三島事件の勃発
しかし、三島由紀夫はその約束を鶴田に果たす機会を与えませんでした。
1970年11月25日、三島は自身が結成した「楯の会」のメンバーと共に、
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(東部方面総監部)を占拠。
バルコニーから自衛隊員に向けて
憲法改正のための決起(クーデター)を呼びかけた直後、総監室内で割腹自決を遂げました。
なぜ三島は鶴田を誘わなかったのか
三島が鶴田に一切の計画を漏らさず、声をかけなかった理由について、
後年さまざまな分析がなされています。
* 映画スターを守るため:
もし鶴田を巻き込めば、
日本映画界の至宝であるトップスターの破滅を意味します。
三島は鶴田の立場を傷つけまいとしたと考えられています。
* 本物の「武士」としての完結:
三島にとって、市ヶ谷での決起は自らの思想を殉じさせる
純粋な「儀式」でした。
民間人であり、かつ芸能人である鶴田を実戦に巻き込むことは、
三島の美学に反していたとも言えます。
三島の訃報を聞いた鶴田浩二は、
自分に声をかけてくれなかった無念さと、
約束を果たせなかった哀しみに深く打ちひしがれたと伝えられています。
スクリーンの中の任侠世界と、三島が現実で全うした生と死の美学が、
奇しくも交錯した映画のような実話です。