孤独は用法・用量を守って正しくお使い下さい

孤独は用法・用量を守って正しくお使い下さい

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コラム
1週間のデジタルデトックスからもう2週間くらい経っ…てなかった、全然経ってなかった、5日だった。
ここ数年時間の流れが遅くて毎度ビビる。
さておき、その後は特に制限する事なくYouTube・漫画・ゲームを摂取していた。
デジタルデトックスなんてなかったかのように、がっつりと時間をとっていた。
そして今日、その事に対する再びの虚無感がやってきた。
この時間てなんだ…???という。

デジタルデトックスで得た学びは、孤独の大切さ。そして過度な孤独の濫用は精神を侵すこと。
こう考えると、この世界において過剰というもので良い事はひとつも思い当たらない。過ぎたるは及ばざるがごとしとはよく言ったものである。ひたすらにバランスというものが大事な世界なのである。

再びさておき、今日は昼ごはんを作る寸前に孤独への代替手段への虚無を感じ、YouTubeを流さないで昼ごはんを作った。
すると当然孤独がやってくる。それはとても居心地が悪く耐え難いため、代替手段に手が伸びそうになる。
その時一歩踏みとどまる事で「自分は今孤独だと感じている」と客観的視点に立つことが出来た。
この客観的視点というのが本当に大切で、自分の感情の沼からひょいっと視点だけ抜け出して、他人事のようにその沼でもがいている自分を観察するのだ。
これは自分の場合かなり訓練して体得したものであるが、いつでも出来るわけでなく、自分の状態が良いとか、きっかけを得るとかしてやっと出来る。

ともあれその客観視の立場に立てた事で、ここに書く文章が湯水のごとくあふれ出してきた。自分としてはキタキタキター!って感じであるw
創作が出来るのは孤独の時間のみであると言っても過言ではないだろう。
昨日はお風呂に入っている時、今日はご飯を作っている時。
今までずっと動画を垂れ流して、必死に孤独を埋めていた時間だ。
そして手がふさがっているから、考えるのに集中できる時間だという共通点がある。
昔聞いた事のある言葉で、馬に乗ってる時と寝てる時とトイレにいる時が一番考えまとまるよねーみたいなのがあるが、調べたら昔の中国の方の言葉で、馬上・枕上・厠上で三上と言うらしい。しかも文章を書くのに都合が良いという理由だったようで、まさに自分の考えてるやつじゃないか!
これからは炊上と湯上も併せて五上にしてもらおう(笑)

ああ今日は脱線が多いな。
でもそういう時は頭がギュインギュイン回転しているのを自分で感じる。
これが適度な孤独の力というやつなのかもしれない。

何が言いたいかと言うと、孤独というのは劇薬のようなものだと感じた。
適量を正しく使えば、素晴らしい効果が期待出来るが、誤れば身も心も滅ぼしてしまう。
そういう意味では孤独から逃れる代替手段としての時間も大切なのだろう。
だがそれに慣れて孤独を避ける事が常態化してしまうと、自己との対話という人生において最重要(少なくとも自分はそう感じる)と言えることが出来なくなってしまう。
心の奥底の声・魂の声に触れる事が出来るのはそういった時間であるからだ。
自らの孤独との向き合い方をコントロール出来れば、魂の声聞き放題で辛くならないという夢のような事が出来るんじゃないか…と思い至りワクワクが止まらない…!

ひとつ注意点として、先に言ったように、客観視点に抜け出す事が出来るのは状態の良い時に限られていて、大体は沼の中に浸かりっぱなしだ。
その状態でよっしゃ孤独を感じるぜえええとやると大抵めちゃくちゃしんどくなる。
なので状態がかんばしくない時は無理せず代替手段で心身を労わって、準備が出来たら身体だけ沼に放り込んで、精神は外からその姿を眺めて孤独の恩恵を受けるのが良いだろう。
ほんと劇薬だな。我ながらいい例えだ。
自死を選んだ過去の文豪達も、沼の恩恵が忘れられず帰ってこられなくなってしまったのかもしれない。
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