最近、立て続けに、カルマや魂の種類についての情報をUPした方が役に立ちそうなご質問をいただいたので、
ご質問には直接は答えていないかもしれませんが、
皆様のご参考になればと思い、この話をしようと思います。
インドの哲学というか、
アガスティアの葉を書いた聖者たちが信仰しているサイヴァ・シッダーンタ哲学は、ヴェーダ哲学とは違うところや同じようなところがあったりなかったり・・・というようなポジションにあるということをまずは頭に入れていただきたいかなと思います。
両方とも同じインドの哲学ですが、若干考え方に差があるというところでしょうか。
聖典は「アーガマ」と呼ばれます。
かいつまんで説明すると、
サイヴァ・シッダーンタ哲学では、
1)絶対神(パディ):この場合の「神」は絶対神を指します。
2)魂(パス):私たちみたいな魂の存在のこと。
3)神と魂を繋ぐ手綱(パーサム)
の3つが存在しています。
パスとはタミル語で「牛」、つまり家畜の意味もあります。なので、イメージ図としては、神様が手綱を持って家畜である私たちを繋いでいるというような感じでしょうか。
魂は、最初の最初は、この絶対神にくっついているわけですが、
「牛の毛の1000000000000000000000000000000分の1ぐらいの疑問」(具体的な数は忘れましたが、こういうイメージの数と思っていただければ・・・笑 すみませんw)
を抱くと、この世界に誕生してきます。
この手綱(パーサム)は、この世界を形作っているわけですが、
これは
1)マーヤー(覆いのような幻:目に見えるものが全てであるといったような間違った考えや認識を作り出し、わたしたちを真実から遠ざける存在)
2)カルマ(良い・悪い行動に対する、絶対に避けられない結果)
3)アーナバン(エゴ:諸悪の根源。絶対に魂から離れない)
4)マエヤム (マーヤーによって生み出されたもの:体・自意識・世界・この世界で享受するもの)
5)ティロダーナ(わたしたちと神を分断する力:この力によって、神様は私たちに働きかける)
に分かれます。
はい、難しいです(笑)
とりあえず、我々を取り巻く世界はこの5つでできてるという話です。
その中でも重要なのは、「3マラ」と呼ばれ、
「魂のレベル」のクライテリアとなる、マーヤー・カルマ・アーナバンです。
まず、カルマにはざっくり3種類あります。
カルマとは、行動に対する結果のことです。借金に例えて書いてみます。
1)アーガミヤ:カルマを作り始めている状態。
(借金を借りている状態)
2)サンジタ:カルマがまだ出現していない状態。
(まだ返済期間に至っていない状態)
3)プララブダ:カルマの結果が現実に起きている状態。
(借金を実際に利子付きで返済したり借金取りに追われている状態。)
マーヤーとは、書かせていただいたように、
真実から私たちを覆い隠す、ベールのようなもの
であり、
私たちの生きるこの世界の物質は、全てマーヤーからできています。
なので物質主義の人は、「マーヤーに騙されまくっている」ってことになりますね。
まあ、もちろん、物質主義を究極にまで突き詰めていくことで、真理に到達する方法もありますので、本当にそこはなんとも言えませんが。
とりあえず、「マーヤーがマーヤーだと気づいているか・否か」というのが
魂レベル判定では重要になってきます。
サイヴァ・シッダーンタ哲学では、主にこの
マーヤーとカルマ診断に基づき、魂レベルを判定します。
イメージとしては、
わたしたちの魂は、
これらのものに覆われているとか、
これらのものに縛られている、
と考えて見てください。
1)ヴィニャーナヤカラ (一番解脱に近い魂)
この状態の魂は、アーナバン(エゴ)のみに縛られています。
そのため、カルマとマーヤーのしがらみから自由です。
この状態の魂の人には、
神様は目に見えるかたちでは現れません。
神様や聖者が直接心の中で教えとして現れ、
そのような形で悟りを開くとされています。
ブッダはもうこんな状態を飛び越えていての悟りの気もしますが
一応魂クライテリアと方法的には、ブッダのような方が当てはまるということですね。
アーナバンは生きている限り絶対に魂から取れることはないので、
この魂が一番解脱に近い魂ということになります。
聖者、と呼ばれるような方々には多いかもしれない状態ですね。
2)プララヤカラ(アーナバンとカルマのみに縛られた魂)
この魂は、「マーヤーが幻であり、真実ではない」ということに気づいている状態ということになります。
しかしまだ、カルマの影響を受けているということですね。借金はまだあるという段階ということです。
この状態の人には、神様が「グル」として現れ、
ヨーガを教えたりなどという形を通し、
その人たちを、主に、「見たり」「触ったり」し、悟りに導いていきます。
可視化できるし、聞くことや触ることもできる形の神様ってことですね。
ちなみに〜インドには、聖者の信者がたくさんいます。
ヨーガの信者もいっぱいいますね〜。
3)サカラ(アーナバン、カルマ、マーヤーに縛られた魂)
現在はカリユガと呼ばれる物質主義の世界。
この世のほとんどの人の魂はこの部類に入ります。
ステレオタイプの極論になっちゃうんですが
「未来の自分は経済的に安定できるか・成功できるか」といった
ごくごくありふれた悩み自体が、
ある程度マーヤーに縛られているからこその行動ということになります。
このクライテリアによれば。
マーヤーというのは、私たちの物質的現実全てを指し、
私たちがこの世界で経験するすべてのことを生み出してくれる存在です。
私たちの空気も、ご飯も、これをタイピングしてる手も、体も、
これを読んでるあなたの目と脳も全てマーヤーでできているのです。
しかし、インド哲学は、「それらは神様ではなく、神と全く別のもの」ということが大前提。
つまり、真実ではないのです・・・。めんどくさいですね〜。
マーヤーは
「真実を覆い隠し、真実っぽいことを経験していると魂に思わせる」のが
その効能というか役目であります。
これらが、物事の2面性を作り出すと、聖典には書かれています。
そのため、マーヤーに騙され(?)ている段階の人は、
「良い 悪い」 「好き 嫌い」 「ワクワクする ワクワクしない」 というようなジャッジメントをしながら生きています。
(そのジャッジメントが悪いというジャッジメントをしているわけではなく、そういうふうに伝えられているという話です。
もちろんそういう感覚は、生きるのに重要ですよね。)
しかし、これを通して、私たちは人生経験を積みます。
そのため、マーヤーを通じて、(でも真実はマーヤーの中ではなくマーヤーの覆うその先にあるということを認識していくの積み重ねなどで)
私たちは真実に辿り着くこともできます。
この段階では、まあ、「マーヤーを通じて真実を見つけたる」ではなく
「マーヤーこそが人生のすべてである」という感じの生き方ということでしょうか。
この段階の人には、
人間の聖者やスピリチュアルリーダーが現れ、
ディークシャ(洗礼)を与えたり、
聖なる真実については、言葉や本(ウライ)によって伝えるということになります。
ナーディも主な用途は、ウライの一つなのではという感じはありますね。
長々とした説明になっちゃいましたし、
じゃあそれぞれがなんなのか、という話をしようとすると
また長ーーーーーい説明になりますので、かいつまんで説明しました。
これを書いたのは、
・カルマを精算せずに次の段階に行くことは、論理的には無理だということ、
・悟りを開く体験というのは、一番解脱に近い魂が行うことだとされていること
・解脱というのは、カルマとマーヤーの縛りがない魂に起きる可能性があり、
他の魂には起きる可能性はない、ということ
などをお伝えしたかったからです。
また、
ナーディリーディングは、
クライアントさんのカルマを可視化したり
魂の状態に関わっていくものなので、
「適している人以外には非常に危険な作業」とされているということをご理解いただけるのかなと思ったり思わなかったり。
葉にその旨が指定されて、
かつナーディリーダーが(ホロスコープとかも見て)良いと思っている人じゃないと
クベランが言うには、
関わる人間自体が災難に遭うぐらい危険!!!!!!!と言っています。
そのために、
前世の章や、悟りの章(ニャーナカンダム)は
リミディをし、状態を整えてからでないと
読む準備がないどころか、関わった人間に危害が及ぶため、
決して開けてはならないとクベランは言っています。
(開けていい人は、リミディの指定がない人でしょうけどそんな人見たことないw)
また、
「自分は今世最後かもしれない」という考え自体が、
マーヤーに縛られているからこその考えで間違いだっていうこともよくある話です。
ナーディやリミディ、
インドの魂に関する考え方を深めていただければと思います!