好きだったことまで、消さないで

好きだったことまで、消さないで

記事
コラム
翌朝。
凪は、いつもより少し早く目が覚めた。

カーテンの隙間から、秋の光が差し込んでいる。

枕元のスマホを手に取る。
悠真とのトーク画面。

『悠真、明日少し話せる?』

『うん。話そう。』

昨夜のやり取りを、もう一度読む。

短い二行。

でも、その向こうにあるものは、決して小さくなかった。

(今日、ちゃんと伝えよう。)

凪はスマホを伏せた。

ずっと好きだった。
悠真の笑い方。

何気なく名前を呼んでくれる声。
廊下ですれ違ったとき、目が合うだけでうれしかったこと。

全部、本当だった。

だからこそ、
その気持ちを、なかったことにはしたくなかった。

学校に着くと、陽菜が教室にいた。

「おはよ、凪。」

「おはよう。」

陽菜は、凪の顔を見て少し首をかしげた。

「……緊張してる?」

凪は驚いた。

「分かる?」

「うん。ちょっと。」

陽菜が笑う。

「今日、悠真と話すんでしょ。」

「……うん。」

「そっか。」

陽菜はそれ以上、何も聞かなかった。

ただ、凪の机の上に小さな飴を置いた。

「これ。」

「え?」

「緊張するとき、甘いものいいかなって。」

凪は、飴を見つめた。

レモン味。

いつも陽菜が持っているもの。

「……ありがとう。」

「うん。」

陽菜は笑った。

「ちゃんと話せるといいね。」

その言葉に、凪の胸が少し温かくなった。

陽菜は、結果を急がない。

そんな陽菜が、
今は、とても大切だった。

放課後。
校舎の裏手にある小さなベンチ。

凪が行くと、悠真はもう座っていた。

「……早いね。」

「凪こそ。」

悠真が笑う。
いつもの笑顔。

それだけで、胸が少し痛んだ。

凪は隣に座った。
少しだけ距離を空けて。

しばらく、二人とも何も言わなかった。

遠くから、運動部の掛け声が聞こえる。

風が吹いて、足元の落ち葉が動いた。

先に口を開いたのは、悠真だった。

「……返事、だよな。」

凪はうなずいた。

「うん。」

悠真は、小さく息を吐いた。

「そっか。」

そして、少し笑った。

「なんか、緊張するな。」

「……私も。」

「俺が告白したときより?」

「……うん。」

二人で、少しだけ笑った。

でも、その笑いはすぐに静かになった。

凪は、膝の上で両手を握った。

「悠真。」

「うん。」

「私ね。」

一度、息を吸う。

「悠真のこと、ずっと好きだった。」

悠真が顔を上げた。

「……うん。」

「たぶん、思ってたよりずっと長く。」

凪は、少し笑った。

「悠真が誰かと楽しそうにしてると、気になったし。」

「……うん。」

「ちょっと優しくされるだけで、一日中うれしかった。」

悠真は、黙って聞いていた。

凪は続けた。

「だから、日曜日に誘ってくれたとき。」

「うん。」

「本当に、びっくりした。」

少し間を置く。

「前の私だったら、夢みたいだったと思う。」

悠真の目が、わずかに揺れた。

凪は、膝の上の手を見つめた。

「でも。」

その一言が、思ったより重かった。

「今の私は……。」

声が震える。

悠真は、何も言わなかった。
ただ、待っていた。

凪は顔を上げた。

「今の私は、悠真と付き合えない。」

風が吹いた。
二人の間を、静かに通り過ぎていく。

悠真は、しばらく何も言わなかった。

やがて。
「……そっか。」

小さく答えた。

凪の胸が、ぎゅっと痛んだ。

「ごめん。」

「……うん。」

悠真は、少しだけ空を見上げた。

「覚悟してたつもりだったんだけどな。」
その声が、少し震えていた。

凪は、何も言えなかった。

悠真が続ける。

「やっぱ、結構きつい。」

「……うん。」

「凪が俺のこと好きだったの、知ってたから。」

凪は顔を上げた。

「……うん。」

「いつか、ちゃんと考えればいいと思ってた。」

悠真は苦笑した。

「でも、いつかって、勝手に来るもんじゃないんだな。」

その言葉が、凪の胸に残った。

悠真は、ゆっくり凪を見る。

「……陽菜?」

凪は、少し驚いた。

でも、逃げなかった。

「……うん。」

悠真は、小さくうなずいた。

「そっか。」

そして。
「陽菜のこと、好きなんだな。」

凪は、しばらく黙っていた。

好き。
その言葉を、何度も考えてきた。

ノートにも書いた。

でも、
誰かの前で、はっきり口にするのは初めてだった。

「……うん。」

小さく答える。

そして、もう一度。

今度は、はっきり。

「陽菜が好き。」

悠真は、少しだけ目を閉じた。

その顔を見て、凪は泣きそうになった。

でも、泣かなかった。

今、泣きたいのは、
きっと、悠真の方だから。

しばらくして。

悠真が、ぽつりと言った。

「……俺さ。」

「うん。」

「陽菜が羨ましい。」

凪は顔を上げた。

「……え?」

「凪に、そんな顔させられるから。」

凪は、何も言えなかった。

「俺といるときの凪、いつも少し緊張してた。」

「……そうかな。」

「うん。」

悠真が笑う。

「なんか、いい子でいようとしてた。」

凪は、胸を突かれたような気がした。

そうだった。

悠真の前では、嫌われたくなかった。

かわいく思われたかった。

失敗したくなかった。

「でも、陽菜といるときは違う。」

悠真が続ける。

「凪、すごく自然に笑うんだよ。」

凪は、目を伏せた。

「……そうなんだ。」

「うん。」

悠真は少し笑った。

「それ見て、悔しかった。」

「でも、好きになった理由も、ちょっと分かった。」

凪は顔を上げた。

悠真は、まっすぐ凪を見た。

「最近の凪、前より自分の気持ちを言うようになったよな。」

「……うん。」

「それ、いいなって思った。」

凪の目が、少し潤んだ。

悠真は続けた。

「俺が好きになったの、たぶん、そういう凪なんだ。」

その言葉に。
凪は、とうとう涙をこぼした。

「……ありがとう。」

悠真は、少し困ったように笑った。

「泣くなよ。」

「……ごめん。」

「謝るなって。」

二人で笑った。

涙のまま。

しばらくして。

悠真が立ち上がった。

「じゃあ、俺、部活行くわ。」

「……うん。」

凪も立ち上がる。

悠真は、二歩ほど歩いたところで振り返った。

「凪。」

「なに?」

「ひとつだけ、お願いしていい?」

凪は、少し緊張した。

「……うん。」

悠真は、照れくさそうに笑った。

「俺のこと好きだったの、なかったことにしないで。」

凪の胸が、強く鳴った。

「……え?」

「今は陽菜が好きでもいい。」

「……うん。」

「でも、俺のこと好きだった時間まで、消さなくていいから。」

凪は、涙をぬぐった。

そして、笑った。

「……消さないよ。」

悠真の目が、少しだけ潤んだ。

「絶対?」

「うん。」

凪は、まっすぐ答えた。

「悠真を好きだった私も、大切だから。」

悠真は、しばらく凪を見ていた。

それから。

「……ありがと。」

そう言って、歩き出した。

今度は、振り返らなかった。

凪は、その背中を見送った。

胸は痛かった。

でも、不思議と、少しだけ軽くなっていた。

校舎へ戻る途中。
凪は、スマホを取り出した。

陽菜とのトーク画面。

『今、話し終わったよ』

送信。
すぐに既読がついた。

『おつかれさま』

その一言に、胸が温かくなる。

『陽菜、今どこ?』

少しして。

『図書室』

凪は、思わず足を速めた。

『今から行ってもいい?』

『うん』

そして、もう一通。

『待ってる』

凪は、スマホを胸に抱えた。

待ってる。
陽菜は、いつもそう言う。

でも、今日は違う。

今日は、待っている人のところへ、

自分から行く。

凪は、走り出した。

廊下を曲がる。

階段を上がる。

図書室の扉が見える。

息が少し上がっていた。

でも、止まらなかった。

扉を開ける。

静かな図書室。

窓際の席。

陽菜がいた。

凪に気づくと、顔を上げる。

そして、笑った。

「……凪。」

その笑顔を見た瞬間。

凪は、思った。

ああ、やっぱり。

私は、この人が好きなんだ。

陽菜が立ち上がる。

「大丈夫だった?」

凪はうなずいた。

「うん。」

「ちゃんと話せた?」

「うん。」

陽菜は、ほっとしたように笑った。

「……よかった。」

凪は、陽菜を見た。

昨日までなら、
きっと、言えなかった。

でも、今日は。

「陽菜。」

「うん。」

「私、話したいことがある。」

陽菜の表情が、少し変わった。

「……なに?」

凪は、ゆっくり息を吸った。

そして、陽菜の手を取った。

「ここじゃ、だめかな。」

「……え?」

「二人きりで、話したい。」

陽菜の頬が、少し赤くなった。

「……うん。」

二人は、図書室を出た。

廊下には、夕方の光が差し込んでいた。

窓の外では、秋の風が木々を揺らしている。

凪は、陽菜の手を握ったまま歩いた。

昨日まで、
自分の気持ちに名前をつけるのが、怖かった。

「好き。」
その言葉を口にしたら、
何かが変わってしまうと思っていた。

でも、今は。
変わってもいいと思えた。

むしろ、変わりたいと思った。

凪は、そっと陽菜を見る。

陽菜も、こちらを見ていた。

その目が、少し不安そうで。

でも、どこか期待しているようにも見えた。

凪は、笑った。

「……陽菜。」

「うん。」

「今日、ちゃんと伝えるね。」

陽菜の手が、少し強く握り返された。

そして、
二人は、夕焼けの廊下を歩いていった。

好きの未然形。

それは、好きになる前の気持ちだと思っていた。

でも、違った。

本当は、
好きだと認める勇気を、育てていた時間だったのかもしれない。
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