それだけのことが、凪にはとても新鮮だった。

それだけのことが、凪にはとても新鮮だった。

記事
コラム
夏の風が、そっと教えてくれた。
家へ戻ると、おばあちゃんが縁側に座っていた。

「おかえり。」

「ただいま。」

陽菜と凪の声が重なる。

また二人で顔を見合わせて、笑った。

「いいところだった?」

おばあちゃんが尋ねる。

「はい。」

凪は迷わず答えた。

「すごく。」

その言葉に、陽菜がうれしそうに笑う。

それだけで、凪もまた、少しうれしくなった。

「じゃあ、そろそろ食べようか。」

おばあちゃんが立ち上がる。

さっき採った枝豆は、大きなざるいっぱいになっていた。

家へ入り、枝豆を洗う。

鍋から湯気が立ちのぼる。

塩の匂い。
開け放した窓から入ってくる風。

遠くで鳴いているセミ。

学校では味わったことのない時間だった。

「できたよ。」

おばあちゃんが茹でたての枝豆をテーブルへ置く。

「熱いから気をつけてね。」

凪は一つ手に取った。

「あつっ。」

思わず声が出る。

陽菜が吹き出した。

「言われたばっかりなのに。」

「だって、おいしそうだったから。」

「凪って、意外とそういうところあるよね。」

「どういうところ?」

「たまに、すごく素直。」

「……なにそれ。」

凪は少しむっとしたふりをする。

でも、
笑っていた。

陽菜も笑っている。

おばあちゃんも笑っている。

その瞬間、
凪はふと、不思議な感覚に包まれた。

自分が何か面白いことを言わなくても、
気を遣わなくても、

ちゃんとしていなくても、
ここにいていい。

そんな気がした。

「おいしい。」

今度はゆっくり枝豆を口に入れる。

「でしょ?」

陽菜が得意そうに言う。

「陽菜が作ったみたいに言わないの。」

おばあちゃんが笑う。

「私も手伝ってるもん。」

「小さい頃から、つまみ食いばっかりだったけどね。」

「もう、おばあちゃん!」

また笑い声が広がった。

凪も声を出して笑った。

こんなふうに笑ったのは、いつ以来だろう。

時間を忘れて。
誰かの顔色を確かめることもなく。

ただ楽しいから笑う。
それだけのことが、凪にはとても新鮮だった。

やがて、
壁の時計が目に入った。

午後四時を少し過ぎている。

「あ……。」

陽菜も時計を見る。

「そろそろ駅に向かわないと。」

その言葉を聞いた瞬間だった。
凪の胸の奥が、きゅっと縮んだ。

さっきまであんなに軽かったのに。

急に何かが沈んでいく。

「……そっか。」

口から出た声は、自分でも分かるくらい小さかった。

帰る。
当たり前のことなのに。

なぜだろう。
嫌だった。

もっとここにいたい。
おばあちゃんの話を聞いていたい。

畑の風を感じていたい。

そして、もう少しだけ陽菜の隣にいたい。

そこまで考えて、凪は慌てて枝豆へ目を落とした。

(私、何考えてるんだろう。)

「凪?」

「え?」

顔を上げる。

陽菜がこちらを見ていた。

「どうしたの?」

「……なんでもない。」

いつもの答え。

そう言えば、それで終わるはずだった。

けれど陽菜は追及しなかった。

「そっか。」

ただ、それだけ。

凪は少しだけ唇を噛んだ。

本当は、なんでもなくなんか、なかった。

帰りたくない。
もう少し一緒にいたい。

そんな気持ちを言ったら、陽菜はどう思うのだろう。

重いと思うだろうか。

困らせてしまうだろうか。

また、いつもの癖が顔を出す。

相手がどう思うか。

嫌われないか。

迷惑ではないか。

自分の気持ちより先に、誰かの気持ちを考えてしまう。

そのとき、陽菜が何気なく言った。

「私も、もう少しいたかったな。」

凪の指が止まった。

「……え?」

「今日、楽しかったから。」

陽菜は残っていた枝豆を一つ手に取る。

「終わるの、ちょっと寂しい。」

凪は陽菜を見つめた。

同じだった。

自分だけじゃなかった。

その事実だけで、胸の奥にあった何かが、ふっとほどけていく。

「……私も。」

気づいたときには、言葉が出ていた。

陽菜が顔を上げる。

凪は少し恥ずかしくなって、視線をそらした。

「私も……もう少しいたかった。」

ほんの数秒、沈黙が流れる。

以前の凪なら、きっと何か言葉を足していた。

「畑が楽しかったから」とか。

「おばあちゃんの話が面白かったから」とか。

理由をつけて、自分の気持ちを安全な形に変えていた。

でも今日は、何も足さなかった。

陽菜も何も聞かなかった。

ただ、うれしそうに笑った。

「そっか。」

窓から風が入ってくる。
白いカーテンが、ふわりと膨らんだ。

凪はその向こうに広がる夏の空を見つめた。

好きなのかどうかなんて、
まだ分からない。

でも、
終わってほしくないと思える時間があること。
離れたくないと思える人がいること。

それだけは、もう、ごまかせなかった。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す