陽菜の前では、いい自分じゃなくても、ここにいていいと思える。

陽菜の前では、いい自分じゃなくても、ここにいていいと思える。

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コラム
「明日。学校で。」

昨日、陽菜が言った言葉。

朝、目を覚ましたとき。
凪はなぜか、その声を思い出した。

カーテンの隙間から夏の光が差し込んでいる。

いつもの朝。
いつもの制服。
いつもの通学路。

何も変わっていないはずなのに。

学校へ向かう足が、少しだけ軽かった。

理由は分かっている。
今日も、陽菜に会える。

それだけだった。

教室へ入る。

「おはよう。」

「おはよー。」

いつもの声が飛び交う。

自分の席へ向かいながら、無意識に教室を見渡した。

陽菜の席。
まだ、いない。

(……そっか。)

時計を見る。
いつもより少し早く着いていた。

鞄を置く。
教科書を出す。

なんとなく落ち着かない。

窓の外を見る。

廊下を見る。

また時計を見る。

(私、何してるんだろう。)

そう思った、そのとき。

「凪。」

聞き慣れた声がした。

振り返る。

「おはよう。」

陽菜が立っていた。

肩に鞄をかけて、
いつものように笑っている。

それだけなのに。
胸の奥にあった落ち着かなさが、一瞬で消えた。

「……おはよう。」

凪も笑う。

陽菜が席へ向かおうとして、
ふと思い出したように振り返った。

「昨日の枝豆、食べた?」

「食べた。」

「どうだった?」

「おいしかった。」

少し間を置いて、凪は続ける。

「家でも好評だったよ。」

「ほんと?」

陽菜の顔が明るくなる。

「おばあちゃん、喜ぶ。」

その言い方がおかしくて、凪は笑った。

「陽菜が喜ぶんじゃないんだ。」

「私はもういっぱい食べてるから。」

「なにそれ。」

二人で笑う。

昨日の続きが、
そのまま今日につながっている。

それが凪には、たまらなくうれしかった。

そのときだった。

「楽しそうじゃん。」

後ろから声がした。

凪は振り返る。

悠真だった。

「おはよ。」

「……おはよう。」

一瞬だけ、胸がざわついた。

少し前までなら、悠真から声をかけられただけで、
一日中そのことを考えていた。

何て返したか。
変じゃなかったか。
笑顔だったか。

嫌われていないか。
そんなことを何度も思い返していた。

「昨日どっか行ってたの?」

悠真が尋ねる。

「え?」

「枝豆とか聞こえたから。」

「ああ……。」

凪は陽菜を見る。

陽菜もこちらを見ている。

「陽菜のおばあちゃんのところ。」

「へえ。」

悠真が笑う。

「いいな。楽しそう。」

「うん。」

凪は答えた。

そして、自分の言葉に少し驚いた。

「すごく楽しかった。」

以前の自分なら、
もう少し控えめに答えていた気がする。

「まあまあ」とか。
「普通に」とか。

相手がどう思うかを考えて、
気持ちを少し小さくしてから口にしていた。

でも今は。
楽しかったから、楽しかった。

それでいいと思えた。

「そっか。」
悠真はそう言うと、自分の席へ戻っていった。

凪は、その後ろ姿を見る。
胸が少しだけざわついている。

嫌いになったわけではない。

悠真は今も優しい。
話しかけられれば、うれしい。

なのに、何かが違う。

以前なら、
悠真が席へ戻ったあとも、ずっと目で追っていた。

でも今。

「凪。」

陽菜の声がする。

振り向く。

「今日、暑くなるんだって。」

「え?」

「最高気温、すごいらしいよ。」

「やだ。」

「凪、昨日も水分あんまり取ってなかったでしょ。」

「取ってたよ。」

「少ない。」

「見てたの?」

「見てました。」

陽菜が少し得意そうに笑う。

凪も笑った。

その瞬間、悠真のことを考えていたはずなのに、
いつの間にか忘れていた。

それに気づいた瞬間だけ、凪の笑顔が止まった。

(……あれ?)

悠真を見たときの気持ち。
陽菜を見たときの気持ち。

どちらも「うれしい」。
そう思っていた。

でも、同じじゃない。

悠真に話しかけられると、
自分がどう見られているのかが気になる。

陽菜に話しかけられると、
そんなことを忘れてしまう。

悠真の前では、
少しでもいい自分でいたかった。

陽菜の前では、いい自分じゃなくても、
ここにいていいと思える。

そこまで考えて、凪は慌てて思考を止めた。

(違う。)

また、その言葉だった。
最近、何度も心の中で繰り返している。

何が違うのか。
何を否定しているのか。

もう、自分でも分かり始めているような気がする。

でも、まだ、その先へ行くのが怖かった。

「凪?」

陽菜が不思議そうに顔をのぞき込む。

近い。

凪は思わず一歩だけ後ろへ下がった。

「な、なに?」

「急に黙ったから。」

「なんでもない。」

「そっか。」

やっぱり陽菜は、それ以上聞かなかった。

チャイムが鳴る。
陽菜が自分の席へ戻っていく。

凪は、その後ろ姿を見つめた。

そして気づく。

今朝、
教室へ入ったとき、自分が最初に探した人。

それは、
悠真ではなかった。

凪は机の上の教科書へ視線を落とした。

胸の奥で、何かがゆっくりと、
でも確実に・・・。

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