莉子は変わらず楽しそうだった。
ある夜、居酒屋で莉子が言った。
「亮って、ビール一杯でそんな顔になるの?」
テーブルの向かいで笑っている。
笑い返した。
一拍、遅れた。
莉子の目が、その一拍を見ていた気がした。
莉子は僕をよくからかった。
それは彼女の愛情表現だとわかっていた。
莉子の父は母をよくからかうと聞いたことがあった。
でも僕はからかえなかった。
怖かった。傷つけたくなかった。
「亮はさ、私のことからかわないよね」
笑いながら言った。いつもの笑い方とは少し違った。
「からかう、って」
「なんか、心開いてない感じがする」
「そんなことないよ」
そう言いながら、そうかもしれないと思った。
莉子は僕をよく見てくれている。
僕が見ていないところまで。
「亮って遊び慣れてるよね」
デートの帰り際、莉子が笑いながら言った。
僕も笑って受け流した。
でも帰り道に反芻した。
遊び慣れてる。僕が。
違う、と思った。
でも否定できなかった。
その夜、バーで純さんに話した。
「遊び慣れてるって言われました」
「そうか」
「違うと思うんですけど」
純さんはグラスを置いた。少し間があった。
「自分のことだろ」
そう、僕のことだ。
莉子から「最近どこか遠い感じがする」とメッセージが来た夜、僕は長い時間スマホを見ていた。
何を返せばいいかわからなかった。
正解を探していた。指だけが動かなかった。
それに疲れてきた。
翌週も会った。
ドライブで偶然見つけた大きな国立公園で、莉子は景色を見ながら言った。
「ねぇ、来年もここに来たいね」
「毎年来ようよ」
口が先に動いた。
言った瞬間、胃が沈んだ。
自分の口が勝手に役を引き継いだ。
「別れよう」
先に言ったのは僕だった。
莉子の顔が変わった。
笑っていなかった。
冷ましたのは僕だ。2人の温度を。
「なんで」
「……ごめん」
喉が詰まった。
次の言葉が出てこなかった。
舌が動かなかった。
視線が莉子の顔から外れた。
「なんで急に」
莉子の声が揺れた。
目が赤くなっていた。
傷つけたかったわけじゃない。
こんなことがしたかったわけじゃない。
でも続けられない。
何が続けられないのかも、うまく言えない。
「ごめん」
それしか言えなかった。
莉子は何も言わずに行ってしまった。
その夜、バーに行った。
純さんに言った。「莉子と別れました」
「そうか」
少し間があった。
「ただ、好きな人と一緒にいたいだけなんです。それだけなのに」
純さんがグラスを置いた。
「向き合うのも結構だ」
純さんはそこで止めた。
「お前はまず、自分だ」
「自分、って」
純さんは答えなかった。
カウンターの造花が視界の端に映った。
造花だけが、何も失っていなかった。
泡が喉を落ちていった。