで、決められた金額を支払って手に入れる。

塩が欲しい人は塩を手に入れられるし。
塩を売った相手は、そのお金でまた自分の欲しいものが手に入る。

そう言う「手段」として、「お金がある」のではないのか。と。


***

だからお金があって手に入って幸せ、望みを叶えられて幸せ。
生活に余裕ができた。とか。
収入だ副業だブロック解除だ引き寄せで欲しいままとか。
逆に、そのせいで借金になるとか、消費税だ税金だ支払いだとか。

と、金の所有の有無に振り回される前に、

なぜそれが世の中にあって、
「どんな役割を果たしているのか」と言う話があってもいいんじゃないのか?
と、私は思うのです。

でも、なぜだか、
『お金があって、私は幸せ。みんなブロック解除すればいいのに』とか。
『それは引き寄せで叶います。あなたの思考が悪いのです』と。

お金=結果

みたいな。
個人の結果の話になるのです。
どこまで行っても「持つ・持たない」の話になるのです。


そうじゃなくて、
「世の中のお金の認識」が変わればいいんじゃないのかと私は思う訳です。

まぁ、そのためには「個人の認識を変えないといけない」と言うのはわかります。


***

お金と言うのは、確かに、素晴らしい物なのかもしれません。

だって、例えばりんご売りが、
「りんごが欲しければ、アサリを持ってこい」
とか言ってたら私は潮干狩りに行かないといけません。
時期が違ったら悲惨です。
私はりんごが食べられません。←

でもお金があるから、
私は1つ100円で売られているりんごを買うことができるのです。

それは確かに、幸せなことです。


で、じゃぁそのお金を『欲しいままに手にするためにはどうしたらいいのか』と。

そう言うところで、
・お金のブロック解除
・引き寄せでお金を手にする
とか言いたいんでしょうけど……。

なんかね。

「お金が“お金”として存在する」、それは悪くない。
だって、それが「必要な物・事を手に入れる手段になる」のだ。

みたいな話からは離れていくように私は感じるのです。


まぁ、そりゃぁねぇ。
湯水のようにお金があって、明日も将来の心配もなくて仕事もしなくていい。と言うのならその方がいいですよ。確かに。

確かにね。

だけどそうなるとお金の所有の有無の話。とか。
己の欲望が叶えられた。みたいな話になるのです。

『私はこれで幸せになりました』みたいな。


そうじゃなくて、
そもそもの、
個人のお金に対する「プラスやマイナスの認識を変える」ために、
「お金の存在そのものや、それの必要性」の認識にアプローチして、
最終的に「世の中のお金の認識」を変えるような。

そう言う話にならないのはなぜなのだろうか? と思う訳です。


人によっては、「お金のしくみ」を学校教育に組み入れた方がいいと言う意見もあります。
そう言うのもありだろうなぁ。とは思います。


まぁ、現実にはね。

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