「治療という名の修行」の途上で

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コラム
 何もできずに布団の中でじっと横たわっているとき、私たちはどうしても「怠けているのではないか」と自分を責めてしまいがちです。
 周囲の目にサボっているように映るのではないかと不安になり、自己嫌悪の波に飲まれそうになることもあります。
 しかし、蒼俊は思うのです。
それは決して怠けなどではなく、限界を迎えた脳が「これ以上エネルギーを使ってはいけない」と必死に発している、強制的な休止サイン、つまり「命のSOS」なのではないでしょうか。
特に心身が激しく重い時期には、無理に動こうとする必要はまったくありません。

「今は休むことこそが治療なのだ」

 と静かに割り切り、ベッドの中で心と体を守る環境を何よりも最優先にしていただきたいのです。

 以前、蒼俊がこういう話をいたしました。
「うつ病の治療においては、

薬を飲むこと
トイレに行くこと
布団の中でもいいから食事を摂ること
そして泥のように眠ること

 それらの徹底的に体を休めること自体が、立派な『修行』であると。
 師僧からいただいた、この言葉に触れたとき、蒼俊は深く胸を打たれ、そこにある真理に救われるような思いがいたしました。

 うつ病の暗闇の中にいるときは、ただ生きていること、息をしていることだけでも、気が遠くなるほどのエネルギーを消耗してしまうものです。
 健康なときには当たり前にできていた「食べる」「眠る」「排泄する」という生命維持の基本動作が、まるでエベレストの頂を目指すかのような、過酷で、気の遠くなる試練に感じられるからに他なりません。
 だからこそ、「何もしないで横になっていること」や「最低限の生活をかろうじて送ること」を、どうか罪悪感とともに振り返らないでください。
 それらはすべて、傷ついた心と体をそっと回復させるための、最も重要で、最も尊い「治療という名の修行」なのだと私は信じています。

 あの日、私も同じように、深い暗闇の底で息をひそめていた時期がありました。泥の中で、ただ時間だけが過ぎていく恐怖。
 自分が自分でなくなっていくような感覚に、何度も心が折れそうになったことを、今でも鮮明に思い出します。
 しかし、その経験を通り抜けた今だからこそ、心からお伝えしたいのです。
 このような深い苦しみの中にあっても、どうか希望の光だけは見失わないでください。
 いまは足元さえ見えないほど深く暗い泥の中にいて、一生ここから抜け出せないのではないかと、絶望に震えているかもしれません。
 それでも、適切な医療の力を借り、周囲の差し伸べてくれる手を恐れずに頼りながら、一日ずつ治療を進めていくことで、心と体は本当に、少しずつですが確実に回復へと向かっていきます。

 思えば、泥水が濃ければ濃いほど、そこから気高く、大輪の美しい花を咲かせるのが蓮の花でした。
 いまあなたが耐えているその過酷な泥の時間は、決して無駄にはなりません。
 今はただ、その目に見えない過酷な修行を、一日、また一日と積み重ねているご自身の強さを、どうかたくさん褒めてあげてください。いつか本来のあなたらしい輝きを取り戻し、優しく微笑み合える日が必ず訪れます。私はその日を、信じて疑いません。

                         沙門蒼俊  合掌
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