心は、その言葉だけでは動かなかった。

心は、その言葉だけでは動かなかった。

記事
コラム
『凪、今度の日曜って空いてる?』

画面に表示された文字を、
凪はしばらく見つめていた。

悠真から、休日に誘われた。

それも、たぶん二人で。

少し前の自分だったら、どうしていただろう。

きっと、ベッドの上で飛び跳ねるくらい、
うれしかった。

何を着ていこう。
どこへ行くんだろう。
これってデートなのかな。

そんなことを、何時間も考えたと思う。

なのに。

今、最初に浮かんだのは、別の顔だった。

陽菜。

凪は隣を見る。

「どうしたの?」

陽菜が聞く。

「……日曜日。」

「うん。」

「悠真に、空いてるかって。」

一瞬、ほんの一瞬だった。

陽菜の表情が止まった。

でもすぐ、いつもの顔に戻った。

「そっか。」

「うん。」

「行くの?」

その聞き方が、少しだけ違って聞こえた。

「まだ……分かんない。」

「行けばいいじゃん。」

陽菜は笑った。

「え?」

「凪、悠真のこと好きだったんでしょ?」

胸の奥を、突然触られたような気がした。

好きだった。

陽菜は、知っている。

凪が悠真を好きだったことを。

なのに、なぜだろう。

今、そのことを陽菜に言われるのが、
少し苦しかった。

「……だった、って。」

「ん?」

「なんで過去形なの?」

陽菜が黙った。

凪自身も驚いた。

どうして、そんなことを聞いたんだろう。

陽菜は少しだけ目をそらした。

「なんとなく。」

「なんとなく?」

「最近の凪見てると。」

そこで、陽菜は言葉を止めた。

「……やっぱ、なんでもない。」

また。

「なんでもない。」

凪は、もうその言葉が本当に「何もない」という意味ではないことを、
知り始めていた。

その夜、凪は悠真へ返信した。

『空いてるよ。』

送ったあと、胸がドキドキ鳴った。

悠真からすぐに返ってくる。

『じゃあ駅前、11時でいい?』

『うん。』

『二人で。』

その三文字に、凪の指が止まった。

わざわざ、「二人で。」
と書いてある。

胸が大きく高鳴る。

でも、その鼓動が、
うれしいからなのか。
緊張しているからなのか。
凪には分からなかった。

そして、また陽菜の顔が浮かんだ。

「行けばいいじゃん。」

笑っていた。

でも、あの笑顔。

本当に、いつもの陽菜だった?

日曜日。

凪は鏡の前に立っていた。

服を三回替えた。

髪も一度結んで、またほどいた。

「……何してるんだろ。」

昔の自分が戻ってきたみたいだった。

悠真と会う。

そう思うだけで、やっぱり緊張する。

好きだった人。
ずっと見ていた人。

凪は鏡の中の自分を見る。

そのとき、スマホが震えた。

陽菜だった。

『おはよ』

凪はすぐに開いた。

『おはよう』

『今日暑いから水分ちゃんと取ってね』

思わず笑ってしまう。

『お母さんみたい』

『誰がお母さん笑』

いつものやり取り。

それだけで、張りつめていた気持ちが少しほどける。

『じゃあ楽しんできて』

最後に届いた言葉。

凪の指が止まる。

陽菜は、今日のことを覚えていた。

『うん』

そう返した。

でも、なぜか、それ以上打ちたくなった。

『帰ったらLINEする』送信。

既読。

少しして、『待ってる』

胸が、どくん。

凪はスマホを伏せた。

今日は、悠真に会いに行くのに。

どうして、陽菜の「待ってる」で、
こんなに胸が高鳴るんだろう。

駅前。

「凪。」

振り返る。
悠真がいた。

制服ではない悠真。

それだけで、少し違って見える。

「待った?」

「いや、今来た。」

たぶん嘘だ。

悠真は昔から、待ち合わせには早く来る。

「行こっか。」

「うん。」

二人で歩き始める。

映画を見た。
昼ごはんを食べた。
ゲームセンターにも寄った。

楽しかった。
本当に。

悠真は優しい。

話していて楽しい。

笑うタイミングも、昔から知っている。

凪は何度も思った。

私、この人が好きだったんだ。

嘘じゃない。
確かに、好きだった。

それなのに、雑貨屋の前を通ったとき、
青いノートが目に入った。

あ、陽菜。
そう思った。

カフェでミルクティーを見たとき、
「陽菜、これ好きだったな。」
そう思った。

かわいい髪飾りを見つけたとき、
「陽菜に似合いそう。」
そう思った。

気づけば、悠真と一緒にいる時間の中に、
何度も陽菜が現れる。

悠真は、それに気づいていた?

夕方。
二人は駅へ向かって歩いていた。

「凪。」

「なに?」

「今日さ。」

悠真が立ち止まった。

「楽しかった?」

「うん。」

凪は笑った。
「楽しかったよ。」

「そっか。」

悠真も笑う。

でも、歩き出さない。

凪も立ち止まる。

夕暮れの光が、
悠真の横顔を照らしていた。

「じゃあさ。」

「うん。」

「なんでそんなにスマホ見るの?」

「え?」

「今日。」

悠真が笑う。

少し寂しそうに。
「何回も見てた。」

「そんなに見てないよ。」

「見てた。」

凪は何も言えない。

確かに、何度か見ていた。
陽菜からLINEが来ていないか。

「陽菜?」

名前を言われて、凪の顔が上がる。

その反応だけで、悠真には十分だった。

「やっぱり。」

「違……。」

違う、そう言おうとして・・・。
言えなかった。

悠真が小さく息を吐いた。

「俺さ。」

その声で、空気が変わった。

凪にも分かった。

これから、何かを言われる。

「昨日まで。」

悠真が言う。

「凪が俺のこと好きなの、なんとなく分かってた。」

凪の顔が熱くなる。

「……なにそれ。」

「ごめん。」

「最悪。」

「ほんと、ごめん。」

悠真が笑う。

でも、すぐに真剣な顔に戻った。

「分かってたのに。」

「ちゃんと考えたことなかった。」

凪は黙って聞いていた。

「凪はずっと俺のこと見てくれてたから。」

「それが普通になってた。」

夕方の駅前。
人が二人の横を通り過ぎていく。

「でも。」

悠真が凪を見る。

「最近、凪が俺を見なくなって。」

胸が、きゅっとなる。

「陽菜と笑ってるの見て。」

一度、言葉を切る。

「めちゃくちゃ嫌だった。」

凪は息を止めた。

「それでやっと分かった。」

悠真の手が、少しだけ震えていた。

いつも余裕があるように見えた悠真が。
緊張している。

「俺。」

凪をまっすぐ見る。

「凪が好きだ。」

時間が、止まったような気がした。

ずっと、ずっと聞きたかった言葉。

何度、想像しただろう。
悠真に好きと言われる未来。

夢みたいだと思っていた、
それが今、現実になった。

なのに、凪の胸に最初に浮かんだのは、
「うれしい」でも、「私も」でもなかった。

陽菜の顔だった。
どうして、今なの。

どうして、ずっと欲しかった言葉をもらった瞬間に、
別の人を思い出しているの。

「凪。」

悠真が呼ぶ。

「……うん。」

声が震えた。

「返事、聞いてもいい?」

答えなきゃ。
ずっと好きだった。

だったら、答えは決まっているはずなのに。

「私……。」

言葉が出ない。

そのとき、スマホが震えた。

二人とも、その音を聞いた。

凪は反射的に画面を見る。

陽菜。

メッセージは、たった一言だった。

『まだ?』

悠真も、画面に表示された名前を見た。

しばらく、何も言わなかった。

そして、少しだけ笑った。

「……そっか。」

「え?」

「いや。」

悠真は空を見上げた。

「なんか、分かったかも。」

「何が?」

「凪が返事できない理由。」

凪の心臓が、さらに速くなる。

「違う。」
反射的に言った。

「何が違うの?」

聞かれて、答えられない。

悠真は凪を見る。

「凪。」
優しい声だった。

だから余計に、苦しかった。

「ちゃんと考えていいよ。」

「でも。」

悠真が一歩だけ、凪に近づいた。

「俺も、もう引かないから。」

近い。

凪は息を止める。

「今まで何もしなかった分。」

悠真が、少し照れたように笑った。

「これからは、ちゃんと好きって言う。」

胸が高鳴る。

昔なら、それだけで、全部終わっていた。

幸せな結末だった。

なのに、ポケットの中には、
陽菜からの、『まだ?』がある。

ずっと好きだった人が、目の前で自分を見ている。

そして、帰りを待っている人がいる。

凪は初めて気づいた。

恋は、好きな人から好きと言われれば、
それで答えが出るものだと思っていた。

でも、違った。

ずっと欲しかった言葉を、ようやく手に入れたのに。
心は、その言葉だけでは動かなかった。

凪は、ポケットの上からスマホに触れた。

そして、小さく息を吸う。

「悠真。」

「うん。」

「ごめん。」

悠真の顔が、ほんの少し曇る。

「今は……。」

凪は言った。

「今は、返事できない。」

悠真は数秒、黙っていた。

それから。

「分かった。」
そう答えた。

「待つ。」

その言葉を聞いた瞬間。
凪はまた思い出した。

まだ早い枝豆を前に、
急がなくていいと教えてくれた人。

自分の歩幅に、黙って合わせてくれた人。

答えを求めず、隣にいてくれた人。

陽菜。

凪は、もう気づき始めていた。

「好きの未然形」は、いつまでも未然形のままでは、
いられないのかもしれない。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す