第6回 演歌は消えず 歌謡曲は花盛り

第6回 演歌は消えず 歌謡曲は花盛り

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フォークが若者の支持を集めるにつれ、私には演歌が少しずつ影を薄くしていくように感じられました。けれど、昭和歌謡の歴史を振り返ると、演歌が消えたわけではありません。むしろ昭和40年代後半から50年代にかけて、演歌、歌謡曲、フォーク、アイドルが同じテレビ番組の中で競い合う、実に豊かな時代になりました。

北島三郎、五木ひろし、森進一、都はるみ、八代亜紀、石川さゆり。彼らは故郷、別れ、酒、海、雪、働く人の哀歓を歌い続けました。「喝采」「舟唄」「津軽海峡・冬景色」など、演歌・歌謡曲の名曲は、都会へ出た人の望郷や、大人の心の傷を引き受けました。高度経済成長は豊かさを生んだ一方、集団就職や人口移動によって、故郷を離れる人も増やしたからです。

一方、南沙織、天地真理、小柳ルミ子の「新三人娘」、さらに郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の「新御三家」が登場します。テレビはスターを毎週家庭へ届け、歌番組、ドラマ、雑誌が一体となって人気を作りました。山口百恵、桜田淳子、森昌子は「花の中三トリオ」と呼ばれ、少女が大人の女性へ成長する姿そのものが物語になりました。

昭和48年の石油危機で、高度経済成長は転機を迎えます。物価上昇や先行きへの不安が広がる一方、家庭にはカラーテレビが定着し、人々は茶の間で多彩な歌を楽しみました。フォークが本音を歌い、演歌が情念を歌い、アイドルが夢を見せる。それぞれが別の役割を持ちながら、一つの「歌謡界」の中に同居していました。

今のように好みごとに視聴する場所が分かれていなかったため、子どもも大人も同じ番組を見ていました。好きではない歌も自然に耳へ入り、いつの間にか歌えるようになる。昭和の名曲が世代を越えて残った背景には、そんな茶の間の力もあったと思います。

読者の皆様へ 家族全員で見ていた歌番組は、皆様には何だったでしょうか。


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