第5回 吉田拓郎たちが歌った自分の言葉

第5回 吉田拓郎たちが歌った自分の言葉

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昭和40年代の終わりから50年代初め、日本のフォークはもう一度大きく姿を変えました。吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、かぐや姫などが、ギター片手に自分の暮らし、自分の恋、自分の苛立ちを、自分の言葉で歌い始めたのです。

吉田拓郎の登場には、それまでの歌謡界の作法を壊すような勢いがありました。「結婚しようよ」は、長髪の若者が結婚し家庭を築くという、新しい世代の生活感覚を明るく歌いました。「旅の宿」には男女の親密な情景があり、「襟裳岬」では森進一という演歌歌手とフォークの感性が結びつきました。ジャンルの壁は、すでに動き始めていたのです。

井上陽水の「傘がない」は、世界の重大事よりも目の前の恋人に会いに行く傘がない、と歌いました。それは社会問題を軽んじたのではなく、大きな正義だけでは救えない個人の孤独を突きつけた歌でした。「心もよう」「夢の中へ」には、都市で生きる若者の不安と乾いたユーモアがありました。泉谷しげるの歌には、怒りと人間臭さがむき出しになっていました。

かぐや姫の「神田川」は、狭い部屋、銭湯、若い二人の貧しい暮らしを描きました。高度経済成長で国は豊かになっても、若者の生活はまだ質素でした。しかし、その貧しさの中に愛があり、後から振り返れば青春そのものだった。こうした歌は「四畳半フォーク」と呼ばれ、共感と批判の両方を集めました。

作詞家、作曲家、歌手が分業する歌謡曲に対し、自分で作って自分で歌うシンガー・ソングライターが力を持ち始めます。歌が上手いかだけではなく、何を歌うか、どんな生き方をしているかが問われるようになりました。若者はスターの歌を受け取るだけでなく、自分自身の心の風景を歌の中に探すようになったのです。

読者の皆様へ 皆様の青春の部屋には、どんなフォークソングが流れていましたか。


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