凪が誰を好きになるかなんて、凪の自由だし。

凪が誰を好きになるかなんて、凪の自由だし。

記事
コラム
月曜日の朝。
凪は、いつもより早く教室に着いた。

別に、早く来ようと思ったわけじゃない。
ただ、家にいても落ち着かなかった。

昨夜の電話。

陽菜の声。

『嫌だと思う。』

そして、『悠真への返事、まだ、しないで。』

何度思い返しても、胸が熱くなる。

(あれって……。)

凪は鞄を机に置いた。

(どういう意味だったんだろう。)

友達として?

それとも、その先の何か?

「おはよ、凪。」

突然、声がした。

顔を上げる。

陽菜だった。

いつもと同じ笑顔。
いつもと同じ声。

「……おはよう。」

「今日、早いね。」

「陽菜も。」

「なんか目が覚めちゃって。」

そう言って笑う。

その笑顔を見た瞬間、
凪は少しだけ腹が立った。

(ずるい。)

あんなこと言っておいて、
どうして普通に笑えるの。

「ねえ、陽菜。」

「ん?」

「昨日のことなんだけど。」

陽菜の手が止まった。

ほんの一瞬。

でも凪には分かった。

覚えている。

陽菜も、ちゃんと覚えている。

「……昨日?」

「電話。」

「うん。」

「最後に言ったこと。」

陽菜は窓の外を見た。

「……ごめん。」

「なんで謝るの?」

「変なこと言ったから。」

凪の胸が、ちくりと痛んだ。

変なこと。

あの言葉は、
なかったことにされるの?

「私、変だと思わなかったよ。」

思ったより、
はっきりした声が出た。

陽菜が振り返る。

「……え?」

「だから。」

凪は陽菜を見た。

「嫌じゃなかった。」

陽菜の頬が、
少しだけ赤くなった。

「……そっか。」

また、そっか。

凪はもう、
その言葉だけでは足りなかった。

「陽菜は?」

「え?」

「どうして、あんなこと言ったの?」

陽菜が答えようとした。

そのとき。

「おはよ。」

教室の入り口から、悠真の声がした。

二人とも振り向く。

悠真は凪を見ると、
少しだけ照れたように笑った。

「凪、ちょっといい?」

胸が跳ねる。

昨日、告白してくれた人。

ずっと好きだった人。

「……うん。」

悠真が近づいてくる。

「昨日のことだけど。」

陽菜が静かに目を伏せた。

悠真は続ける。

「返事、急がなくていいから。」

「……うん。」

「でもさ。」

少し間を置いて。

「俺、昨日のこと、後悔してないから。」

凪は顔を上げた。

「ちゃんと言えてよかった。」

その言葉が、胸に沁みた。

悠真は本気なんだ。

今さらだからとか、
陽菜に取られそうだからとか。

それだけじゃない。

きっと、ちゃんと自分の気持ちを、
見つけたんだ。

「……ありがとう。」

凪がそう言うと、悠真は少し笑った。

「じゃ、またあとで。」

自分の席へ戻っていく。

凪はその背中を見送った。

そして、陽菜を見る。

陽菜は、ノートを開いていた。

何も言わずに。

「陽菜。」

「ん?」

「今の、聞いてた?」

「……うん。」

「何か言わないの?」

陽菜は、少しだけ笑った。

「悠真、いいやつだね。」

その瞬間。
凪の胸の中で、何かが弾けた。

「……そういうことじゃない。」

声が、思ったより強くなった。

陽菜が驚いて顔を上げる。

「凪?」

「陽菜は、どう思うの?」

「……何が?」

「私が悠真と付き合うこと。」

陽菜は黙った。

「昨日は嫌だって言ったよね。」

「……うん。」

「なのに、今日はいいやつだねって。」

凪は唇をかんだ。

「私、分かんないよ。」

陽菜の目が揺れた。

「ごめん。」

「謝ってほしいんじゃない。」

凪は、自分でも驚くほど必死だった。

「ちゃんと知りたいの。」

陽菜が凪を見る。

その目が、少しだけ潤んでいた。

「……私だって。」

小さな声。

「私だって、分かんないよ。」

「……陽菜?」

「凪が悠真と付き合ったら嫌なの。」

「うん。」

「でも、そんなこと言う権利ないし。」

「……。」

「凪が誰を好きになるかなんて、凪の自由だし。」

そこで、陽菜の声が震えた。

「だから、昨日のことは忘れて。」

凪の胸が締めつけられた。

「……嫌だ。」

陽菜が顔を上げる。

「え?」

「忘れたくない。」

凪は、陽菜をまっすぐ見た。

「陽菜が嫌だって言ってくれて、
 私、うれしかったんだよ。」

陽菜の目が、大きく開いた。

「……なんで?」

その質問に、凪は答えられなかった。

でも、逃げたくなかった。

「まだ、うまく言えない。」

「……うん。」

「でも、忘れたくない。」

陽菜は何も言わなかった。

ただ、凪を見ていた。

その視線が、あまりにもまっすぐで。

凪は、思わず目をそらした。

そして、始業のチャイムが鳴った。

二人とも、何もなかったように席へ戻る。

でも、もう、
何もなかったことにはできなかった。

昼休み。

凪は購買で、
いつものミルクティーを二本買った。

一本は自分。
もう一本は、陽菜。

教室へ戻る途中、
廊下の窓際に陽菜が立っているのが見えた。

凪は近づいた。

「陽菜。」

「ん?」

「これ。」

ミルクティーを差し出す。

陽菜は少し笑った。

「また買ってくれたの?」

「うん。」

「ありがと。」

受け取ろうとした瞬間。

二人の指が触れた。
ほんの少し。

それだけ、なのに。

陽菜の手が止まった。

凪も、動けなかった。

指先から、何かが伝わった気がした。

熱い。

凪は、そっと手を引いた。

「……ごめん。」

「なんで謝るの?」

陽菜が言った。

朝、凪が陽菜に言ったのと、
同じ言葉。

二人は顔を見合わせた。

そして、小さく笑った。

その笑顔に、凪は少しだけ安心した。

次の瞬間、陽菜が言った。

「ねえ、凪。」

「うん。」

「私、昨日の電話のあと。」

「うん。」

「全然眠れなかった。」

凪の心臓が、どくんと鳴った。

「……私も。」

陽菜が笑う。

少し、困ったように。

「なんかさ。」

「うん。」

「凪のこと考えると、最近おかしいんだよね。」

凪は息を止めた。

「……おかしい?」

「うん。」

陽菜はミルクティーを見つめた。

「一緒にいると楽しいのに。」

「うん。」

「帰ると、もう会いたくなる。」

凪の胸が、ぎゅっと締めつけられた。

それ、私も。

「凪が悠真と出かけるって聞いたときも。」

陽菜が続ける。

「応援しようと思ったんだよ。」

「……うん。」

「でも、できなかった。」

陽菜は、ゆっくり凪を見た。

「凪が悠真のこと好きだったの、知ってたのに。」

「……。」

「自分でも、嫌になる。」

凪は首を振った。

「嫌にならないで。」

「え?」

「私、陽菜にそう思ってもらえて……。」

言葉が止まる。

心臓が、うるさい。

陽菜が、少し近づいた。

「……うれしい?」

凪はうなずいた。

「うん。」

陽菜の目が揺れる。

「どうして?」

また、同じ質問。

でも今度は、凪の中に、
少しだけ答えがあった。

「陽菜が……。」

声が震える。

「陽菜が、私のことを特別に思ってくれてるなら。」

そこで、息を吸った。

「私も、特別だから。」

陽菜は、動かなかった。

「……誰が?」

小さな声だった。

凪は、逃げなかった。

「陽菜が。」

二人の間を、秋の風が通り抜けた。

陽菜の前髪が、ふわりと揺れる。

その向こうの瞳が、凪を見ていた。

「……凪。」

陽菜が呼ぶ。

「うん。」

「それって。」

一歩。
陽菜が近づく。

近い。

さっきより、ずっと近い。

「どういう意味?」

凪は、
陽菜の瞳から目を離せなかった。

答えたい。

今度こそ。

ちゃんと。

でも、そのとき、
廊下の向こうから、声がした。

「凪!」

悠真だった。

二人は、はっとして離れた。

悠真が近づいてくる。

「探した。」

「……どうしたの?」

「今日、一緒に帰れる?」

凪は、陽菜を見る。

陽菜は、何も言わなかった。

手の中のミルクティーを、
強く握っていた。

悠真が言う。

「昨日の返事じゃなくていいから。」

「……うん。」

「普通に、一緒に帰りたい。」

凪は、二人を見た。

悠真。

陽菜。

どちらも、大切な人。

どちらも、傷つけたくない人。

でも、そのとき、
陽菜が小さく言った。

「……凪。」

凪は振り向く。

陽菜は、まっすぐ凪を見ていた。

そして、今までなら絶対に言わなかったような声で、
こう言った。

「今日、私と帰ってほしい。」

凪の胸が、大きく鳴った。

悠真も、陽菜を見た。

陽菜は目をそらさなかった。

初めてだった。

陽菜が、凪を譲らなかったのは。

凪は、二人の間に立っていた。

そして気づく。

今までは、誰かに選んでもらいたかった。

悠真に、
好きだと言ってもらいたかった。

陽菜に、
特別だと思ってもらいたかった。

でも、もう、
それだけじゃない。

今度は、自分が選ぶ番なんだ。

凪は、小さく息を吸った。

そして、一人の名前を呼んだ。

「……陽菜。」

その瞬間、
陽菜の目が、大きく揺れた。

悠真は、何も言わなかった。

凪は続ける。

「今日、一緒に帰ろう。」

陽菜の唇が、かすかに震えた。

「……うん。」

その声は、とても小さかった。

でも、凪には、
はっきり聞こえた。

悠真は少しだけ目を伏せた。

そして、笑った。

「……そっか。」

その笑顔が、凪には痛かった。

「悠真、ごめん。」

「謝んなくていいよ。」

悠真は、少しだけ肩をすくめた。

「俺、待つって言ったし。」

そう言って、
教室の方へ歩いていく。

凪は、その背中を見送った。

苦しかった。

でも、後悔はしていなかった。

隣で、陽菜が言った。

「……よかったの?」

凪はうなずいた。

「うん。」

「悠真、傷ついたかも。」

「……うん。」

凪は、陽菜を見た。

「でも。」

少しだけ笑う。

「今日は、陽菜と帰りたかったから。」

陽菜が、息を止めた。

そして、ゆっくり笑った。

今まで見たことがないくらい、
うれしそうに。

その笑顔を見た瞬間。

凪は思った。

ああ、私、この笑顔が、
見たかったんだ。

ずっと。

ずっと。

まだ、「好き」とは言えない。

でも、今日、自分の足で、
一歩だけ近づいた。

好きの未然形は、
もう、ただ待っているだけの言葉ではなくなっていた。
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