こんにちは。世間はすっかり秋。
ここの更新、真夏はしっかりお休みさせていただきました。
暑すぎて、思いっきり体調おかしくなっちゃったんですよね。
セッションのお申込み、少なくて助かりました……(ココナラ以外でもお仕事承っています)
そうだ、今日は午前中にホロスコープ上うお座で満月となりました。
満月のお願いごとをノートに書いていらっしゃる方は、だいたい明日の11:35くらいまでにはお願いごとを書き終えてくださいね。一応、満月のお願いごとって、24時間以内に書くのが良いと聞いていますので。
さて、と、
タイトルの話なんですが、よく人生を変えたい、今までの自分とは異なる自分になりたいという願望を抱いてご相談される方がいらっしゃるんですが、
そういうときに、「本氣で変えたいと思っていますか?」とか、「やる氣はありますか?」というようなことは、私はお聞きすることは現在ありません。
以前はね、若氣のいたりと申しますか、まあ言っちゃっていましたね、「本氣で人生変えたいって思っていますか?」とか、「やる氣あるんですか?」とか。
でもいろんな人と接し、さまざまなご相談を受けてきて、「本氣」や「やる氣」ではそもそもどうにもならないことがあるし、
「本氣」や「やる氣」はあるけれどうまくいかないということもある、ということを経験しました。自分事に限らず。
で、じゃあどうやって人生変えていくの?というとき、自分を突き動かすものって「情熱」なんだと思います。
「情熱」がさめない限り、勝手に体って動きます。どうにも止まらない。理屈じゃないんですよね。
でも、「本氣」とか「やる氣」を求められるときって、時に「根性」がセットになるときが。
「本氣」「やる氣」を必要とされるときって、何か「しゃかりき」になって取り組むとか、「何が何でも」がんばるとか、とかく「エネルギー」が求められるんじゃないかなと思うんですね。
でも「馬力」が必要なときももちろん人生にはありますが、「歯を食いしばって」取り組むとか、「我慢して」やり遂げよううとするとか、「他のすべてを犠牲にして」「必死に」やるとか、
……これ書いている間にも「苦労」感がにじみ出てきて書いていて苦しくなっているんですが、
「情熱」をもって取り組むときと違って、「夢中」になってやる、「時間を忘れて」やるって感じじゃないんですよね……どこかに「忍耐」が求められているようで。
だから、「情熱」をもって人生を変えようとしている人は、やっぱり内側から衝動が止まらないのでどんどん前進していくし変化もしますし、そもそも取り組みが楽しくて仕方ないですが、
「本氣」で変わりたいんです、「やる氣」あります、がんばります、何でもやり遂げてみせます、って感じなら、まだ自分を突き上げる衝動は湧き起こっていないから、
遅かれ早かれ息切れしちゃうのでは、と思います。ということは、
「本氣ですか?」「やる氣ありますか?」と聞く人は、あなたに「根性」を求める可能性があるかもしれなくて、それに従っていこうとすると、どのみち疲弊しちゃうかもしれないね、ということです。
私は「根性でどうにかなるなら誰も苦労しないよ」って思っているクチです。レバレッジをきかせることは、自分の何かを変えたいときに必要なことかもしれないですが、
「情熱」が伴っていないのに「本氣」や「やる氣」だけで何かを引き出そうとするのは、人生、未来を変えていく上ではちょっと無理あるかな、と思っています。
でも人生変えたいです、願いを叶えたいです、そう思ってらっしゃる方は、その自分の内側に「情熱」が芽生えていないかをチェックしてみることをおススメします。
そうしないと、「氣合い」「根性」で自分を無理矢理動かすことになりかねません。結果として「現状維持機能」が発動して、今までのあなたに戻るように強く反動が起こってしまうのでは、と思います。