今日、できたこと──立てた

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コラム
翌朝のグラウンドは、
昨日より少しだけ柔らかかった。

夜の冷えで乾きかけた泥に、
スパイクの跡が浅く残る。

柚は誰もいないグラウンドの真ん中に立った。

風が頬を撫でて、
汗の跡を冷たくしていく。

昨日までの重たい空気が、
少しだけ軽くなっている気がした。

気のせいかもしれない。
でも、気のせいでもいい。

ノートを開く。
ページの端に、泥の指跡がついていた。

“水を押し出した”
その下に新しい一行を加える。

「今朝、グラウンドに立てた」

ただそれだけ。
でも、それが今の自分の全部だった。

しばらくすると、美緒が来た。
眠たそうな目で、髪を後ろで束ねている。

「……早いね」
「うん。なんか、来ないと落ち着かなくて」

二人で並んで立つ。

朝日が少しずつ顔を出して、
白い息を光らせていた。

「昨日の、あれ……見た?」
「メモ?」
「うん」
「見た。誰だろうね」

美緒は少し笑って言った。
「分かんないけど、なんか救われたよね」

柚も頷いた。
「“ありがとう”って、
 あんなにあったかい言葉だったんだね」

「……あの先生、見えてたのかな」

「何が?」

「こうなるの。
 私たちが、少しずつ戻ってくること」

柚は答えなかった。
風が、二人の間を抜けていく。

昼休み。
フェンスの向こうから、
陽菜と結月の姿が見えた。

二人とも制服のまま。

「……なに、また練習してんの?」
陽菜が声を上げた。

柚は笑いながら、
「してないよ。ただ、立ってるだけ」
と答えた。

「何それ。変なの」
陽菜は呆れたように言って、
結月と目を合わせた。

でも、すぐには帰らなかった。

沈黙のあと、
陽菜がボールを足で転がした。

「……蹴っていい?」
「いいよ」

蹴られたボールがゆっくり転がる。

その音が、
昨日までの沈黙を少しずつほどいていった。

放課後。
グラウンドに戻ると、
神谷先生がフェンスの外から見ていた。

「いい顔してるね」
「え?」
「“できない”顔じゃなくなった」

そう言って、
先生は柚のノートを開いた。

“今朝、グラウンドに立てた”

その下に、先生が一行だけ書き加えた。
「立つだけでも、風は吹く」

柚はその文字を見つめて、
胸の奥が少し熱くなった。

夜。
窓を開けると、春の匂いが濃くなっていた。

(きっと、まだ何も変わってない。
 でも、変わりたいと思ってる自分がいる)

ノートを開く。

「今日、できたこと──立てた」

その一行を書いたとき、
遠くでボールが弾む音がした。

誰が蹴ったのかは分からない。

けれど、その音が確かに
明日へ続く合図のように響いた。

──続く。
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