グランバルト公爵令嬢への冤罪事件と光の乙女の暴走からおよそ一年後。ディタイト王国は春を迎え、グランバルト公爵家のコンサバトリーには温かい光が満ちていた。
「……お姉様、やはり私少しだけ寂しいです」
そんな場に似つかわしくない沈んだ声を上げたのは、グランバルト家次女ジルダ。切れ長の目を伏せ、手にしたカップの赤い水面をただぼんやりと見つめている。可愛い妹のいじらしい様子に、姉であるリリアンは優しく微笑んだ。
「寂しがってくれて嬉しいわ。せいせいします、早く行ってくださいなんて言われたらどうしようかと」
「そんなわけないでしょう。お姉様ってば意地悪ね」
なんとか気持ちの整理をつけようとジルダは紅茶を飲んだが、味はよく分からなかった。明後日、リリアンは隣国ブルクスタに向けて発つ。王太子ユースタスと結婚するために。
あのめちゃくちゃな夜の後、あまりにも色々なことが起きた。
まず裁判が開かれ、あのふざけた断罪劇について正式に決着がついた。誰もが予想した通り、結果はリリアン側の全面勝利。ミハイルが糾弾したカティアへの加害は一つ残らず事実無根の言いがかりだったと認められ、逆に二人の狼藉が数多白日の下に引きずり出されることとなった。
当然、ミハイルは王太子の座から降ろされた。代わりに五歳年下の第二王子アルスが立太子し、アルスの教育などに関わっていたアストリー伯爵家は少々得をしたという。ミハイルは辺境の開拓地に送られ、そこを統治し発展させて生み出した富を一生かけてグランバルト家への賠償金に充てるのではと囁かれていた。
が、意外にもあんな王子に外国からの縁談が舞い込んだ。相手は海洋国家シャサラードの女王イライザ。政治の手腕は確かでお綺麗な人だが、年齢はもう四十路に近い。子供に恵まれぬまま数年前夫に先立たれ、出来れば世継ぎを自分で産んでおきたいと再婚相手を探していたそうだ。――つまり、由緒正しい王族の血を引く若い種馬としてミハイルを輸入しようというわけである。それ以外の何も期待されてはいないだろう。
親子ほど年の離れた女性との結婚をミハイル本人は嫌がったが、王家は二つ返事で了承した。馬鹿息子を差し出して海上貿易の要であるシャサラードに恩を売れるとなれば当然だろう。グランバルト家がさっさと正式に婚約解消したのも手伝い、廃位から僅か三ヶ月足らずでミハイルは海を渡り婿に行った。船の甲板に立ち尽くし、二度と戻れないだろう祖国が遠ざかっていくのを見ながら泣いていたという。
それからまもなく、ユースタス殿下がリリアンに求婚してきた。ブルクスタ王国ではこちらのように幼少期に結婚相手をすっかり決めてしまう習わしはない。平民から王族まで皆、成人した男性が自分で考えて相手を探し女性も自分で考えて求婚を受け入れるか決めるのだ。
「実はディタイト王国に留学していた時、よくしてくれた貴方に仄かな想いを抱いていました。相手が既に決まっている方への想いでしたから忘れるべきだと胸にしまいましたが……その方が貴方を裏切った以上、黙って見ていられなかったんです」
直々にやってきて恭しく跪きリリアンの手を取った彼の顔は、誠実で真剣だった。
「私は貴方を裏切らないと全てに賭けて誓います。共に生き協力してより良い国を築きたい。どうか我が人生の伴侶、我が国の国母となってください」
父と並んで見守っていたジルダは、リリアンの目が潤んで輝いたのを見て思わず息を呑んだ。お姉様の涙なんて最後に見たのはいつだったかしら。ミハイルに蔑ろにされてもカティアが癇癪を起こしても、濡れ衣を着せられそうになっても暴走する光の力を前にしても、泣くことはなかったお姉様。そんなお姉様の目が深い安堵と喜びの涙で潤いきらりと光ったのだ。ああよかった。なんて素晴らしいことでしょう。承諾するリリアンを見ながら、ジルダもポロポロと涙を零した。
その時はただただ嬉しかったのに、嫁ぐ日が迫るにつれ寂しさと心細さが入り混じり始めた。ジルダは溜め息を吐く。
「ユースタス殿下にならお姉様を安心してお任せ出来ます。お姉様が幸せになる素敵な門出なのに……」
「ねえジルダ。無理に寂しさを殺さなくてもいいんじゃないかしら」
黙ってサンドイッチを食べながらジルダの言葉に耳を傾けていたリリアンが、そっと微笑んだ。
「私だって寂しさも心細さもあるのよ。ユースタス様はとても誠実で私のことを尊重して下さるけど、それだけで何もかも上手くはいかないでしょう。お嫁に行ったらお父様やあなたに簡単には会えなくなる。完全に一人で戦わなければいけないことがあるかもしれない。……こんな風に、きっと誰しも一つや二つは心配の種があるでしょうね。結婚というのはそれぐらい大きな出来事よ」
リリアンは席を立ち、ジルダのそばにやってきた。そして屈み、幼子にやるようにジルダの頭を撫でた。幼少期、怖い夢を見たとジルダが泣きついた時、そうしてくれたのを思い出す。
「だからいいのよ、複雑な思いでおめでとうと言ったって。お祝いして幸せを願ってくれているのも本当だと私は分かっているから。大丈夫よ。出来るだけ気軽に遊びに来られるよう、私は王妃としてディタイトとブルクスタの友好関係を守るわ」
ジルダの中の堰が決壊し、彼女は少女のようにわっと泣き声を上げて姉に抱きついた。リリアンは大いに驚いた顔をしたが、すぐに笑って妹を抱きとめた。
「お姉様っ! 私、今長距離を一瞬で移動出来る魔法を研究していますの、必ず完成させますわ!」
「まあすごいわね。じゃあそれが悪用されず平民から王族まで使えるように、私は法や制度作りを頑張らなくてはね」
姉妹は光溢れる中笑い合う。彼女らを祝福するように、太陽は中天で燦然と輝いていた。