仏の与平さん

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コラム
前編より続く
戦で大勢が死に又父親を失った家老の息子が御霊を弔うためにお寺を建てた。
その中の一人に宇野家がある。宇野の子孫に当たる人が宇野千代さんである。
お寺は受光寺と言い現存する。
関ケ原の戦いで破れこの地に流れ住み着いた我が祖先もこの受光寺を大切にして田畑を随分寄贈したらしい。それで仏の与平さんと呼ばれていたそうだ。
しかし残された田畑も農地改革によってほとんど小作の手に渡り今は何も残っていない。100年先には又大きく変わっているかも。
明治維新以前に日本に住んでいた人は8代ぐらいさかのぼることができるそうです。それは寺が今の市役所の役目を果たしていたから。
幼い子供が聞いた黒い米から我が家のルーツに興味を持った私でした。





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