今朝、何気なく湯のみを手に取ったとき、いつもの場所ではなく、少し奥に置いてあったものを選んでいました。
理由はありません。ただ、手がそちらへ伸びたのです。
こういう小さな動きの中に、無意識の声が出ることがあります。頭では気づいていないけれど、心や体は先に何かを感じ取っている。そんなことが、日々の中には静かに混じっています。
たとえば、なぜか会う気になれない人。理由もなく後回しにしたくなる用事。反対に、急に片づけたくなる場所。そういう感覚は、怠け心や気まぐれだけではなく、自分の内側の流れが、少し向きを変えようとしている合図でもあります。
東洋思想では、人も自然の一部として見ます。陰が深まるときもあれば、陽へ向かうときもある。木火土金水の巡りのように、心にも伸びる時期、燃える時期、休む時期、整える時期があります。
四柱推命で命式を読むときも、易で流れを見るときも、タロットを開くときも、表に出ている答えだけでなく、その奥にある気配を見ています。無意識は、その気配を先に受け取っているのかもしれません。
だから、理由がはっきりしない感覚を、すぐに否定しなくてもいいのだと思います。
今日は少し立ち止まって、「なぜそう感じたのだろう」と静かに眺めてみる。
その小さな問いが、自分の流れに戻る入口になることがあります。