「癒し」のはずが、どこか悲しく感じる動物園
先日、用事の合間に少し時間ができたので、某動物園に立ち寄ってみました
子どもが小さい頃にはよく行っていた場所。でも、久しぶりに訪れて、心の奥に浮かんできたのは「懐かしさ」ではなく、「違和感」でした。
動物たちの様子は一見、以前と変わらないように見えるのに──
檻の中をただウロウロと歩き続ける虎、どこか虚ろな目をした動物たち
その空間は“癒しの場所”というより、まるで「animal prison(動物の監獄)」のように感じられたのです
「かわいそう」では終われない、あの感覚
一緒に来ていた相方は、日本の動物園を初めて訪れたのですが、最初は興味津々でした
けれども見て回るうちに、国による環境の違いに衝撃を受けたようで、帰り際にこんな言葉をポツリ
「こんなに遠く離れた国で、あんな狭い檻の中…。
仲間もいないし、自由もない。
寂しさとストレスで、頭がおかしくなってしまいそう。
ずっとウロウロしていた虎、見た?」
私の相方はとても感性が鋭く、私よりもずっと霊的な気配を敏感に察知するタイプです
もしかしたら、言葉では表せないほどの「何か」を深く感じ取っていたのかもしれません。
⚫️本来の姿を失ってしまった動物たち
たとえば猿。猿山の群れにいる猿たちはまだましな方
しかし、珍しい種類の猿は、たった2匹で狭い檻に閉じ込められ、一日中人の目にさらされながら、何もせずに過ごしています。
他にも、
・やせ細ったワニ
・身動きできないほど狭いスペースにいたキリン
・飛ぶことすらできないフラミンゴたち…
どの動物の目も、どこか虚ろで、覇気が感じられない
「ここにいるのがつらい」と、言葉にならない声が、静かに響いてくるようでした。
感性が変わると、見える景色も変わる
昔はそんなこと、あまり気にしていなかったんです
子どもが小さかった頃は、楽しい思い出の場所でもありました
でも、今は「人の感性」に関わる仕事をしているからか、感じ方が大きく変わってしまいました
以前は見えなかった“気配”や“エネルギー”に、自然と意識が向くようになったのです
動物たちの声なき声に、耳を澄ませるようになってからは──
もう、気軽に「楽しかったね」と言える場所ではなくなってしまいました
たぶん、我が家が動物園を訪れるのは、今回が最後になると思います
否定ではなく「進化」を願って
もちろん、私は動物園そのものを否定したいわけではありません
動物の命や生態系を守るために、人間の手助けが必要な場面もあります
だからこそ願うのです
もし、もっと広大な自然に近い空間で、動物たちが自由にのびのびと暮らしていたら──
もし、檻ではなく、共に生きる「空間」がそこにあったなら──
また訪れたいと思うかもしれません
そしてこれからは、AIの技術をうまく取り入れて、
動物の行動や健康状態をモニタリングしたり、最適な環境を科学的に整えたりすることも、きっと可能になるはずです
それでもまだ、遠い未来かもしれない
スピリチュアルな視点で言えば、
あの空間に漂っていたのは「動物たちの魂が一時的に閉じ込められたような感覚」でした
…でも、この話を深く語るのは、また別の機会にしましょう
(誤解を招くかもしれませんので、ここでは控えておきますね)
とにかく今のところ、
動物園が「癒し」や「元気」を与えてくれるパワースポットになるには、まだまだ時間がかかりそうです。
それでも、いつか──
人にも動物にも優しい、真の意味でエネルギーに満ちた場所へと進化していくことを願っています