もしかして
核家族化で、家庭内の
【親の人数:子の人数】
の比率が変化し、子ども一人一人に目が届き
手をかけられるようになった為でしょうか。
少子化なのに、写真撮影スタジオの利益は
反比例して増加しているのも、その表れ?
そして、保育の現場では、親の放任よりも、
むしろ過干渉によって不安定になる子どもが
多く見られるようになった気がしています。
もちろん!
「丁寧に育ててあげよう」「いろいろ体験
させてあげよう」という気持ちは尊いです!
が、熱意のあまり、子の主体性を置き去りに
してしまうと、「親の顔色を窺い」「自分で
何も決められず」「本人のやりたいことが
常に抑圧されて(=親のやらせたいことが
優先されて)育つ」弊害がおきかねません。
大人は、子どもが選んだ選択肢(超難度の
クレーンゲームや続かなそうな習い事でも)
を尊重してあげ、可能なら、一度チャレンジ
させてあげるようにすると、自分の気持ちを
押し殺さず、伸び伸びと育っていくのでは。
子どもには、元々、育つ力があります
(億年の昔から人類は育ってきました)。
同時に、
子に待ち構える困難のすべてを、
親が排除してあげることはできません。
(アダム・ファウアーが書いた「数学的に
ありえない」を読めば、それがどんなに
”ありえない”かを知ることができます。)
では、どうすればいいか。
ダン・ブラウンの「天使と悪魔」にて
「あなたは、危ないからといって子に
スケートボードを禁じますか?きっと
危険を教え、練習の上で許可しますね」
のような言葉をカメルレンゴが言います。
その通り、鉄棒だって車だって、危険は
あるけれど、しっかり学んで練習させて
自由を与えますね。人生に必要だから。
つまり、事前に心配事を全部とり除く
(=自ら体験し学ぶ機会を奪う)のが
親の務めではなく、子に進路を選ばせ、
進んだ先で躓いたなら、そのときは手を
差し伸べてあげるのが、親の最適解かと。
具体例を出すと、
・生徒会役員をしている&勉強を頑張りたい←部長を打診された
↓
①先生の期待に応えたいから、多少無理して部長を引き受けようかな
②勉強を頑張りたいから、辞退しようかな
①を子どもが選んだ場合→大変だろうけど、
きっとかけがえのない経験ができるはず。
できる限りの応援をするよ!
②を子どもが選んだ場合→熱中したいもの
があるのはすごい!!自分で決断したのも、
先生に言えたのもすごい!
さらに、
②を選んだのに、先生に押し切られた場合→それだけ信頼されているということだよ。
やってみてもいいのかも。
②を選んだのに、先生に押し切られ、あとで大変で後悔している場合→よく頑張ってる。
無理しない範囲でいいんだよ。
友達や先生に相談してみよう。
②を選んだが、自分で断れないと悩んでいる
→ここは親の出番だね。私から伝えるよ。
という対応を私は提案したいです。
ここまで読むと
「なんだ、このソーシャルワーカーは。
すべてにイエスマンか」と思われるかも🤣
そうなんです( ̄ー ̄)(堂々)(開き直り)
いいんです、ソーシャルワーカーは、人の
人生を勝手に決める仕事ではありません。
そんな無責任なこと致しません。(大門?)
「あなたが決めた」「あなたの人生を」
「全力で応援し」「並走する」仕事です。
お子さんが悩んでいるとき、人生経験豊富な
大人であるが故に、正解が見えて、そちらに
導きたい気持ちになりますよね。でも、それ
果たして子どもにとっても正解なのかな…?
アドバイスは与えるけれども、最終決定は
自己決定を。で、本人が決めたことは応援。
親にできることなんて、そんなものでは。
あ、ただし!子の年齢にもよりますよ!?
未就園児とかの場合、無理ですからね~💦