第12回 カラオケが歌を私たちのものにした

第12回 カラオケが歌を私たちのものにした

記事
音声・音楽
昭和の歌を語るうえで、カラオケの広がりは欠かせません。昭和50年代からスナックや宴会場に普及し、昭和60年代にはカラオケボックスも登場しました。それまで歌は、ラジオやテレビでプロが歌うもの、あるいは家で口ずさむものでした。カラオケは普通の人を、その場の主役にしました。
職場の仲間、近所の人、家族。マイクを回し、一人が歌えば、皆が手拍子をする。上手下手だけではなく、その人の持ち歌や選曲に人柄が表れました。演歌が生活の中で強く残った理由にも、カラオケは大きく関わっています。五木ひろしや石川さゆりを歌う人がいれば、松田聖子を歌う人、アリスやサザンオールスターズを歌う人もいる。一つの部屋の中で昭和歌謡の全ジャンルが同居しました。
一方、音楽を聴く形はますます個人化しました。レコードからカセットへ、さらに昭和57年頃からCDが登場し、昭和の終わりにはデジタルの音が身近になり始めます。ウォークマンは、好きな歌を一人で持ち歩く自由を与えました。家族全員が同じ番組を見る時代から、一人ひとりが好きな音楽を選ぶ時代への転換です。
それでもカラオケでは、人は再び同じ歌を共有しました。聴くことは個人へ、歌うことは仲間へ。昭和末期の音楽文化には、この二つの流れが同時にありました。
歌謡曲はスターだけが作ったのではありません。歌番組を待ち、レコードを買い、ラジオへ葉書を送り、カセットへ録音し、宴会で歌った私たちも、その文化を支えた一員でした。歌は聴かれ、歌われることで、人の暮らしの中に根を張るのです。
読者の皆様へ 皆様の十八番、いわゆる持ち歌は何だったでしょうか。
サービス数100万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す