引きこもりの日々を送っているからといって、世間に対して小さくなったり、果てしない悲嘆に暮れたりする必要はまったくありません。むしろ、その静かな時間を自分のために贅沢に使いこなすことこそが、今求められているのではないかとすら思うのです。
私が考える理想の生き方に、「人生の二等辺三角形」というモデルがあります。三角形の左辺は、何かのプロを目指してとにかくしゃにむに頑張り、右肩上がりにひたすら登り続けていく時期です。寝食を惜しみ、努力を重ねる時間は、確かに人生の尊い一幕でしょう。しかし、世間が一律に決めた「山の頂点」まで登り詰める必要などどこにもありません。人それぞれに、息が切れる場所も、景色が良いと感じる場所も違うからです。
自分が納得できる到達点に達したなら、あるいはそこが限界だと感じたなら、そこで引き返して良いのです。そこからは三角形の右辺を下るように、今度は「適度に楽しみ、ちゃんと休む」という心地よいリズムの波を作っていく。この「登り」と「下り」の美しいバランスがあってこそ、人生は一辺倒な競争ではなく、調和の取れた二等辺三角形として完結するのではないでしょうか。
私自身、いくつかの職を転々とし、さまざまな現場を体験してくるうちに、自分の体力の限界を嫌というほど知らされました。かつてのように動けない自分に気づき、できることがどんどん少なくなっていく現実に、一時は寂しさを覚えたのも事実です。しかし、たった一度きりの人生において、不幸にも心の病という不条理を患ってしまったのなら、それは「左辺の登る時期」を終え、しっかりと脳を休息させるべき「下りのリズム」に入ったという、身体からの切実なサインなのだと思います。まずは何よりも波立つ症状を落ち着かせることが、何にも勝る最優先事項です。
それなのに、体調が少し戻ったからといって、メンタルを壊してしまった元の職場や、以前と同じような過酷な仕事(つまり、再び左辺を無理に登ろうとすること)へ戻ろうとすれば、どうなるでしょうか。また同じように心の糸がプツリと切れてしまい、症状がぶり返すのは火を見るより明らかです。
生活保護や障害年金を受給することに対して、過度な罪悪感を覚える必要もありません。私たち人間には、健康で文化的な最低限の生活を営む権利が、憲法という国の最高法規によって厳格に保障されているからです。それは決して「おこぼれ」を預かっているのではなく、苦しい時に当然に行使すべき権利なのです。
仕事や学業によってメンタルを壊し、人生の地獄を這うような思いをしてきた皆さん。あなたはもう、これ以上無理をしてまで「登り続ける」必要はないのではないでしょうか。すでに、社会の中で十分にその勤労の義務や役割を果たしてきたはずです。もし生活を維持する上で足りない部分があるのなら、その不足する分だけを、細々とアルバイトや日雇いの仕事で補えばそれで十分です。固定されたシフトに縛られず、自分の体調と相談しながら当日にふらりと入れるような仕事が、一番「下りのリズム」を崩さずに済んで良いかもしれません。今の時代、インターネットの海を探れば、単発の仕事や多様な働き方の選択肢は無数に見つかります。焦らずに、あなたにとって最良の選択肢を探してみてください。
私がなぜこれほどまでに言葉を尽くしてこのようなお話をするのかといえば、引きこもる当事者だけでなく、それを取り巻く家族の苦悩もまた深いことを知っているからです。おそらく皆さんの親世代は、「働かないこと」や「レールから外れること」に対して、顔も見えない「世間」や「普通の人々」への猛烈な申し訳なさや世間体を抱いてしまいがちです。その焦燥感や不安が裏返り、時に当事者本人へきつく当たったり、言葉を選ばずに心ない暴言を投げかけたりしてしまうこともあるでしょう。しかし、前述した通りです。すでに心身を削り、十分に苦しんできたあなたが、これ以上周囲の目を気にして自分を責める必要はどこにもありません。親の不安は親のものであり、あなたの価値を貶めるものではないのです。
ただ、ここで一つ私から提案したいのは、与えられた時間を単に「怠惰」に、ただ時間が過ぎ去るのを待つようにやり過ごすのではない、ということです。心の中に、ある種のアナーキーな思考――つまり、既存の社会のルールや固定観念にとらわれない、徹底的に自由な精神――を持ってみるのです。今の世の中は、何でもAIが答えを出し、他人の意見がタイムラインに溢れています。そうしたものに頼り切るのではなく、あえて自分の頭を使い、自分の不器用な思考を動かしてみることに意味があります。
少しでも内側から興味が湧いたことがあれば、結果や効率を求めず、無理のない範囲で試してみてはいかがでしょうか。私自身、二等辺三角形の右辺を歩む静かな時間の中で、僧籍を得るための修行に身を投じてみたり、自分のペースで資格試験にチャレンジしたりしてきました。これらは社会的な成功のためではなく、自分の精神を豊かにするための試みでした。
その際、最も気をつけてほしいのは、決して孤独の殻に閉じこもり、社会的な孤立に陥らないようにすることです。完全に一人で考え込んでいると、思考は内側へと閉じていき、やがて負のループに囚われてしまいます。他者の視点や、自分とは異なる思考を適度に取り入れる工夫が大切です。もし、自力で外とのつながりを作るのが難しければ、手っ取り早い方法として、訪問看護を依頼してみるのも素晴らしい選択です。医療や福祉のプロという「他者」が定期的に部屋を訪れ、対話をしてくれる環境は、あなたの世界に適度な風を吹き込んでくれるはずです。
もう少し時代が進めば、テクノロジーの発展とともに、家に引きこもったままであっても、自分の特性を活かして仕事を行い、十分な金銭を得られる世の中が当たり前になるでしょう。物理的な移動や、過度な対人関係を強制されない働き方は、これからさらに増えていきます。
心の病を患ってしまったことは、理不尽であり、不条理な不幸であることは言うまでもありません。どうして自分がこんな目に、と夜を徹して涙を流した日もあるでしょう。ならばこそ、その一見すると不自由な状況をうまく乗りこなし、自分なりに楽しく、快適に使いこなせるような、そんな優しくてグラデーションのある世界になっていくことを、私は願ってやみません。自分の二等辺三角形の右辺を、どうか愛おしみながら歩んでいってください。
沙門蒼俊 合掌