私が悠真と付き合ったら、どう思う?

私が悠真と付き合ったら、どう思う?

記事
コラム
家に着いたのは、午後7時を少し過ぎた頃だった。

「ただいま。」

靴を脱いで、階段を上がる。

部屋へ入る。

鞄を置くより先に、凪はスマホを取り出した。

陽菜とのトーク画面。

最後のメッセージは、あの一言だった。

『まだ?』

凪はベッドに腰を下ろす。

何と送ればいいんだろう。

『今帰ったよ』
それだけでいい。

そう思って文字を打つ。

でも、指が止まった。

今日あったことを、陽菜に言いたい。

悠真と映画を見たこと。

ごはんを食べたこと。

ゲームセンターへ行ったこと。

そして、告白されたこと。

でも、それを陽菜に伝えて、
どうしたいんだろう。

驚いてほしい?

相談したい?

それとも、何か別の言葉を期待している?

凪には分からなかった。

結局
『今帰ったよ』

送信。

数秒で既読がついた。

『おかえり』

それだけ。

凪は画面を見る。

……それだけ?

自分でも驚く。

何を期待していたんだろう。

すると、もう一通。

『楽しかった?』

凪は少し考える。

『うん。楽しかったよ』

嘘ではない。

本当に楽しかった。

送信。

しばらく。

返事が来ない。

一分。

二分。

たったそれだけなのに、妙に長く感じる。

やがて。

『そっか』

それだけ届いた。

凪の胸に、小さな違和感が生まれた。

いつもの陽菜なら、もう少し何か言う気がする。

気のせいかな。
凪はスマホを置こうとした。

でも、置けなかった。

『陽菜』

送る。

『なに?』

すぐに返ってきた。

凪は文字を打つ。

『今日ね』

止まる。

消す。

もう一度。

『悠真に告白された』

送信。

送った瞬間。

心臓が大きく鳴った。

既読。

すぐについた。

でも、返事が来ない。

一分。

三分。

五分。

凪は何度も画面を見る。

陽菜。

どうしたの。

返事は来なかった。

凪はベッドに寝転がる。

スマホを胸の上に置く。

(言わなきゃよかったかな。)

そのとき、スマホが震えた。

凪は飛び起きる。

『そっか』

また、それだけだった。

胸の奥が、少し痛んだ。

どうして?

何が悲しいのか、自分でも分からない。

祝ってほしかった?

「よかったね」と言ってほしかった?

違う。

もし陽菜に、「よかったね」
と言われたら。

たぶん。
もっと苦しかった。

凪は返信欄を開いた。

『返事はしてないよ』

送る。

今度は、すぐ既読になった。

そして、すぐに返ってきた。

『なんで?』

凪は固まった。

なんで。
それを説明できるなら、こんなに悩んでいない。

『分からない』

送信。

陽菜から、また返事が来なくなった。

凪はスマホを見つめる。

そして、五分ほど経った頃。

突然、画面が変わった。

陽菜
着信。

凪の心臓が跳ねた。

電話?

陽菜から?

凪は一瞬迷ってから、通話ボタンを押した。

「……もしもし。」

『凪?』

いつもの陽菜の声。

なのに。
少し違う。

「うん。」

『ごめん。急に。』

「大丈夫。」

沈黙。

二人とも、何も言わない。

いつもなら心地いい沈黙なのに。

今日は、苦しい。

『ねえ。』

陽菜が言った。

「うん。」

『悠真に告白されたんだよね。』

「……うん。」

『好きって?』

「うん。」

また沈黙。

凪は、自分の心臓の音まで聞こえそうだった。

『凪は。』

陽菜が言う。

そして、止まる。

「なに?」

『……ううん。』

「陽菜。」

今度は、凪が逃がさなかった。

「なに?」

電話の向こうで、
小さく息を吸う音がした。

『凪は、悠真と付き合うの?』

胸が締めつけられた。

「分からない。」

『そっか。』

「陽菜は?」

『え?』

凪は、自分でも何を聞こうとしているのか分からなかった。

でも、口が先に動いた。

「陽菜は……。」

声が震える。

「私が悠真と付き合ったら、どう思う?」

言ってしまった。

電話の向こうが、静かになった。

凪は後悔した。

何聞いてるの。

そんなの、
陽菜が困るだけなのに。

「ごめん。今の忘れて。」

『嫌。』

凪の息が止まった。

「……え?」

陽菜の声。
小さかった。

でも、はっきり聞こえた。

『嫌だと思う。』

心臓が、強く鳴った。

「どうして?」

聞いてはいけないような気がした。

でも、聞かずにはいられなかった。

電話の向こうで、陽菜が息を吐く。

『分かんない。』

「……分かんないの?」

『うん。』

少し間があって、
陽菜が、小さく笑った。

『凪と同じ。』

その言葉で。

凪は、国語のノートを思い出した。

ページの端に書いた、

あの言葉。
「好きの未然形。」

もしかして、陽菜も?

そこまで考えた瞬間。
胸が熱くなった。

「陽菜。」

『うん。』

「私ね。」

言いたい。

あの言葉を。
好きの未然形。

でも。

怖い。

もし、陽菜の「嫌」と、

自分の「嫌」が、違うものだったら。

「……なんでもない。」

『またそれ。』

二人で少し笑った。

その笑いで、張りつめていたものが、
ほんの少しほどける。

そして、陽菜が言った。

『ねえ、凪。』

「うん。」

『一個だけ、お願いしていい?』

「なに?」

また、沈黙。

長い。

長い沈黙。

そして、陽菜が言った。

『悠真への返事。』

凪は息を止める。

『まだ、しないで。』

時間が、止まった。

「……え?」

陽菜は何も言わない。

「それって……。」

凪が聞こうとした瞬間。

『ごめん。』

「陽菜?」

『おやすみ。』

「ちょっと待って。」

でも、通話は切れた。

凪は、
しばらくスマホを耳に当てたまま動けなかった。

やがて、ゆっくり画面を見る。

通話終了。

そこには、陽菜の名前。

凪はベッドに座ったまま、
何度も、何度も、
最後の言葉を思い返した。

「まだ、しないで。」

どういう意味?

友達だから?

心配だから?

それとも――。

凪は、胸に手を当てた。

速い。

悠真に告白されたときより。
ずっと、速い。

そのことに気づいた瞬間。

凪は、もう一つのことにも気づいてしまった。

陽菜に「嫌だ」と言われたとき、
自分は、困らなかった。

怖くもなかった。

本当は、うれしかった。

凪は、両手で顔を覆った。

「……ずるいよ。」

誰もいない部屋で、小さくつぶやく。

「そんなこと言われたら……。」

もう、好きじゃないふりなんて、
できなくなる。

机の上には、国語のノート。

凪は立ち上がり、そのページを開いた。

好きの未然形。

その文字を、しばらく見つめる。

そして、鉛筆を持った。

「未然形」の文字の下に、
小さく一文字だけ書く。

「好き」

でも、消さなかった。

凪は、その二文字を見つめた。

まだ、陽菜には言えない。

自分にも、完全には言い切れない。

だけど、今夜、凪の「好き」は、
ほんの少しだけ、未然形ではなくなった。
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