新解釈「為せば成る」

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為せば成る

為さねば成らぬ何事も

成らぬは人の為さぬなりけり



これは米沢藩九代目藩主

上杉鷹山のことばだ


元になったのは

戦国武将 武田信玄の



為せば成る

為さねば成らぬ成る業を 

成らぬと捨つる人のはかなさ



という言葉だそうだ



上杉鷹山は

藩の財政を立て直すため

この言葉を用い

武田信玄もまた

家来を鼓舞するために

この言葉を使ったようだ



けれども

最近のneoファミリーコンステレーションで

また新たな解釈が生まれた



存在が

私たちの身体を通して

何かを創造しようとしている

私たちは

その媒体として

ここに生を受けている



私たちは

中空の竹であり

存在の意思を

現実化させるために

この世に送り出された



私たちは

その存在の意思を

直感という形で受け取り

この身体を通して

存在の意思を現実化するために

きっかけとして行動を起こす



そうすれば

そのきっかけが

連鎖を生み出し

存在の意思が現実化する



つまり

私たちがきっかけという

行為を「為す」ことで

存在が様々な配慮と準備をし

その行為を

存在が望む形へと「成す」のだろう



しかし問題は

ここにマインド(思考)が

介入することで

自体が途端にややこしくなる



マインドは

存在の流れを

狂わせ停止させることも

出来るほどのパワーを秘めている



私たちが「為そう」

とするのではなく

己の力によって

何かを「成そう」とする時

私たちは存在から分離する



しかも

マインドが何かを

「成そう」とすると

たまさか

上手くいってしまったりする

それがまたマインドを

エゴをを助長する



私たちは

そのままでは不完全で

努力し精進し

何者か別の人になる必要がある

そういう風に

教育システムを通して

深く条件付けられてしまった



そこから抜け出すのは

そう容易ではない

けれども

あなたが常にそこへ

注意と意識を向けて

行動したとすれば

その条件付けは

簡単に見いだせる



それが禅であり

それが瞑想的に生きる

ということだと感じる



では

「為す」と「成す」を

どう見分ければ良いのか?

それは次回のブログで



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