でも、今度の「なんでもない」は、 本当に何でもないようには聞こえなかった。

でも、今度の「なんでもない」は、 本当に何でもないようには聞こえなかった。

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コラム
午後の授業が終わった。

凪は教科書を鞄にしまいながら、
机の端に置かれた空のミルクティーの紙パックを見た。

陽菜が飲んだもの。

「ごちそうさま。」

昼休みにそう言って笑った顔を思い出す。

たった一本。それだけなのに・・・。

まだ少しうれしい。

「凪。」

「ん?」

陽菜が鞄を肩にかけて立っていた。

「帰ろ。」

「うん。」

凪も立ち上がる。

二人で教室を出ようとした、そのときだった。

「凪。」

今度は、後ろから呼ばれた。

振り返る。

悠真だった。

「ちょっといい?」

「え?」

悠真の顔が、いつもより少し真剣に見えた。

凪は陽菜を見る。

「先、行ってる?」

陽菜が言う。

「ううん、すぐ行くから。」

「分かった。」

陽菜はそう答えると、廊下へ出ていった。

その後ろ姿を、悠真が目で追っていた。

そして、ぽつりと言った。

「最近、ずっと一緒だな。」

「誰と?」

「陽菜。」

凪は少し驚いた。

「そうかな。」

「そうだよ。」

悠真の答えは、思ったより早かった。

凪は悠真を見る。

「……どうしたの?」

「別に。」

その言葉に、凪は少し笑った。

「最近みんな、それ言う。」

「何?」

「別に、とか。なんでもない、とか。」

悠真も少し笑った。

「凪もよく言うじゃん。」

「……そうだけど。」

一瞬、二人の間に昔のような空気が戻る。

凪は思った。

やっぱり、悠真と話すのは嫌いじゃない。

むしろ楽しい。

ずっと好きだった人。

その事実まで、消えるわけじゃない。

「なあ。」

悠真が言った。

「昼のミルクティー。」

凪の胸が少し動く。

「うん。」

「陽菜に買ったんだろ?」

「……そうだけど。」

「頼まれたの?」

「違うよ。」

「じゃあ、なんで?」

思わず、凪は悠真を見た。

「なんでって……。」

理由なんて。

陽菜が好きだから。

――違う。

凪は心の中で慌てて否定する。

まだ、そこまでは言っていない。

「好きそうだったから。」

結局、そう答えた。

悠真が黙った。

「……そっか。」

その声が、少しだけ低かった。

「悠真?」

「なんでもない。」

まただ。

でも、今度の「なんでもない」は、
本当に何でもないようには聞こえなかった。

廊下の窓から、夕方の光が差し込んでいる。

「俺さ。」

悠真が窓の外を見ながら言った。

「最近、ちょっと変なんだよな。」

「変?」

「うん。」

少し笑う。

「凪が陽菜といると、なんか……。」

言葉が止まる。

凪は待った。

以前なら、相手が黙るとすぐに何か言った。

でも今は、待てる。

陽菜と過ごす中で、覚えたことだった。

悠真はしばらく黙ってから、小さく息を吐いた。

「面白くない。」

凪は目を瞬いた。

「……え?」

「だから。」

悠真は少し困ったように笑った。

「二人が楽しそうにしてると、なんか面白くない。」

「どうして?」

凪は本当に分からなくて聞いた。

悠真が凪を見る。

その目が、いつもと違った。

「それが分かんないから困ってる。」

その言葉、どこかで聞いた気がした。

分からない。

自分の気持ちなのに、分からない。

凪は、昨日までの自分を思い出した。

好きの未然形。

もしかしたら、悠真にも、
まだ名前のついていない何かがあるのだろうか。

「前はさ。」

悠真が続ける。

「凪って、よく俺のほう見てたじゃん。」

凪の顔が熱くなる。

「見てないよ。」

「見てた。」

「見てない。」

「いや、見てたって。」

悠真が笑う。

凪も、恥ずかしくなって笑った。

確かに。

見ていた。

悠真が誰と話しているのか。

今日は機嫌がいいのか。
自分のことを見てくれないか。

いつも気にしていた。

「でも最近。」

悠真の笑顔が少し消えた。

「見なくなった。」

凪は何も言えなかった。

「代わりに。」

悠真が廊下の先を見る。

そこには、凪を待っている陽菜がいた。

窓辺に立って、スマホを見ている。

「陽菜ばっかり見てる。」

心臓が、どくんと鳴った。

「そんなこと……。」

否定しようとして、凪は止まった。

本当に?

教室に入って、最初に探すのは誰?

休み時間に、声を聞くと振り向くのは誰?

購買でミルクティーを見て、思い出したのは誰?

答えは。

もう分かっている。

凪が黙っていると、悠真が言った。

「……ほら。」

「何?」

「否定しないじゃん。」

その声には、少しだけ寂しさが混じっていた。

凪は初めて、悠真のそんな顔を見た。

ずっと、自分が悠真を見ていた。

だから、悠真が自分をどう見ているかなんて、
考えたことがなかった。

「ごめん。」

思わず言う。

「なんで謝るんだよ。」

悠真が笑った。

「凪、そういうとこ変わんないな。」

「……ごめん。」

「また言ってる。」

二人で少し笑った。

でも、笑ったあと、
悠真は真剣な顔になった。

「なあ、凪。」

「うん。」

「俺さ。」

そこで、また言葉が止まる。

「……やっぱいい。」

「何?」

「今度言う。」

「気になる。」

「じゃあ今度まで気にしといて。」

「なにそれ。」

凪は笑った。

悠真も笑った。

けれど、その目だけは、
笑っていなかった。

「お待たせ。」

陽菜のところへ行く。

「終わった?」

「うん。」

二人で歩き始める。

少し進んでから、陽菜が聞いた。

「悠真、何だって?」

「え?」

凪は振り返る。

陽菜は前を向いたままだった。

「なんか長かったから。」

「……別に。」

言ってから、凪は思わず笑った。

陽菜も笑う。

「ほら。またそれ。」

「ほんとだ。」

二人で笑う。

でも、悠真の言葉が、
胸の中に残っている。

「凪が陽菜といると、面白くない。」

そして、最近、俺のほう見なくなった。

凪は隣を歩く陽菜を見る。

陽菜は夕暮れの空を見ていた。

その横顔を見た瞬間。
悠真の言葉を思い出す。

「陽菜ばっかり見てる。」

凪は慌てて前を向いた。

(……ほんとだ。)

また、見ていた。

その頃、教室に残った悠真は、
一人で窓の外を見ていた。

校門へ向かう二人の姿が見える。

凪と陽菜。
並んで歩いている。

陽菜が何か言う。

凪が笑う。

その笑顔を見た瞬間、胸の奥がざわついた。

悠真は、ようやく分かり始めていた。

凪が自分を見ていた頃。

それが、ずっと当たり前だと思っていた。

話しかければ笑う。

目が合えば、少し恥ずかしそうにする。

いつでもそこにいる。

だから、考えたことがなかった。

凪が、自分を見なくなる日が来るなんて。

失いそうになって、初めて気づくことがある。

「……遅いよな。」

誰もいない教室で、悠真がつぶやく。

好きなのか。

まだ、自分でも分からない。

でも、このまま何もしなかったら、きっと後悔する。

そんなことだけは、はっきりしていた。

悠真はスマホを取り出した。

凪とのトーク画面を開く。

文字を打つ。

消す。

また打つ。

そして、しばらく迷ってから、送信した。

帰り道。
凪のスマホが震えた。

画面を見る。

悠真からだった。

『凪、今度の日曜って空いてる?』

凪は足を止めた。

「どうしたの?」

陽菜が振り返る。

「……悠真から。」

その瞬間、陽菜の笑顔が、
ほんの少しだけ止まった。

凪は、まだ気づかなかった。

自分だけではなく。

陽菜の中でも、何かが、
動き始めていることに。

そして、三人それぞれの「好きの未然形」が、
もう、同じ場所にはいられなくなり始めていることに。
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