こんなに小さな約束が、 どうして、こんなにうれしいんだろう。

こんなに小さな約束が、 どうして、こんなにうれしいんだろう。

記事
コラム
放課後。

隣では陽菜が、筆箱をしまっている。

何度も一緒に帰った。
数えきれないくらい。

なのに今日は、少し違う。

「……帰ろっか。」

陽菜が言った。

「うん。」

二人で教室を出る。

廊下には、部活動へ向かう生徒たちの声。

階段を下りる途中、陽菜が小さく言った。

「凪。」

「なに?」

「今日、ありがとう。」

「……何が?」

「私と帰ってくれて。」

凪は足を止めた。

陽菜も立ち止まる。

「そんなの、いつものことじゃん。」

「うん。」

陽菜は笑った。

「でも、今日は違うから。」

その言葉に、凪の胸が少し痛んだ。

悠真。

あのときの顔が浮かぶ。

「……悠真に悪いことしたかな。」

凪がつぶやくと、陽菜は少し考えてから答えた。

「悲しかったかもしれないね。」

「……うん。」

「でもさ。」

陽菜が凪を見る。

「悠真の気持ちを大切にすることと、
  悠真の希望どおりにすることは、違うと思う。」

凪は顔を上げた。

「凪が本当に帰りたい人と帰っていいんだよ。」

その言葉を聞いて、胸の奥が少しほどけた。

「……陽菜は?」

「ん?」

「私が陽菜を選んだの、うれしかった?」

陽菜は、驚いたように目を瞬かせた。

「……すごく。」
小さく答えた。

その声があまりに素直で、
凪は、目をそらした。

校門を出ると、秋の風が吹いていた。
並木道には、色づき始めた葉が落ちている。

陽菜が一枚拾った。

「見て。ハートみたい。」

少し欠けた、赤い葉っぱ。

「ほんとだ。」

凪が笑う。

「でも、ちょっと欠けてる。」

「いいじゃん。欠けてても。」

陽菜は葉っぱを光にかざした。

「ちゃんとハートに見えるし。」

その横顔を見ながら、凪は思った。

陽菜は、いつもそうだ。
簡単に否定しない。

自分の気持ちが分からなくても。
うまく言葉にできなくても。

そのままでいいと、思わせてくれる。

「……ねえ、陽菜。」

「ん?」

「私、今日ね。」

「うん。」

「ちょっと怖かった。」

「何が?」

「悠真じゃなくて、陽菜と帰るって言うの。」

陽菜は黙って聞いていた。

「悠真が悲しそうだったから。」

「……うん。」

「でも、言わなかったら、もっと後悔したと思う。」

陽菜がゆっくり凪を見る。

「どうして?」

凪は少し笑った。

「陽菜と帰りたかったから。」

言ってから、顔が熱くなった。

何度も一緒に帰っているのに。

どうして今日は、こんな言葉が恥ずかしいんだろう。

陽菜はしばらく黙っていた。

そして。

「……私も。」

そう言った。

商店街の手前に、小さな歩道橋がある。

二人はいつものように階段を上った。

夕方の空が広がっている。

車の音。
遠くの踏切。
誰かの自転車のベル。

特別なことなんて、何もない。

凪は、この時間が終わってほしくなかった。

「ねえ、凪。」

陽菜が言った。

「昨日の電話のこと、まだ考えてる?」

凪はうなずいた。

「……うん。」

「そっか。」

「陽菜は?」

「私も。」

「昨日、電話切ったあと、後悔した。」

「……なんで?」

「自分勝手なこと言ったから。」

凪は首を振った。

「自分勝手じゃないよ。」

「でも、悠真の返事を待ってって。」

「うん。」

「私、そんなこと言える立場じゃないのに。」

凪は少し考えた。

そして、陽菜の隣に立つ。

「ねえ。」

「うん。」

「私、昨日、うれしかったって言ったよね。」

「……うん。」

「本当だよ。」

陽菜が顔を上げる。

凪は続けた。

「陽菜が嫌だって言ってくれたの。」

一度、息を吸う。

「なんか……私だけじゃなかったんだって思った。」

陽菜の表情が変わった。

「……何が?」

凪は言葉を探した。

ずっと、分からなかった。
自分の気持ち。

悠真への好きと、陽菜への好き。

何が違うのか。

でも、少しずつ見えてきた。

「陽菜が美咲と買い物の約束したとき。」

「……うん。」

「私、ちょっと嫌だった。」

陽菜が目を丸くする。

「え?」

「なんで私じゃないんだろうって。」

「……そうだったんだ。」

「それに、陽菜が好きな人いるって言ったときも。」

「うん。」

「誰なんだろうって、ずっと考えてた。」

凪は小さく笑った。

「私、変だよね。」

「……変じゃないよ。」

陽菜の声が、少し震えた。

「私も、似たようなこと考えてたから。」

凪の心臓が跳ねた。

「……誰のこと?」

陽菜は答えなかった。

ただ、凪を見た。

その目が、あまりに優しくて。

凪は聞いてしまった。

「陽菜。」

「うん。」

「私のこと……友達として、好き?」

風が吹いた。

陽菜の前髪が揺れる。

しばらく、返事がなかった。

凪は慌てた。

「ごめん。変なこと聞いた。」

「……ううん。」

陽菜が首を振った。

「ちゃんと答えたい。」

凪は息を止めた。

陽菜は少し俯いた。

それから。

「友達として、好きだよ。」

胸が、ちくりと痛んだ。

やっぱり、そうだよね。

凪は笑おうとした。

「……そっか。」

「でも、ただ。」

凪が顔を上げる。

「それだけじゃ、足りない気がする。」

心臓が、大きく鳴った。

「……え?」

陽菜は困ったように笑った。

「凪と一緒にいると楽しいし、安心する。」

「……うん。」

「でも、それだけじゃないんだよね。」

凪は何も言えなかった。

「凪がほかの人と楽しそうにしてると、気になる。」

「……うん。」

「凪からLINEが来ると、すぐ見ちゃう。」

「うん。」

「会えない日は、ちょっと寂しい。」

陽菜はそこで言葉を止めた。

そして。

「……これって、友達だからなのかな。」

凪の胸が熱くなった。

同じだ。

私と。

同じことを考えてる。

「陽菜。」

「うん。」

「私も、そうだよ。」

陽菜の目が揺れた。

「……ほんと?」

「うん。」

凪は、ゆっくりうなずいた。

「陽菜といると、楽しい。」

「うん。」

「安心する。」

「うん。」

「でも、帰ると……。」

声が少し震えた。

「また会いたくなる。」

陽菜が息を止めた。

二人はしばらく、見つめ合っていた。

歩道橋を下りると、道が二つに分かれる。

右へ行けば、凪の家。

左へ行けば、陽菜の家。

いつも、ここで別れる。

「じゃあ……。」

凪が言いかけたとき、
陽菜が、そっと凪の手に触れた。

指先。
ほんの少し。

凪は驚いて陽菜を見る。

「……陽菜?」

陽菜は、自分の手を見ていた。

「ごめん。」

慌てて離そうとする。

その瞬間。

凪は、陽菜の指を握った。

自分でも、どうしてそんなことをしたのか分からなかった。

ただ、離れてほしくなかった。

陽菜が顔を上げる。

「……凪。」

「……うん。」

手が、温かい。
思っていたより、ずっと。

凪は、その手を見つめた。

友達同士だって、手をつなぐ。

珍しいことじゃない。
そう思おうとした。

でも、今の自分の鼓動は、
そんな説明では収まらなかった。

陽菜が小さく言った。

「……嫌じゃない?」

凪は首を振った。

「全然。」

「……そっか。」

陽菜は少し笑った。

その笑顔が、いつもより幼く見えた。

二人は、しばらく手をつないだまま立っていた。

やがて、陽菜が言った。

「ねえ、凪。」

「うん。」

「私たちって、今、何なんだろうね。」

凪は笑った。

「……分かんない。」

「だよね。」

二人で笑う。

その笑いは、どこか照れくさかった。

凪は、つないだ手に少しだけ力を込めた。

「でもさ。」

「うん。」

「今すぐ名前をつけなくても、いいんじゃないかな。」

陽菜が凪を見る。

「……いいの?」

「うん。」

凪は、まっすぐ答えた。

「ちゃんと考えたいから。」

悠真のことも。

陽菜のことも。

自分のことも。

全部。

誰かを傷つけたくないからだけじゃない。

自分の気持ちに、嘘をつきたくないから。

陽菜は、ゆっくりうなずいた。

「……分かった。」

それから、少し笑って。

「じゃあ、ひとつだけ。」

「なに?」

「明日も、一緒に帰っていい?」

凪は笑った。

「もちろん。」

「……よかった。」

陽菜が、ほっとしたように息を吐く。

その顔を見て、凪は思った。

こんなに小さな約束が、
どうして、こんなにうれしいんだろう。

家に帰って、凪は机に向かった。

国語のノートを開く。

あのページ。
「好きの未然形。」

その下には、昨夜書いた二文字。

「好き。」

凪は鉛筆を持った。

少し考えてから、その横に書き足す。

「でも、まだ言わない。」

書いて、しばらく見つめた。

言えないから、言わないんじゃない。

怖いから、逃げるんでもない。

大切だから。
ちゃんと伝えたいから。

今は、まだ。

そのとき、スマホが震えた。

陽菜からだった。

『今日はありがとう』

凪は笑って返信する。

『こちらこそ』

すぐに返事が来る。

『手、あったかかったね』

凪の顔が、一気に熱くなった。

『陽菜も』

送信。

少し間があって。

『また、つないでもいい?』

凪はスマホを見つめた。

心臓が、うるさい。

何度も文字を打っては消した。

そして、ようやく送った。

『私からつないでもいい?』

既読。

少しして。

『……うん』

そのあとに、もう一通。

『待ってる』

凪はスマホを胸に抱えた。

昨日も、陽菜は言った。

待ってる。

でも、昨日とは、少し違う。

今夜の「待ってる」は、明日の約束だった。

凪は、窓の外を見る。

秋の夜。
遠くで、電車の音がする。

明日、陽菜に会う。
そのことを考えるだけで、胸が温かくなる。

凪はもう一度、ノートを見た。

「好きの未然形。」

まだ、言葉にはしていない。

でも、今日、つないだ手は、
言葉より先に、何かを伝えてしまった。

そして凪は、まだ知らなかった。

その夜、悠真もまた、スマホを握りしめながら、
ある決心をしていたことを。

「待つだけでは、届かない気持ちがある。」

それを、悠真も知り始めていた。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す