選挙期間は、情報が増えます。
政策、実績、切り抜き、熱量の高い投稿。
全部を精査するのは無理です。
だから人は、信じたいものを信じます。
これが悪いとは思いません。
ただ、この選挙期間中はそれがはっきり見えます。
自分との反対意見が目に止まらない。
止まっても、読み込まずに流す。
そして、反対意見を叩く言葉が「答え合わせ」のように響き始める。
論点より、一致団結して叩くスピード感が勝つときがあります。
その納得感は、根拠みたいな顔をして居座ります。
ここで一つだけ、観察してみたいことがあります。
どの言葉を見たときに、胸がすっとしますか。
どの投稿を見たときに、溜飲が下がりますか。
どの相手を見たときに、反射で聞く耳を閉じますか。
人は理屈で信じているつもりで、反応で信じます。
そして反応は、思考より速い。
信じること自体は自由です。
ただ、何が自分を信じさせたかに無自覚なとき、
信頼の所在は自分ではなくなります。
実績なのか。内容なのか。
印象なのか。空気なのか。
強い言葉なのか。
不安が消える感覚なのか。
この経路が曖昧なまま信じると、奇妙な現象が起きます。
信じた内容を守るために、反対意見を読む前に敵にする。
内容ではなく、発信者の人格で切り捨てる。
ここから先は、正しさの話ではなく確認です。
反対側の主張をいくつか見て、それでも結論は同じか。
最初から否定で入っていないか。
嫌いな人の正論を、反射で拒絶していないか。
好きな人の雑な論理を、無意識に補完していないか。
自分の陣営が得する話を、一度だけ疑えるか。
自分の陣営が損する話を、一度だけ読めるか。
これができるかどうかで、線が引かれます。
群れの熱で判断しているのか。
自分が判断を引き受ける側か。
信じてもいい。
ただ、どこまで考えた、どこまで調べた。
信じた瞬間に思考が止まるなら、それは信念ではなく、安心したいだけです。
何に惹かれるのか理解できた時、それを採用するかしないか主体性を持って考えられます。