こうなるの知っていたので
上場企業の事務職は13歳のころから視界に入れなかった
つまり上場企業の事務系サラリーマンは一番の底辺で
企業も30歳になる前にやめてほしいのだ。
底辺の仕事なのだ。
学校の成績に関していえば馬鹿にしていた。
だって、システム化されAiがホワイトカラーの役目をするからねえ
そんなのを1977年にはわかっていた。
だから早稲田大学付属中学は受けたが一言余計な大喜利状態で
落ちた。
「早稲田大学行ったら4年の卒論が確定した瞬間に中退します」とも
面接で言った。時事ネタだったので。
いいかい。
手はお膝で四谷大塚とか行って塾講師にセクハラされてまで
難関中高一貫校へ行って事務系サラリーマンという底辺の
給料の安い職に就くよりも、難関国家資格たくさん取って
技術者として生きた方がいいじゃん。
みんながみんな大学へ行く必要はない
難関無線の国家資格を取ったおかげで昭和の時代は
付属の工業大学へ推薦してくれた
だがそこで固定磁石の配置の授業で、冶金工学をぶつけて
電子スピンと回転速度とエネルギーを同じくしたら
もっとすごい固定磁石ができますよと言ったら
東芝出身の講師は激怒して「顔見たくない。やめろ」と言ったので
大学の事務局に行って、「何とか講師にやめろと言われた」
と言ってやめたのだが、大学は引き留めてはくれなかった。
やめる前にソフトウエアの専門学校に学校を決めていたが
試験を受けに行くだけで授業に出た覚えはない
ずっと末広町で開発のバイトしていた
私が辞めたのは5月10日頃だったが8月の終わりに
ネオジム磁石というのが出て来て私の指摘とズバリ一致したが
その東芝出身の講師は学校を辞めなかったが針の筵だったはずだ。
まあ、いい。
それでひいひい言いながらMARCHクラスの学校を卒業して上場企業の
役員になった人(1995年頃55歳)の年収と1990年頃の私の年収では
私の年収の方が大きかった。
1990年頃その年収で25歳だったがゴールドカードを申し込んだ。
趣味仕事 特技金儲け 「浪費は嫌い」みたいなコメントをアピールポイントに書いた。当時のクレジットカードの審査はカネを使わない奴にカードを
発効していた。
そしたらクレジットカード会社の30歳くらいの審査の姉さんから電話があって
「結婚して!」って言ってきた。びっくりして固まってたらそれきりになった
1990年頃年収あとちょとで3千万円というのはたくさんいたはずだが
25歳でこの年収はいなかったようだ。
こんな感じで東大の宇宙研究している教授職は月給1000万くらいもらって
いるのかと思ったら年収500万円で鳶の若い兄ちゃんは月収360万円+出来高制だった。私もそこまではいかなかったが結構な額であれは横浜の貿易商が
グッチというブランドをやっているときにおじいちゃんが助言して、2万円のイタリアのバッグを30万円とか50万円とか値段を作ってgucciブランドで表参道に展開して余った予算を婦人雑誌につぎ込んだら本社gucciが
買い戻しに来た。
だから、お帳簿が引き継がれていておじいさんの名前を言うと3割引で買える
カルチェもお帳場があって会社名を言うとおじいさんがかつて銀座のママさんにプレゼントとした時計まで出てきた。
そのカルチェつながりで在日フランス商工会議所に入会した。
今はブランドが欲しいとか名誉が欲しいとかそういう堅苦しいの、
いやになってきた。
花火大会の席料が3万円とか言ってますけどね
屋形船を頼んだらもっとかかるでしょう。
私は花火大会も盆踊りも神輿の祭りも興味がないのですな
夏の風物詩とか、実にどうでもいい。
花火大会も盆踊りも神輿の祭りもリクエストすれば
いい席もらえますけどね。参加しない。無駄だし意味を見いだせないから
夏は参加しないことに価値がある。
夏の風物詩といえばジャニーズ系のコンサートだが
ある時一回だけ会議所の先輩にお願いして関係者席をもらって娘に渡したことがある。
その時の視線が、「誰、あいつら!」で嫌だったそうだ。
夏を満喫するのは70日ハワイに行って遊んでいた方がまし
整形外科病院長の友人が180メートル級のGIGAヨット
載っててヘリで合流する感じ?
後は予約の取れないレストランよりもみんなで安くBBQするのが好き