どちらも「良い」選択肢なのに
「もう1ヶ月も悩んでるんです」
ユカさんは、疲れた様子でそう切り出した。
ダイキ「1ヶ月......長く感じられますよね」
「はい。A社は年収が少し高くて、福利厚生もしっかりしてます。でもB社は自分のやりたい仕事に近くて、上司になる人もすごく良い感じで......」
ユカさんは、スマホのメモアプリを開いて見せてくれた。そこには、2つの会社の条件が細かく比較されていた。年収、通勤時間、残業時間、社風、成長機会、福利厚生......少なくとも20項目以上は並んでいる。
「すごく丁寧に比較されてますね」
「そうなんです。何度も何度も見返して......でも、決められなくて」
ダイキ「決められない、というのは......?」
「どっちを選んでも、後悔しそうな気がするんです」
ユカさんの声は小さくなった。
「A社を選んだら、『やりたい仕事ができたかもしれないのに』って思いそうだし、B社を選んだら、『もっと安定した環境を選べばよかった』って思いそうで......」
「正解」を探す日々
ダイキ「それぞれの会社について調べたり、考えたりする時間は、1日どのくらいですか?」
「えっと......多分、3時間くらいは」
「3時間......」
「朝起きたら、まずメモを見て。仕事の休憩時間も考えて。夜も寝る前に......気づいたら、ずっと考えてるんです」
ダイキ「その3時間で、何か新しいことが見えてきますか?」
ユカさんは少し考えてから、首を横に振った。
「......見えてこないです。同じことをぐるぐる考えてるだけで」
「同じことを、ですか」
「はい。どっちが正解なのか、って」
ダイキ「正解......」
「間違った選択をしたくないんです。だって、これから何年も働く場所ですよ? もし間違えたら......」
ユカさんは言葉を詰まらせた。
「もし間違えたら、どうなると思います?」
「......人生が、狂っちゃう気がして」
その言葉を口にした瞬間、ユカさんの目に涙が浮かんだ。
「失敗」の記憶
しばらく沈黙が続いた。
ダイキはティッシュの箱をそっと差し出した。ユカさんは小さく頷いて、涙を拭いた。
「すみません......なんか、急に」
ダイキ「いえ。今の『人生が狂っちゃう』っていう言葉、すごく強い言葉だなって思って」
「......そうですよね」
「もしよければ、聞かせてもらえますか? その感覚は、どこから来てるんでしょう」
ユカさんは、ゆっくりと話し始めた。
「前の会社に入った時も、すごく悩んだんです。2社から内定をもらって......で、結局、年収が高い方を選んで」
「それが今の会社、ですか」
「はい。でも......入ってみたら、想像と全然違って」
ダイキ「どんな風に違ったんですか?」
「仕事の内容も、人間関係も。『こんなはずじゃなかった』って、毎日思ってました」
ユカさんは、メモアプリを閉じた。
「もう一つの会社を選んでいたら、もっと違ったのかなって。だから今回は、絶対に間違えたくないんです」
完璧な情報を集めても
ダイキ「ユカさん、一つ聞いてもいいですか」
「はい」
「前回、会社を選ぶ時も、こうやって比較したりしましたか?」
「しました。条件とか、口コミとか、すごく調べて......」
「それでも、入ってみたら違った」
「......はい」
ダイキ「じゃあ、今回どんなに調べても、入ってみないと分からないことって、やっぱりあるんじゃないですか?」
ユカさんは、はっとした表情になった。
「......そう、ですね」
「完璧な情報を集めても、100%確実な選択はできない。そういうことかもしれません」
「でも......じゃあ、どうやって決めたらいいんですか?」
その質問に、ダイキはすぐには答えなかった。
「正解」ではなく「納得」
ダイキ「ユカさんは、どちらの会社を選んでも、後悔するかもしれないって言いましたよね」
「はい......」
「ということは、『後悔しない選択』を探してるわけじゃないのかもしれませんね」
「え?」
「どちらを選んでも、うまくいかないことはあるかもしれない。でも......」
ダイキは少し間を置いた。
「もし仮に、うまくいかなかった時に、『それでも、私はこっちを選んでよかった』って思える方は、どっちですか?」
ユカさんは、じっと考え込んだ。
「......B社、かもしれません」
「なぜですか?」
「やりたい仕事に近いから......たとえ大変でも、『自分で選んだ道だから』って思えそうな気がします」
ダイキ「それは、すごく大事な感覚だと思います」
「でも、A社の方が条件は良くて......」
「条件が良くても、『あっちを選べばよかった』って思いそうですか?」
「......思いそうです」
ユカさんは、自分の言葉に驚いたような顔をした。
手持ちの資源から考える
ダイキ「もう一つ、聞いてもいいですか」
「はい」
「ユカさんが今、持ってるものって何だと思います? 経験とか、スキルとか」
「えっと......営業の経験が3年くらいと、あとは......」
ユカさんは少し考えてから、続けた。
「人と話すのは、わりと得意かもしれません。前の会社でも、お客さんとの関係は良好だったので」
「なるほど。それって、どちらの会社でも活かせますか?」
「......どっちでも活かせると思います」
「じゃあ、その『得意なこと』を使って、どちらの会社でもっと成長できそうですか?」
ユカさんは、しばらく黙って考えていた。
「B社の方が......お客さんと深く関わる仕事だから、もっと経験を積めるかもしれません」
「今持ってるものを、どう活かすか。そういう視点で考えると、見え方が変わってきますね」
「はい......なんか、少し楽になった気がします」
許容できる「損失」を考える
ダイキ「あと、もう一つだけ」
「はい」
「もしB社を選んで、うまくいかなかったとします。その時、ユカさんが失うものって何ですか?」
ユカさんは、真剣な表情になった。
「......年収が少し下がることと、福利厚生が少し弱いこと」
「それは、許容できますか?」
「......できます。今の貯金でも、しばらくは大丈夫ですし」
「じゃあ、もしA社を選んで、うまくいかなかったら?」
「......『やりたいことができなかった』っていう後悔と......」
ユカさんは、少し間を置いた。
「また転職活動をしなきゃいけなくなるかもしれません。それが一番嫌です」
「どちらの『損失』の方が、受け入れやすいですか?」
「......B社の方です」
ユカさんは、はっきりとそう言った。
「納得」をデザインする
ダイキ「今日、ユカさんと話していて感じたんですけど」
「はい」
「ユカさんは、『正解』を探そうとしすぎてたのかもしれませんね」
「......そうかもしれません」
「でも、どちらを選んでも、うまくいくこともあれば、いかないこともある。それは、どうしても避けられないことで」
ダイキは、ゆっくりと続けた。
「だから、『正解を選ぶ』んじゃなくて、『自分が納得できる選択をする』。そういう考え方もあるんじゃないでしょうか」
「納得......」
「今日の話を聞いてると、ユカさんはもう、自分の中で答えを持ってるような気がします」
「......そう、なんですか?」
「B社を選んだ時のこと、すごく具体的にイメージできてましたよね。自分の経験を活かして、成長していく自分の姿が」
ユカさんは、小さく頷いた。
「はい......なんとなく、見えてた気がします」
「それって、ユカさんが『納得できる未来』なんじゃないですか?」
ユカさんの表情が、少しずつ明るくなっていった。
それでも揺れる心
「でも......やっぱり不安です」
ユカさんは、正直な気持ちを口にした。
「もし失敗したら、って思うと......」
ダイキ「失敗が怖い、というのは自然なことだと思います」
「はい」
「でも、もし仮に失敗したとしても......ユカさんは、『自分で選んだ道だから』って思えるんでしたよね」
「......はい」
「それって、すごく強い支えになると思うんです」
ダイキは、少し前のめりになった。
「誰かに言われて選んだ道じゃない。条件だけで選んだ道でもない。自分が納得して選んだ道だから、たとえうまくいかなくても、次にどうするか考えられる」
「次に、どうするか......」
「そう。人生は、一回の選択で決まるわけじゃないですから」
ユカさんは、深く息を吐いた。
「......そうですよね」
小さな一歩
ダイキ「今日、帰ってから、何かやってみたいことはありますか?」
ユカさんは、少し考えてから答えた。
「メモアプリの比較表、削除してみようと思います」
「おお」
「もう見ないって決めたら、少し楽になれる気がして」
「いいですね。それで、もし迷ったら?」
「......今日話したこと、思い出します」
ユカさんは、小さく笑った。
「『正解』じゃなくて、『納得』。それを探すんですよね」
「はい。ユカさんが、自分で納得できる道を」
対話を終えて
カウンセリングが終わった後、ユカさんは少し軽やかな足取りで部屋を出ていった。
完璧な選択など、どこにもない。
でも、自分が納得できる選択は、きっとある。
それは、誰かが教えてくれる「正解」ではなく、自分の中にある「これでいい」という感覚。
今、手元にあるものを見つめ、失っても許容できるものを確かめ、自分が納得できる未来を描く。
そうやって、一歩ずつ進んでいく。
それが、「納得」をデザインするということなのかもしれない。