魂のアップデート

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コラム
冷凍弁当の材料を買うメモを探していた
ふと9月に書いたメモが目に入ってきた
「うぉぉ」と声が出るくらい
この世への恨みつらみ、自分の境遇への憂い、他者への羨望
そんなものにあふれていた
感情を感じ尽くすために文字にしたメモであることは記憶にあるのだが
たかだか3ヵ月程前の自分の書いたものなのかという驚きがすごい。

例えば幼少期に没頭した作品に、大人になって再度触れてみると
「…あれ?」
みたいになった感覚はないだろうか。
それに近しいものを感じる。

そしてそれに関連するなぁと感じたのが、過去学校や仕事でしんどい思いをした場面などを思い返してみるが、それは本当に自分のこの人生の過去で起きた出来事なのだろうか?というくらい、あまりにリアリティが薄い。
皆さんはどう感じるんだろうなぁ。今度誰かに聞いてみるか。

よく自分が言ってることだが、自分がアップデートされていく度に、なんとなくとかたとえ話とかそういうものではなく、実感として切り替わった感覚があり、生まれ変わったと言っても過言ではないものなのだ。

そのような生まれ変わりを何度も体験しているので、それより前の事がまるで前世の記憶のように遠くなるのかもしれない。
思い起こせば最初に「前世の記憶のよう」と表現したのは、子を授かった時だ。
子供がいる生活というのは、経験された方はもちろんわかると思うけど、それまでの生活とは全く別のものになる。
当然考え方もシフトせざるを得ないし、自分の在り方の変化も半ば強制的に求められるという体験だ。
それゆえ、振り返ってみても子供がいる状態より以前のことはもはや遠くなり、現在と本当に地続きだったのか?と不思議に思うほどだった。

人生における外的要因による変化の中では、家族の増減というのは最も大きく影響を与えてくるものであるから、さらに振り返れば、父が召天した時も自分の在り方というものは大きく変化したことを覚えている。

そのようにして人生の中では生まれ変わる事が幾度もあり、それは外的要因によるものより、自己との対話による世界の構築の方が、さらに大きく、本質的なものであると言える。
そのため、そこに取り組んできたこの数年、そしてそれは進めば進むほどスピードが上がっていくので、ここ数か月の上昇によって、もはや以前の自分は何代前の前世なのかな?くらいな事になっている。
それはとても幸福な事で、満たされている。

ここまで書いてめちゃくちゃ眠くなってしばらく寝てたんだが、その間に思い付いたすごくいい例えがあったんだが、起きてPCに向かった瞬間忘れたw
まぁ、それもよきかな。
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