前編より続く
我が家の名前が大阪に多いい名前で地元になかったことより
商人であった可能性が大である。
お金で庄屋の権利を買い住み着いたようだ。
我が町の近くに鞍掛山がある。
鞍掛山には黒い米があると言い伝えられていた。
幼子が何故そんな話を記憶しているのか不思議だが
触れてはいけない話を聞いたような気がしてとても怖かった。
鞍掛山にある鞍掛城について説明をコピペで貼り付けた。
標高240mの鞍掛山の尾根に築かれた実戦的な山城である。築城年代は不明。大内氏の家臣・杉氏の居城。近隣には、すぐ北に椙杜氏の蓮華山城、南側には小方氏の瀬田城がある。
弘治元年(1555年)に、陶晴賢が厳島の戦いで討死し、同年より毛利氏が周防・長門国への侵攻を開始した(防長経略)。その際に城主であった杉隆泰は、毛利元就の勧告に従い降伏。しかし、蓮華山城の椙杜隆康が、大内氏と杉隆泰の内通を元就に訴えたため、毛利軍は鞍掛山城を攻めた。父の杉宗珊とともに籠城した隆泰がよく抗戦したため、毛利軍主力は山口方面に侵攻すると見せかけて蓮華山城へ兵を入れ、早朝に城の背後から奇襲を仕掛けた。不意を突かれた鞍掛城籠城軍は、混乱に陥って壊滅。毛利氏に降って城攻めに加わっていた瀬田城城主・小方元康の手で隆泰も討ち取られ、鞍掛山城は落城した。
この戦いで兵士が1000人殉死その碑が今もある。
当時の千人は大きいとおもいます。
兵糧米も焼いたのでしょう それが黒い米のいわれです。
その参事を慰めるために我が家の菩提寺が家老の子によって
建てられたと聞いております。
後編に続く