朝、目が覚めても体が鉛のように重く、どうしても布団から出られない日がございます。天井をじっと見つめながら「今日も何もできない」「周りの皆さんは頑張っているのに」という罪悪感が、しずしずと胸のあたりを浸食していく。
うつ病という時間の中にいると、この「動けない自分」がずっとこのまま変わらないのではないかと、やりきれない気持ちになってしまうものです。
そんなある朝のことでした。ふと、心の中に「諸行無常」という言葉が浮かんできたのです。
仏教の根本にあるこの言葉は、「あらゆるものは移ろいゆく」ということを教えてくれます。これまでは、どこか寂しい響きとして感じていましたが、布団の中で動けずにいる私に届いたのは、温かな光のような意味でした。「この苦しみも、この重たい空気も、決して永遠ではありません。いつか必ず流れていくものなのですよ」 そう語りかけられたような気がして、こわばっていた肩の力が、ほんの少しだけ抜けていくのを感じました。
医学の世界では、うつ病は「治すべきもの」とされ、規則正しい生活が大切だと言われます。もちろんそれは正しいことなのですが、心底疲れ果ててしまった今の私には、「こうあるべき」という正論が、時に鋭い刃のように感じられることもございました。
仏教が説く「慈悲」の心は、誰かに対してだけでなく、自分自身に向けてもよいものなのですね。
動けない朝は、心と体が「今はお休みが必要ですよ」と、一生懸命に伝えてくれている時間です。それを「怠け」と責めるのではなく、ただ「今はそういう時期なのだ」と、ありのままに見つめてあげる。これこそが、仏教でいう「諦観(明らかに観る)」という救いなのかもしれません。
布団の中で、ゆっくりと呼吸を繰り返してみます。 無常の風は、今この瞬間も静かに吹いています。私の絶望も、情けなさも、一箇所に留まり続けることはありません。いつか自然に、心がふっと軽くなる時が来るまで、私は私のままで、穏やかに休んでいていいのです。
修行とは、厳しいことだけを指すのではありません。自分に「休んでもいいのですよ」と許してあげることもまた、心を慈しむための、とても大切なお勤めなのだと感じています。
沙門蒼俊 合 掌
#うつ病 #心の休息 #諸行無常 #慈悲 #諦観 #自分を許す #心の平穏 #ありのまま #マインドフルネス #仏教の教え